[CML 026018] 反共意識の類型

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2013年 8月 22日 (木) 22:17:20 JST


2013年6月の東京都議会議員選挙及び7月の参議院議員選挙では日本共産党が躍進し、反アベノミクスの受け皿として一定の評価がなされた。一方で「党勢の拡大に結び付いていない」「党員の高齢化」「低投票率に救われただけ」などの厳しい意見もある。共産党が伸び続けられるかは、日本社会に根強い反共意識を乗り越えることが一つのポイントになる。 

反共意識の多くは無知に基づく偏見という要素がある。それは、かなりの面で乗り越えられている。インターネットの世界では2011年東京都知事選挙において共産党の支持する小池晃候補が市民派唯一の選択肢として評価されていた(林田力「石原慎太郎都知事再選の絶望と希望」PJニュース2011年4月13日)。インターネット世論が現実に先行する一例である。さらに2012年東京都知事選挙では宇都宮けんじ候補が市民派共同の候補になり、非共産党系市民と共産党系の間で一定の相互理解が進んだ。この流れが都議選・参院選に影響を及ぼしている。 

一方で反共意識の全てを無知と偏見で片付けることはできない。無知と偏見で切り捨てるならば、独善的で偏狭な集団との評価を強める結果になる。そこで以下では反共意識について類型化して分析してみる。まず反共は反共産主義と反日本共産党に大別される。前者は基本的に後者になるが、後者は前者に直結しない。親共産主義で反日本共産党というスタンスも成り立つ。 

反共産主義の類型としては第一に冷戦型とでも呼ぶべき類型がある。冷戦の対立構造そのままに自己を資本主義陣営の一員と位置づける。それ故に反共産主義は当然の帰結になる。自民党政治の打破を求める人にも冷戦型が多い。反共は当然の前提であり、その中で自民党政治にNOと主張する。進歩派であることと反共は矛盾しない。民主党も社会党から社会主義色をなくし、「責任政党」にしたいという冷戦型の人々の所産でもあった。それ故に野党共闘でも共産党は排除される。 

この冷戦型の反共意識は筋金入りである。それでも開発問題など個別の問題に取り組む人からは共産党への一定の評価もなされている。本気で土建政治を打ち破りたいならば、反共を言っていられない状況がある。 

究極的には資本主義脱却の風潮を強めることで、冷戦型の持つ反共の拘りは存在意義を失う。マルクス主義に基づいて資本主義を批判するならば反発を受ける。しかし、ゼロゼロ物件や脱法ハウスなどの貧困ビジネスやブラック企業・ブラック士業が横行する現状を踏まえれば資本主義に問題があることは明らかである。 

第二にポストモダン型と呼ぶべき類型がある。ポストモダニズム・価値多元主義の立場からマルクス主義を含む絶対的なイデオロギーに対して懐疑的な立場に立つ。そのために反共となるが、その批判的視点はマルクス主義だけでなく、自己を唯一絶対と主張する全てのイデオロギーに向けられている。それ故にポストモダン型に対して無知や偏見故の反共と批判することはピント外れになる。 

ポストモダン型とマルクス主義者のギャップは世代間ギャップの側面もある。かつては経済学でも歴史学でも大学教育はマルクス主義一色であった。それとポストモダニズム隆盛後の大学教育を受けた人では土台が異なるものである可能性がある。 

このポストモダン型の持つ違和感は重要である。共産党に対しては、閉鎖的・独善的・偏狭というマイナスイメージが流布している。これに対して共産党側からは「根拠のない偏見であり、民主的な党運営をしている」と反論される。そうであることを期待するが、いくら少数意見に耳を傾ける姿勢を有していても、衆議を尽くす運営をしても、「正解は一つだけであり、それ以外は全て誤り」というスタンスでは、ポストモダン型は違和感を抱く。 

ポストモダン型は冷戦型のように反共が目的化している訳ではない。そのため、共産党の評価できるところは自然に評価する。一票を投じることも躊躇しない。しかし、それ以上は困難である。体質的な自由さが求められる。極端な例を挙げれば自民党員には原発反対を公言する人もいるが、共産党員で原発推進を叫ぶことが許されるかという問題である。基本政策で意見を180度異にすることは政党としてあり得ないとの反論が予想されるが、原発問題の基本政策化は福島第一原発事故後でしかない。 
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