[CML 026012] 全員不起訴へ…じゃあ、誰の責任?東電幹部・政府関係者ら数十人業務上過失致死傷告訴・告発

石垣敏夫 motoei at jcom.home.ne.jp
2013年 8月 22日 (木) 12:22:51 JST


一部再掲
戦争も原発事故も自然災害ではありません。
福島第一原発事故は国会事故調が人災と認めました。
原子力安全委員会 委員長の斑目氏も人災と認めたのですから
当然起訴され罪の有無を立証されなければなりません。
検察は司法の独立を守るのではなく、政府権力者の奴隷となっています。
  石垣

全員不起訴へ…じゃあ、誰の責任?東電幹部・政府関係者ら数十人業務上過失致死傷告訴・告発

新聞記事・朝日新聞・8月21日

全員不起訴へ…じゃあ、誰の責任?
東電幹部・政府関係者ら数十人、業務上過失致死傷告訴・告発
http://digital.asahi.com/articles/OSK201308190057.html?ref=comkiji_redirect&ref=comtop_fbox_d2
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【編集委員・竹内敬二】汚染水を海に流し続け、帰郷できない被災者
には絶望感が広がっている。
収束がみえない福島原発事故の責任はだれにあるのか。
これに関して、東電幹部や政府関係者ら数十人が業務上過失致死傷の
疑いで告訴・告発されていたが、検察は全員を不起訴にする公算だ。

そうなると原発事故について、だれ一人、個人として刑事責任を
問われないことになる。
結局、事故の責任全体があいまいにされ、けじめがないまま、被害を
忘れていくのだろうか。
日本はこういうことを繰り返している。
思い起こすのは、過去の戦争における原爆、空襲犠牲者が起こした
裁判だ。

告訴・告発は、震災関連死に含まれる事故の影響で死亡したり、
健康被害を起こしたりした場合の責任を問うものだ。
個人の責任追及に特徴がある。「結局だれの責任なのか」はだれもが
知りたいことだ。

訴えたのは、原発周辺に住んでいた被災者で計1万5千人にのぼる。
対象は数十人。
東電関係では勝俣恒久前会長、清水正孝元社長ら。そして菅直人
元首相、枝野幸男元官房長官、海江田万里元経産相、班目春樹・
元原子力安全委員長ら。
原発は「国策民営」で進められ、国は規制基準の制定に責任をもち、
今回の事故処理にも関わった。それで政権幹部も含まれている。

しかし、「全員不起訴」である。
理由は、今回のような大津波は十分に予測されていたとは言えず、準備を
怠ったとは言えないということだ。
例の「想定外」の考えに立っている。
事故を検証した国会事故調の報告書は、大津波の可能性の指摘は事故
前にもあり、事前に対策をたてるチャンスはあったのに東電や規制当局は
対策を先送りした、として「事故は人災だ」と断じた。
しかし、検察は個人の罪を問うほどには明確化できないと考えたようだ。

司法の判断は細かくて難しく、しばしば一般人の感覚、常識とはずれる。
またJR西日本・宝塚線の列車脱線事故でJR西日本の元社長が無罪に
なった件(このときは検察は起訴したが判決で無罪)にもみられるように、
大事故で個人の責任を問うのが簡単でないことはわかる。

ただ、小さな交通事故でも加害者はきっちり責任をとらされる社会の中で
「全員不起訴」といわれると、「じゃあ、だれが悪いんだ」といいたくなる。

一般に原発事故の責任は原発を運転する事業者(東電)だ。
賠償責任を定めた原子力損害賠償法において、事業者だけに責任(責任
の集中、製造物責任の排除)、過失がなくても賠償する責任(無過失責任)、
賠償額は無制限(無限責任)と明確に決まっている。

一見、電力会社に厳しいようだが、東電がこの責任を果たしているかというと、
そうではない。
事故による賠償や除染費用は何兆円になるかわからず、とても東電では
担えない。
しかし、「東電を破綻(はたん)させてしまうと社会的影響が大きすぎる」と
いうことで、JALのように破綻処理させるのではなく、「必要なお金を逐次
国が注入し続ける仕組み」ができた。
形は「東電が賠償」だが、費用の多くは税金と、値上げされる東電の電気
料金からまかなわれる。

電力会社だけが責任を負う、というのも少しおかしい。
ふつう何かの製品が壊れて被害をだすと、「製造者責任」が問われ、
メーカーも責任を負う。

福島第一原発の製作メーカー(主契約者)は、1号機が米国のGE社
(ゼネラルエレクトリック)、2号機がGEと東芝、3号機が東芝、4号機が
日立である。
東電は原発の購入者、使用者であり、本当につくったのはGE、東芝、
日立だ。しかし、東電だけが表に出ている。

外国では、電力会社だけでなく、原発メーカーや周辺機器サプライヤーの
責任が追及される国もある。
事故ではないが、廃炉に追い込まれた米国のサンオノフレ原発で、
所有者の電力会社は今年、問題の蒸気発生器を納入した三菱重工に
損害賠償を求めると表明した。

福島事故直後、「東電を破綻処理すべきだ」という意見もあったが、
国は混乱を避けた。背景の一つに原子力損害賠償法の考えがある。
その第1条には「この法律は原子力損害が起きた場合の損害賠償に
関する基本的制度を定め、もつて被害者の保護をはかり、及び
原子力事業の健全な発達に資することを目的とする」とある。
「賠償」と「原子力産業の保護」が並列で書かれているのである。

こうした法体系と政治判断により、東電は、多少社員の給料が
減ったものの存続している。
そして被災者との賠償交渉では、東電側が住民に対して高飛車な態度
をとり、被災者の不満といらだちが高まっている。

このうえさらに個人の責任も問われないとなれば、何が起きるだろう。
電力会社や経産省の要職に就いてきた各個人が、事故を起こした
反省を突き詰めることや、それを通じて原子力行政や原子力路線を
変えようとする動きは今後も出にくいだろう。
責任も集団の海の中であいまいになる。

実際、原発政策に責任をもってきた経産省の官僚はいまでも
天下りを続けている。
そして事故収束の見通しがたたないのに、「電気代を上げないために
早く原発の再稼働を」「国内で原発建設が見込めないので、積極的に
輸出しよう」という声ばかりが大きくなっている。
責任を明らかにする制度も関係者の決意も欠けている。

これをどう考えればいいのだろうか。一般的に、日本人と日本の
社会機構の性質として、大きな決定、大きな被害については「結局、
だれの責任かわからない無責任の体制」があるとしばしばいわれる。
日本が第2次世界大戦になだれ込んでいった政策決定過程などで指摘
されることだ。
「国策民営」として原子力を推進してきた歴史、そして福島事故の後
始末の経過に同じ光景が見える。

そして原発事故の後始末で起きていることは、戦争の後始末である
原爆訴訟、東京大空襲など各地の空襲に関する訴訟に共通点を感じる。
こうした訴訟は、日本政府を相手に、国の謝罪、被曝による病気の
認定、空襲による被害者や遺族への補償、救済などを求めるものだが、
責任をはっきりさせることで、「二度と起こさない体制、政策」をつくる
ことも大きな目的だ。

しかし、壁は厚い。
戦争被害への責任はあいまいで、「戦争被害は国民が等しく受忍し
なければならない」という受忍論さえ使われる。
「戦争は非常事態でみんなが被害を受けたのだから、みんなが我慢」
という考えだ。
「責任」を突き詰めないまま、「みんな」という言葉が使われる。

「戦争は非常事態だから」を「巨大津波は想定外の天災だから」に
置き換えてみればいい。
二つは似ている。責任があいまいであれば真摯な総括もない。

◇

たけうち・けいじ 朝日新聞編集委員。
科学部記者、ロンドン特派員、論説委員などを務め、環境・原子力・
自然エネルギー政策、電力制度などを担当してきた。
温暖化の国際交渉、チェルノブイリ原発事故、3・11などを継続的に
取材。
著書は、電力業界が日本社会を支配するような社会産業構造がなぜ
生まれたかを描いた『電力の社会史 何が東京電力を生んだのか』
(朝日選書、2013年)。 



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