[CML 025973] フィリピンとの戦後 赦しの文化に甘えて良いのか

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2013年 8月 19日 (月) 15:40:03 JST


新聞記事・朝日新聞・8月18日

フィリピンとの戦後 赦しの文化に甘えて良いのか 
国際報道部機動特派員・柴田直治
http://digital.asahi.com/articles/TKY201308170425.html?ref=pcviewer
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マニラ首都圏モンテンルパ。
古城をおもわす白亜の建物は、フィリピン最大の刑務所の玄関である。
広大な敷地の一画にコンクリート塀で囲われた1・5ヘクタールの日本人慰霊
公園がある。
この地で処刑された17人のBC級戦犯の霊を慰める碑や塔が並ぶ。

 マンゴーの木やサボテンが茂り、遠目にはきれいだが、日本人が寄付した
トイレはクモの巣がはり、水も流れない。
ここ数年、刑務所の予算カットで電気も来ない。

 公園を長年世話する元死刑囚(65)は「訪れる日本人はぐっと減った。
以前はバスが列をなし、供え物や線香がたえなかったが、今ではチップも
さっぱり。
お年寄りに替わって学生のツアーが増えたね」。記帳者を数えると、今年は
200人足らず。

 17人が絞首刑に処された一方で、死刑囚56人を含む100人余の受刑者は
1953年7月、当時のエルピディオ・キリノ大統領の恩赦により帰国した。

     *

 「血まみれの2歳の娘の亡きがらを抱える伯父。覚えています。
泣いていました」

 首都圏の瀟洒なマンションに、キリノ大統領のめい、ミラグロス・
パシスさん(80)を訪ね、68年前の記憶を聞いた。

 「東洋の真珠」と呼ばれたマニラは45年2月、日米の激しい戦闘で焼け野原と
なり10万人とされる市民らが犠牲になった。

 キリノ氏は妻と子ども3人を日本兵に殺された。
撃たれた母のそばで泣きやまぬ2歳の娘は銃剣でとどめを刺されたという。

 第2次大戦中に海外で戦没した日本人は240万人。フィリピンでは中国
大陸の71万人に次ぐ52万人が死んだ。
一方的に戦場にされたフィリピン人は111万人が亡くなった。国民の
16人に1人にあたる。

 「人口に比してアジアで最も大なる惨禍を受けた国」(ロムロ元外相)だった。

 反日感情が渦巻いていた60年前、大統領はなぜ戦犯の釈放に踏み切った
のか。

 大統領は談話で、家族が殺された体験に触れたうえで、日本との友好が
国益にかない、そのためには憎しみの連鎖を断ち切る必要がある、と国民に
説明した。

 「フィリピンBC級戦犯裁判」を著した広島市立大の永井均准教授は、
冷戦下で米国が日比の和解を望み、キリノ政権も対日関係再建を考慮
せざるをえなかった事情や賠償交渉で日本から譲歩を得たい思惑、
日本の働きかけなどの要因を指摘。
「受難に耐えた大統領だから国民の不満をなんとか抑えて、赦し難きを赦し、
日本人を隣人として受け入れる決断ができた」と話す。

 「国内はもちろん家族のなかにも反対はあった」。
おいのアントニオ・キリノ・ジュニアさん(71)が明かす。
「それでもカトリックの赦しの文化に従ったのです」

 米国のピュー・リサーチ・センターが先月発表した国際世論調査で
フィリピンの対日好感度は78%。
マレーシア、インドネシア、豪州と並んで高かった。
一方、中国は4%、韓国は22%。
フィリピンは「もう戦争の歴史を克服した」(11日、産経新聞)との
論調もある。
果たしてそうか。

 確かに、日本人をみれば「バカヤロー」と罵声が飛んだ戦後と、隔世の
感がある。

 反日感情の沈静には、歴代政権の姿勢が影響している。
歴史問題で声高な批判は控え、記録の保存にも執着しなかった。

 なかでもマルコス元大統領は、日比友好通商航海条約を戒厳令下の
大統領権限で批准。
小野田寛郎さんが戦後29年ぶりに救出された際は、地元に被害者
感情がくすぶるなか、「兵士のかがみ」と歓待した。

 安倍晋三首相がマニラを訪問した先月27日、地元の元従軍慰安婦
らが集会を開き、「巡視船より謝罪と補償を」と求めたが、アキノ政権は
話題にもしなかった。

 中国、韓国両政府との違いは大きい。

 ほかにも日本政府の援助、民間の支援、日本に出稼ぎにいった女性
らの定着と交流などが対日感情の好転に寄与しただろう。

 しかし個々の傷が癒えたわけではない。

 マニラ戦で犠牲となった市民らを悼む碑、メモラーレ・マニラを戦後
50年の95年に建てた財団の理事長ジョン・ロチャさん(76)は家族や
親戚14人を亡くした。

 日本に住んだ経験があり、戦争を記録する日本のNGOと交流する
ロチャさんだが日本人をまだ完全には赦せないという。

 「赦しの前提は悔恨だが、過去の真実にきちんと向き合おうとしない
日本人、政治家は多い」。
そう言って6冊の本を差し出した。
マニラ戦の被害を記録した英文だ。

 日本では、フィリピン戦記や小説が多数出版された。
ほとんどは、敗走兵の飢餓や戦犯の望郷が主題だ。
巻き込まれた地元の人々の悲惨が描かれたものはまれである。

 報道も日本目線に傾きがちだ。
大ニュースといえば、小野田さんの帰還、日本人駐在員の誘拐や
殺害、日本兵発見の誤報。かつてマニラに駐在した私もその列にいる。

 現地の人が日本人に戦争の話を持ち出すことはまずない。
それでも水を向ければ「実は祖父が」「母は当時を語りたがらない」と
かかわりを語る人は少なくない。

 時の流れや彼らの寛容に甘えて、私たちが過去から目を背けて
いいはずはない。



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