[CML 025908] 下級兵士の記憶 桑名市・元日本兵・近藤一さん(2)

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2013年 8月 14日 (水) 22:24:04 JST


*http://list.jca.apc.org/public/cml/2013-August/025828.html
からの続きです

下級兵士の記憶  桑名市・元日本兵・近藤一さん(2)

朝日新聞・名古屋本社・連載記事まとめ
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下級兵士の記憶  桑名市・元日本兵・近藤一さん(1)
http://list.jca.apc.org/public/cml/2013-August/025828.html  のつづきです
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1941年秋、初年兵だった近藤一さん(93)は、約2ヶ月に及ぶ大規模な
作戦に参加した。

八路軍の攻撃を警戒しながら、中国の険しい山の尾根を行軍していた時、
「全裸の女性が、靴だけ履かされ、乳飲み子を抱いて歩いていた」と話す。
全裸の女性は目の前にいた。
古年兵が冷やかした。
「どうだ、良い眺めだろう」。
先輩兵の銃弾や食料なども持たされ、数十キロもの重荷から解放されたい、
とだけ思っていた。

休憩中だった。
疲れて衰弱している女性を見た古年兵が、歩くのに邪魔だろうと乳飲み子を
奪い取り、谷底に放り投げた。
すると、女性も一瞬のうちに後を追うように身を投げた。
休憩が終わると、行軍は何事もなかったかのように再開された。

これと重なる光景は、四日市出身の田村泰次郎(1911-83)が小説『裸女の
いる隊列』に描いている。
近藤さんより一カ月早く、同じ第13大隊の別の中隊に配属されていた田村は、
中国山西省の前線で見聞きした体験に基づき、多くの戦争小説を残した。

全裸の女性について近藤さんは解説する。
「掃討に入った集落で捕まえ古年兵たちが犯した。殺すのが普通だが、
珍しく若かったから連れてきた。裸なら逃げまい、と考えたのだろう」

集落を襲って女性を見つければ、古年兵たちは代わる代わるに凌辱した。
初年兵が「やらしてください」などと言えば鉄拳制裁を受ける羽目になる。
眺めるしかなかった初年兵も、年次が進むと、同じ行為を真似するように
なっていった。

近藤さんによると、大隊本部があった太原には慰安所があった。
将校は日本人の女性、下士官以下の兵隊は中国人や朝鮮人の女性が相手を
した。
初年兵は絶対に出入りできなかったが、2年兵以上の兵は月1回の外出日、
軍支給の避妊具を持って出かけた。

当時、1等兵の月給は8円80銭。
大半は強制的に貯金させられ、手元に残る現金はわずかだった。
慰安所を利用するには1円20銭~1円50銭必要だったと言い、略奪した物を
換金し慰安所に通う兵もいた。

日頃の花札賭博も、略奪の「温床」になった。
負けが込むと借金が膨らみ、返済のために金目のものを奪うという悪循環
だった。
銀貨や反物、骨董品などを奪って来ては、日本軍が占領した「治安地区」で
金に換えた。

あちこちの民家の壁に「東洋鬼」と書かれていたのを覚えている。

近藤一さんは1944年8月、上海から輸送船に乗せられた。
前月にサイパンが落ち、南方に送られると思っていたが、着いたのは沖縄
だった。
証言は転戦先の戦闘に及んだ。

当初、銃声は聞こえなかった。
「血まみれの戦場から解放された」
「満期除隊で家に帰れる」
が、約2ヶ月後の大空襲が淡い期待をかき消した。
45年4月1日、米軍の沖縄本島への上陸作戦が始まった。

第13大隊が陣地を構えた嘉数高地(現・宜野湾市)にいた。
艦砲射撃が降り注ぐ中、海岸を見下ろして驚いた。
「艦船がびっしり浮かび、海面が見えなかった」

兵器の差も歴然だった。
近藤さんによると、日本軍が05(明治38)年に採用した三八式歩兵銃は
米軍のM1カービン銃より約40センチ長く約1.5キロ重かった。
日本兵が1発撃つ間に米兵は5~10発も発射できた。

米軍は連日、艦砲射撃と艦載機による空爆を1時間ほど続けた後、約
30台の戦車を横並びにして前進させてきた。
戦車1台の後ろに米兵が約20人付いてきた。

日本軍は前夜に穴を掘り、木箱にダイナマイトを詰めた爆雷を持って待ち
構える「たこつぼ攻撃」で対抗した。
戦車が近づくと、手投げ弾を発火させ木箱と共に戦車の下に放り込む。
戦車に兵1人で立ち向かった。

遺体の損傷は中国戦線とはくらべものにならなかった。
「手足や頭などが吹き飛ばされ、誰だか分らんような死体ばかりだった。

5月以降、攻撃はさらに激しさを増し、米軍は火炎放射器も使った。
日本兵が隠れる壕に上から穴をあけ、爆薬を仕掛けたり、ガソリンの流し
込んだりして皆殺しを狙う「馬乗り攻撃」もしてきた。

火炎放射器を浴びると、火が軍服にべたっと張り付き、振り払っても落ち
ない。
「まるで不動明王のようになって黒こげになる。どうせ死ぬなら銃弾で
撃ち抜かれた方がましだった」

日本軍は闇夜に乗じた「斬り込み攻撃」で抵抗するしかなかった。
地下足袋を履き、2人1組で小銃と手投げ弾2発を持って、米軍が野営
する幕舎を襲うが、近藤さんの中隊で生還した兵はいなかったという。

ある夜、見送った長崎県五島列島出身の同年兵は言った。
「こんな惨めな、無意味な戦闘は初めてだ。でも、何を言っても仕方ない」
「これが最後だ。じゃあな」
振り返ったとき、泣いているように見えた。
あの時の表情が脳裏にこびりついている。

(続きます)



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