[CML 025845] 新・遠野物語 文芸評論家・東雅夫さん

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2013年 8月 9日 (金) 14:47:56 JST


新聞記事
朝日新聞・WEB
2013.8.8

新・遠野物語 文芸評論家・東雅夫さん
東北の被災地でいま、よく似た不思議な話が次々に生まれている
http://digital.asahi.com/articles/TKY201308070586.html?ref=pcviewer

岩手県遠野に伝わる幽霊やカッパ、天狗の話を集め、日本民俗学の金字塔と
いわれる「遠野物語」が刊行されて1世紀。
東北の被災地でいま、よく似た不思議な話が次々に生まれている。
古今東西の怪談に通じる文芸評論家、東雅夫さんはこれを「震災怪談」と呼ぶ。
生者の語りのなかに、震災犠牲者の思いが生きている、というのだ。

 ――超自然の不思議な話をネットで募っておられるそうですね。

 「震災前年の2010年に始めました。日本近代幻想文学のルーツとも呼ぶ
べき『遠野物語』の刊行100年を記念して、仙台の小出版社、荒蝦夷(あら
えみし)と組み、東北にまつわる怪談を集めようという『みちのく怪談コンテスト』と 

して催したんです。
これが成功し、2回目を募ろうかという矢先にあの震災が起きました。
荒蝦夷のオフィスは半壊。企画も続けるべきかどうか、考えました」

 ――こんなときに怪談なんか不謹慎だ、という批判が集まるのではないか
と恐れたのですか。

 「その通りです。
怪談といえばおどろおどろしく、グロテスクで、興味本位だという偏見がつきまとって 

いるのを承知していますから。
しかし、それは違うんです。『慰霊と鎮魂の文芸こそ怪談なんだ』と日ごろから主張
してきた、我々の存立基盤にもかかわる。
荒蝦夷とも話し合い、逆に本来の意義を訴えていこうと決めました。
幸い、批判はほとんど寄せられていません」

 「仙台で5月にイベントをしたとき、中年の女性から事前に『仕事で行けないのが
残念だ』という電話がありました。
聞けば、津波で行方不明になった息子さんの姿を街で時々見かけるというのです。
周りの人に言っても、真に受けてもらえないと。
こちらの担当者も肉親を亡くしていますから、お互い電話口で涙ぐんでいました。
幽霊でもいいから会いたい、という切実な気持ちが背景にはあるのです」

 ――2回目はどうなりましたか。

 「全国から300編近い投稿があり、私たちが大賞に選んだのが、震災でお父さんを 

亡くした20代の女性が書かれた『白い花弁』です。
淡々としたなかにリアルさがあり、震災怪談の原点だと思いました」

 「愛する家族が津波にのまれ、一瞬にして会うことができなくなったという喪失感は、 

他人には計り知れないものがあります。
深い悲しみ、悔やみきれない思いを抱えたままでは、人は生きていけない。
どうにか折り合いをつけないと前に進めない。
その一つが、書くという行為なのでしょう。
不幸で悲しい出来事ではあるけれども物語にして共有することで、書く側も読む側も、 

また前を向く力になるのです」

 「被災地以外からの創作の投稿も多数ありました。
でも書くためには、東北の街がどういうところなのか、今回の震災でどうなったのか
、知らなければなりません。
調べないと書けない。書くことによって、その現場である東北について知る。
震災の体験を共有する、という結果にもつながったと思います」

 ――こういう不思議な話は街なかでも広がっているのですか。

 「仮設住宅ではお年寄りを中心に集まって、よく『お茶っこ』をされますね。
茶飲み話に花を咲かせ、じゃあねと解散した後、ふと気がつく。
『そういえば、あのお婆ちゃんは津波にさらわれたんじゃなかったっけ』って。
でも皆さんは怖がったりしません。
あの婆ちゃんは物忘れが激しかったから、自分がさらわれたことも忘れたんだべ。
人なつっこい婆ちゃんだったからな、っていう感じなんですよ」

 「津波に襲われたある街では、荒れ地にぽつんと残る歩道橋の上に、ある
時間になると『鈴木さん』が現れるそうです。
迫る津波から逃れようと、歩道橋に向かって懸命に走っている姿が最後に目撃
された、という人です。
あと少しだったのに間に合わなかった、その無念の思いが残ってしまって現れ
るんだべ、と皆さん話しておられる。
いずれも荒蝦夷の代表が友人から聞いた話ですので、一種の都市伝説に近い
かもしれませんが」

  ――なぜ、被災地でこういう怪異譚が生まれるのでしょう。

 「東北という、自然と一体化した独自の文化を育んできた土地柄が大きい。
山深く厳しい自然。震災、冷害、大和朝廷の侵略と、いろんな苦難の歴史も
ありました。
あの世とこの世の境界線が、もともとあいまいな風土なんです。
その境界領域に生まれるのが怪談ですから。
いま生まれている話は、まさに『21世紀の遠野物語』だと思いますよ」

 ――遠野物語といえば、日本民俗学の幕開けを告げた書では。

 「そうではあるのですが、私はむしろ『怪談実話集』と呼ぶべきだと思って
います。
柳田国男が岩手の遠野出身の青年から聞き取って記録した119話のうち、
7割は幽霊や妖怪などの怪談話でした。
柳田自身、聞き取る席を『お化け会』と呼んでいた。
いま同じ作業をしているのは地方の怪談実話作家ですよ。
こんなことをいうと、民俗学者からは白い目で見られそうですが」

 「たとえば第99話は、1896年の明治三陸大津波で妻を亡くした福二の話
です。
舞台は岩手県山田町の田ノ浜。津波翌年の夏、福二は浜で、霧の中から
出てきた男女に出会います。
女は死んだはずの妻で、結婚前に仲がいいとうわさされた男と一緒だった。
男も津波にのまれたはずでした。
福二は追いかけ、妻を呼びとめて、生き残った子がかわいくないのかと問い
かけたが、妻は泣き、男と去っていく。夫は浜にひと晩立ち尽くした、という
話です」

 ――どんな思いを感じますか。

 「妻を失った悲しさ、無念さ。
それでも、せめてあの世では、別の男とではあっても幸せになってほしいと
願う人々の気持ちです。
ここ、田ノ浜は今回の震災でもまた大きな被害を受けました」

 「NHKの復興支援ソング『花は咲く』も、私からみると怪談です。
震災で犠牲になった方々が、次々に登場するタレントさんの口を通じて
『私は何を残しただろう』と、あの世からこちらの世界に語りかけてくる。
作詞した岩井俊二さんも、犠牲となったかたから生まれてくる子どもたち
へのメッセージとして想像力を働かせた、と話しておられます。
これは死者と生者の絆を、みんなで歌う一種の盆踊りですね」

 ――歌が盆踊りですか。

 「盆踊りは本来、手ぬぐいなんかで顔を隠して踊るもの。誰だかわから
なくするのです。
そうやって楽しく踊る輪なら、あの世からご先祖様が紛れ込んでもわからない。
一緒に踊り、供養されて帰っていく」

 「慰霊や鎮魂は、必ずしも神妙な顔でしなくてもいいんです。
楽しんでいい。
我を忘れて自らを解放し、無我の境地に入るからこそ死者にも近づける。
お祭りは本来、そういうものです。
その本質を忘れ、上辺だけ見るから、大変なときに浮かれ騒ぐべきではない、
自粛だ、なんていう間違った論が出てくる」

  ――とはいえ、すべてが物理現象と説明される科学の時代です。
なぜ非合理な話が広がるのでしょう。

 「死ぬと意識はなくなり、すべてが無に帰して人間は灰になる。
頭では、そんな風に理解している人が多いとは思うんです。
でも、本当にそうなのか、という不安や疑問があるのも確か。
怪談というのは死者の物語です。
人は死後どうなるのか、あの世はどうなっているのか、人間の存在とは何か、
という永遠の謎に対する一種の手がかりが含まれている。
だから、つい関心が向いてしまうのではないでしょうか」

 「特に今回の津波のように、一瞬にして昨日までの日常が奪われてしまい、
長く暮らしてきた古里が更地になってしまう無念さ、恐ろしさ、虚脱感は底深い。
日本人は古来、まさに『風土記』の時代からこうした天変地異や怪異を
書き記し、非業の死を遂げた人々の物語を能や歌舞伎にして舞い演じ
、畏怖の念とともに共有してきました。
死者の思いを世に広めることで、慰霊と鎮魂の手向けとなしてきたのです」

 ――幽霊はいると思いますか。

 「まだ見たことがないので『いる』とは断言できません。でも、『いない』とは
もっと断言できない。
これだけ様々な体験談が古来、残っているわけですから」

 「震災は、いろんな調査をへて記録として残されていくでしょう。しかし、
それはあくまでも記録。
物語になれば、子どもからお年寄りまで、より幅広い人たちに届きます。
しかも、心の奥深くに残る。人々の記憶のなかに、死者の思いが長く息づいて
いく。
それが怪談という物語がもつ大切な力なのです」

   ひがしまさお 58年生まれ。
アンソロジスト(編纂〈へんさん〉者)。
怪談専門誌「幽」編集長。
11年に著書「遠野物語と怪談の時代」で日本推理作家協会賞を受賞。


 <取材を終えて>

 平穏な日常を一瞬にして破壊され、古里も家族も奪われる。
その巨大な喪失感が、被災地で怪異譚が生まれる背景にあるのだと思った。
幽霊でもいいから会いたい、と痛切に願う人の心があれば、「見える」人も
本当にいるかもしれない。
書くことで乗り越えられる人もいるだろう。
これは幽霊が実在するかどうかとは別の話なのだ。(萩一晶)


 ■白い花弁 須藤文音(すとうあやね)さん(25)=仙台市在住

 大きく揺れた時、私は仙台のアパートにいた。気仙沼の実家にすぐに
電話をする。
「こっちは平気。お父さんが仕事場にいるけど、たぶん大丈夫よ」。
それきり連絡は途絶え、一週間後にようやく繋がった電話で、父がまだ
帰ってこないことを知る。〈中略〉

 私は知人に連れられ、近くの銭湯に出かけた。涙はお湯に溶けて
誤魔化された。
帰ろうと靴箱の鍵を外して中からブーツを取りだし、足をいれた瞬間。
ふわっ、と足の裏で何かを踏んだ。

 白い花弁が一房、靴の中に入り込んでいた。
真っ白な、今切り取られたばかりのような瑞々しさを保って、そこに
あった。〈中略〉

 二週間後、木棺に入れられて、父が帰ってきた。
顔の部分だけガラスで縁取られており、肩から下を見ることはできなかった。
水に濡れた顔は青白く、細かい傷が付いていたが、大きな怪我はなかった
ためにすぐに父だと分かる。
遺体に触る事はできなかった。触りたい。触りたい。ほんの少しでいいから。

 棺の中に隠れている、身体があるはずの方向に視線をやり、目を見張った。
胸の上に、白い花が添えられていた。
それは靴の中に入っていた、あの花と同じものだった。

 父を思い出すとき、あの白い花を思い出す。
足の裏で感じた、冷たさと柔らかさを。
そのたびに最後まで触れる事のできなかった父の濡れた皮膚を思い、
三月のひんやりとした白さと重なり、ああ、崩れたとしても触れて
おきたかった、と、思う。

 =「みちのく怪談コンテスト傑作選2011」から 



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