[CML 025837] 8/11(日)「討論会・昭和天皇の第二の沖縄処分」@文京シビックセンター

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2013年 8月 9日 (金) 06:50:35 JST


紅林進です。

私も会員になっています「NPO日本針路研究所」の主催する下記討論会の
ご案内を転載させていただきます。

(以下転送・転載歓迎)

討論会・昭和天皇の第二の沖縄処分

日時:8月11日(日)午後1時30分
場所 :文京シビックセンター 3階会議室A     
    (地下鉄後楽園駅、春日駅下車)
地図http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_shisetsukanri_shisetsu_civic.html
報告 深津真澄さん (ジャーナリスト)
資料代 : 700円主催:NPO日本針路研究所
    http://www3.ocn.ne.jp/~shinroin/

深津真澄 著『近代日本の分岐点』ロゴス刊 第30回石橋湛山賞受賞 

 米軍は1945年4月1日、沖縄本島中部の西海岸に「鉄の嵐」と形容されるほど
猛烈な爆撃と艦砲射撃を浴びせ、上陸した。この激戦の最中に天皇は、徹底
抗戦から和平模索に決意を変えたという指摘もある。 1979年になって、天皇
自身も影響を憂慮した米国の公文書が発掘された。
 進藤栄一筑波大学助教授(当時)が雑誌『世界』4月号に発表した「沖縄、千島、
そして安保」という論文で、天皇が「日本を守るためにアメリカが沖縄をはじめ
琉球の他の諸島を占領し続けることを希望する」というメッセージを独自に米国
務省に伝えていた。そうして、敗戦後の沖縄は米軍の占領下に置かれた。 
 昭和天皇のメッセージは、新憲法が公布されたあとに為されたもので、明らか
に憲法違反の越権行為である。天皇は憲法を無視して沖縄を切り捨てたのだ。
この政治的行為は、明治の琉球処分に続く昭和の沖縄処分である。戦後日本
の政治体制はどのようにして出来上がったのか。その真相を明らかにすることは、
現下の政治情勢を正確に認識するためにも不可欠である。ぜひ、討論しようでは
ありませんか!   

テキスト:『プランB』第42号 深津真澄論文    


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