[CML 025739] Re: 麻生はいかにしてセレブになったか ――「日韓(韓日)市民平和の旅」(イベント その3)に参加して

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2013年 8月 3日 (土) 11:01:27 JST


4年前、戦時中の麻生炭坑の強制労働の酷さについて学ぶ「日韓(韓日)市民平和の旅」に参加したことがあります。

そのときの参加記(他のメーリングリストに書きました)を私も参考として再掲させていただこうと思います。

Subject: 「日韓(韓日)市民平和の旅」(イベント その3)に参加して

「日韓(韓日)市民平和の旅と交流会」(韓日100年平和市民ネットワーク主催)のイベント その3「麻生炭坑訪問を中心とする
北九州地域での交流」(23、24日)に参加してきました。学ぶところの多い「旅」でした。以下、その「旅」についての感想記の
ようなものです。

「日韓(韓日)市民平和の旅」(イベント その3)は強制的に連行されて麻生炭鉱など筑豊のヤマ々々で犠牲になった名もなき
朝鮮人被連行者の慰霊の旅でもありました。23、24日のおよその旅程は次のようなものでした。

23日:
飯塚駅集合→麻生吉隈炭鉱跡→朝鮮人無縁仏石ころの墓墓参→吉隈炭鉱跡地を見下ろす高台の公園で昼食→徳香追慕
の碑(福岡県嘉穂郡桂川町吉隈)墓参。同碑前で「強制連行を考える会」代表の大野節子さん(83)から筑豊内でも「圧制と
低賃金のヤマ」として名を馳せていた麻生炭坑、同吉隈炭坑の1936年1月25日の坑内火災で犠牲となった29名(朝鮮人
25名、日本人4名)の殉難者の話を伺う。また同じく「強制連行を考える会」の柴田正彦さんから「麻生炭鉱朝鮮人争議」と
朝鮮人労働者の同麻生炭鉱からの壮絶な脱走劇の話を伺う。→株式会社麻生飯塚病院(公的病院を含めて西日本最大規
模だという)経由→麻生太郎実家経由→無窮花(ムグンファ・木槿)堂(無縁仏の遺骨を納めた堂。飯塚市)墓参。同碑前で
NPO無窮花の会事務局の吉田幸子さんから無窮花堂建立の経緯を伺う。同堂では2009年6月現在で114柱の無縁仏が
納骨されているといいます。そのうち身元が判明した遺骨は6柱。さらにそのうち4柱の遺骨は同遺骨を故国に帰納させるた
めの費用が捻出できないなどの理由からいまだに遺族に引き取られていないということでした(ご遺族の無念さを思うととも
にこれまでの日本政府の責任放棄の姿勢に対する深い憤りの念をあらたにせざるをえませんでした)。→北九州ふれあいの
家(八幡東区皿倉山麓)でシンポジウム→夕食→交流会

      参照:【徳香追慕碑】http://hasiru.net/~maekawa/mine/yosikuma/yosikuma3.html 

      参照:【麻生の炭鉱史跡】http://www16.ocn.ne.jp/~pacohama/kyosei/tikuhou.html 


24日:
小田山墓地(朝鮮半島への帰還者海難事故による無縁仏の碑など)墓参→朝鮮学校訪問(八幡東区折尾)→新日鐵(旧・
八幡製鉄)の強制動員の地・溶鉱炉を見学(私はここでみなさんとお別れしました)

特記すべきこと:
上記の北九州ふれあいの家であったシンポジウムでは、韓国側の参加者から、麻生炭坑で強制労働を強いられていた朝
鮮人労働者のうち100名の生存が確認できたこと。また、そのうち60名の証言が得られたこと。さらにそのうち20名の証
言は特に重要な証言を含んでいること(韓国政府「強制動員真相究明委員会」調べ)などが報告されました。

上記の韓国側の報告に関連して韓日100年平和市民ネットワーク運営委員の金承國さんが市民レベルの朝鮮人強制連行
真相究明のための韓国側と日本側のフレームづくりを進展させながら、その上で「圧制と低賃金のヤマ」の象徴としての麻
生炭坑のあった飯塚の地でイギリス人、オーストラリア人を含む強制動員被害者の証言大会を開催したい旨提案されまし
た。

私は上記の金承國さんのご提案はきわめて重要な提案であると思いました。

この日、私たち「平和の旅」一行は、朝鮮人強制連行の象徴の地である筑豊の土地に眠る名もなき朝鮮人犠牲者の無縁
墓地を巡ってきたのですが、飯塚市の無窮花堂で聞いた身元が判明していながら単にお金がないという理由だけで遺骨
を引き取ることのできない4柱の遺骨のご遺族がおられるという話はとりわけ胸に突き刺さりました。私たち日本人、日本
政府の責任、いや無責任を思わざるをえませんでした。

麻生炭坑強制労働朝鮮人生存者の証言とともにこの4柱の遺骨のご遺族にもぜひ証言していただきたい。いや、日本、
日本人への恨みつらみの思いの丈を述べていただきたい。その朝鮮人生存者と4柱の遺骨のご遺族の日本、日本人へ
の恨みつらみは決して負の弾劾としてではなく、きっと日本人の心骨に突き刺さり、かつ、それゆえに今後の日韓の平和
の礎ともなる証言になりうるといえるのではないか。

この日、この慰霊の旅に参加した日本側勢は、「強制連行を考える会」の大野節子さん、柴田正彦さん、無窮花の会(同
会は自治労、教組など12団体で構成されているという)の吉田幸子さん、100ネット会員で日本側の強制動員真相究明
ネットワーク呼びかけ人メンバーのおひとりの伊藤莞爾さん、筑豊、北九州地区、韓国の人脈をつなぐキーパーソンとも
いうべき裵東録さん、それに100ネット共同代表の岡田卓己さんなどなど韓国の金承國さんのおっしゃる日本側の「フレ
ームづくり」形成に欠かせないメンバーが勢ぞろいしていた感があるように思います。 


この人びとの力を結集すれば金承國さんのご提案の実現は決して非現実的なものとはいえないだろう、と私はそう思い
ました。

この平和の旅」(イベント その3)では以下の方々にもお会いすることができました。お名前がわかっている方だけしかあ
げることはできませんが、亀田博さん(100ネット関東)、鍬野保雄さん(同下関)、坂本昇さん(同長崎。同旅及び上記シ
ンポジウムでは通訳をしていただきました)などなど・・・

すばらしい方々(お世辞ではありません)とお会いできたことは私の貴重な財産になりました。ありがとうございました。
お礼を申し上げます。
                                                           (2009年10月26日記)

東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/


From: half-moon
Sent: Saturday, August 03, 2013 8:47 AM
To: '市民のML'
Subject: [CML 025732] Re: 麻生はいかにしてセレブになったか
半月城です。
麻生副総理については私も注目しています。
彼について5年ほど前に書いた文章を再掲します。

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麻生邸ツアーと麻生財閥
メーリングリスト[AML 22790]
2008.12.21
http://www.han.org/a/half-moon/hm136.html#No.980

戦時中の麻生財閥は低賃金でこき使えるなら、朝鮮人であろうとイギリス人捕虜
で
あろうと、なりふり構わず酷使していたようです。先日、麻生鉱業が外国人の捕虜を
働
かせていた事実が明るみに出されました。読売新聞はこう報道しました。
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「麻生首相の親族企業で戦時中、外国人捕虜が労働…公文書で判明」
読売新聞、2008.12.19

麻生首相の親族が経営していた旧「麻生鉱業」の吉隈炭坑(福岡県)に戦時中、3
00人の外国人捕虜がいたことを示す公文書を厚生労働省が保管していたことが18
日、わかった。
民主党の藤田幸久参院議員に同省が文書を開示した。同社の炭坑で捕虜が働いてい
たことについて、首相は先月13日の参院外交防衛委員会で「事実関係は確認されてい 

ない」と述べていた。
公文書は陸軍省を引き継いだ第一復員省などが作成したとみられ、同炭坑の捕虜収
容所に1945年5月10日から終戦の8月15日まで、オーストラリア人197人、 

英国人101人、オランダ人2人がおり、うちオーストラリア人2人が6月と7月に死 

亡したと記載されている。
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読売新聞はさらに「麻生鉱業の捕虜問題を巡っては2006年11月に米国紙が
報道した際、外務省は当時の麻生外相の指示で在ニューヨーク総領事館のホームページ 

に反論を掲載」したことも伝えました。
当時の麻生外相はその地位を利用して事実を隠蔽するのに努めたようでした。それ
に踊らされた総領事館は、今回の資料が見つかったことを受けてホームページの反論を 

撤回したとのことなので、まったく面目丸つぶれのようです。

麻生鉱業といえば、筑豊御三家のひとつですが、そのあくどさは一際目立つようで
す。鬼の特高さえ、麻生の労働者酷使について「朝鮮人が起ち上がらざるをえない状況 

があった」と語るくらいでした。その特高は麻生鉱業の実状を次のように証言しました。 

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翌7年(1932)の夏、降って湧いたような爆発的な朝鮮人争議が始まって、私がその
主務となって直接タッチすることになった。労働運動を本格的に手がけたというか、
まあ最初の仕事だから私にとっては生涯忘れられんよな。
麻生系の炭坑と三菱系の炭坑は、筑豊では朝鮮人坑夫の数が最も多く、日鉄系の
炭坑なんかはその数では問題にならん。麻生が経営する炭鉱では殆どのところで使っ
とったからね。
被差別部落出身坑夫と同様、安い労働賃金のうまみがあったからではなかろう
か。
納屋制度でがんじがらめに縛りつけられ、朝鮮人は徹底的に圧制されて働かされていた。 

その納屋制度そのものの弊害も大きいこともあるが、賃金、労働条件、待遇なんか
で朝鮮人の不満が爆発したわけだよ。賃金は安いし遅配はするし、休日はないというよ 

うに、朝鮮人が起ち上がらざるをえない状況があったからね。
納屋の頭領とか人繰りはもちろんだが、朝鮮人を人間として扱わなかった炭坑を、
個人的にもよくは思っとらんやった(注1)。
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ちなみに、麻生鉱業の強制連行について『週刊金曜日』(10/3)は「朝鮮人強制連行
で富を築いた麻生財閥」と題して、こう記しました。

「戦時中に朝鮮人を強制連行した企業名と連行者数を今日まで明らかにされている
範囲で見てみると、三菱鉱業会社が13,390人と全国トップで、麻生鉱業が10,623人と
二位(厚生労働省資料より)」

連行した朝鮮人を人間として扱わなかった「圧制やま」での暴力の横行、その典型
例が「キン玉事件」ですが(注1)、他にも麻生鉱業では多くの犠牲者が出ました。
『週刊金曜日』はさらにこう続けました。

「福岡にある麻生鉱業系列の麻生上三緒炭坑をはじめ七炭坑で死亡した朝鮮人名簿
に記載された犠牲者は、実は、ごく一部に過ぎないことがわかってきた(2006.3.3,17 

日号本誌で詳細を報告)」

先月、東京祐天寺に保管されていた遺骨が韓国へ引取られましたが、麻生財閥で
は遺骨どころか、犠牲者の調査すらろくにおこなわれていないようです。この問題を沖 

縄チャンプルーズの喜納昌吉・参議院議員が取り上げ、麻生首相に下記のような質問を 

しました。
--------------------
旧麻生鉱業の朝鮮人徴用に関する質問主意書
(喜納昌吉提出、参議院質問第51号、2008.10.10)
http://www.sangiin.go.jp/japanese/frameset/fset_c03_01.htm
私喜納昌吉が、平成十七年十二月六日、沖縄及び北方問題に関する特別委員会で、当
時の麻生太郎外務大臣に、「韓国政府は、徴用朝鮮人の遺骨の収集やその返還について 

の問題を日本側と話し合っているが、戦時中などに多数の朝鮮人を徴用した旧麻生鉱業 

の関係資料が提出されていないとして、同政府が資料の提出を平成十七年十一月二十八 

日に求めた件に関し、韓国側が要求している旧麻生鉱業の資料を提出するかどうか」と 

質問したところ、麻生大臣は「個別の企業に対し特定の資料の提出を要求されたことは 

ないが、調査してみたいと思っている」という主旨の答弁をした。
よって、内閣総理大臣となった麻生元外相に以下質問する。

一 その後、この件に関して旧麻生鉱業ないしその後身の企業は、資料に関する調査を 

実施したか否か、理由と共に明らかにされたい。
二 調査をしていない場合、今後速やかに調査する意志があるか否か、明らかにされたい。
三 調査が行われた場合は、その内容を明らかにされたい。
四 麻生総理は日韓関係重視を口にしているが、ならばなおさらのこと、韓国政府が強 

い関心を抱く旧麻生鉱業関連の資料について、総理として率先して事実関係を明らか
にし、それを速やかに韓国政府に伝えるべきではないか。見解を問う。
--------------------

この質問書に対し、麻生太郎首相は「民間企業等との関係もあり、個別の調査対象
を明らかにすることは差し控えてきている」として真実を明らかにしようとはしません 

でした。麻生財閥の罪科が明るみに出されることを恐れたのでしょうか。
これでは遺骨は浮かばれません。生前は人間として扱われず生き地獄を味わった
末、屍すら行方知らず・・・もし、それが自分の父親だとしたら、考えるだけでもいた 

たまれない気持ちです。
朝鮮人や被差別部落出身者などの膏血をすすって財を築いた麻生財閥、その御曹司
なればこそ「ホテルのバーは安全で安い」と豪語できるのでしょう。そんなセレブが住 

む豪邸はまさしく一見の価値がありそうです。

(注1)半月城通信<麻生太郎「創氏改名」発言の背景>
http://www.han.org/a/half-moon/hm096.html#No.700

  (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/



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