[CML 025674] なぜ「風立ちぬ」は戦争肯定映画なのか

上原丘 spilliaert at jcom.home.ne.jp
2013年 8月 1日 (木) 00:24:45 JST


CMLの皆様

CMLの読者は映画は見ない人が多いようなので言わずもがなの事を書きます。

映画を見ていない人でもわかるなぜ「風立ちぬ」が戦争肯定映画か。

理由:
1、戦時中に戦争に強くかかわった実在の人物の話なのに戦争の様相や意味は
まったく描写せず、全体を楽しげな夢で物語を終わらせるから。

こうした物語が戦争肯定なのは、これに例えればわかるはずです「原爆やB29
を開発した技術者の開発での苦闘の様子と輝かしい成功、そして恋人との愛情を
描いておきながら、被爆者の様子はまったく描かない映画」。こうした映画は原
爆投下を肯定する立場でないと制作できません。そして実際アメリカではそうし
た映画が何本も制作されており、最初のもの「始めか終りか」
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=17972は占領下の日本で意図
的に公開されています。またスミソニアン博物館でのエノラゲイ展示の方法も同
じ枠組みになっています。
 戦争を肯定する側は、戦果と明るい面を強調し、戦争を批判する側は被害と暗
い面を強調する、これは映画においては事実です。宮崎駿はそれをよく理解して
いるはずです。
 なお映画「風立ちぬ」の中で戦争・戦闘の描写はまったくありません。


2、より具体的に言えば、この映画では、批判され戦争反対の種になる「残酷な
殺人の機械」を批判のおきにくい「美しい機械」として観客に錯覚させるよう作
られているからです。
 映画を見たある女性はクライマックスで主人公が設計に成功する飛行機は、単
に何かの試作機としか理解していませんでした、つまり主人公の好きな「美しい
飛行機」と受け取った訳です。しかしあれは明らかに九六式戦闘機であり、それ
は製造直後に中国戦線に投入され多大な成果をあげました、つまり多くの中国人
兵士を殺した残酷な機械だということです。
 宮崎駿は「風立ちぬ」に零戦を登場させないだけでなく、公開した映画の中で
も意図的に戦争を隠しているという事です。

CMLの一読者
以上


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