[CML 023924] 主権と回復 慶応大学教授・片山杜秀さん
BARA
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2013年 4月 27日 (土) 11:28:10 JST
新聞記事
朝日新聞2013.4.27朝刊
http://digital.asahi.com/articles/TKY201304260492.html?ref=comkiji_redirect
4月28日、安倍政権は「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を開き、天皇、皇后両陛下も出席する。
閣僚の靖国神社参拝などと相まって国家主義的な動きが強まっているように見えるが、政治思想史家の片山杜秀さんは「国民国家が
崩壊過程にあるからこそ起きる現象だ」と語る。
いったいどういうことなのだろうか。
――「主権回復の日」をどうみますか。
「実に『安上がり』な国民統合の仕掛けですね。
安倍政権が主権や国防軍、日の丸、君が代といったナショナルなシンボルをやたらと強調するのは『もう国は国民の面倒はみない。
それぞれ勝手に生きてくれ』という、政権の新自由主義的なスタンスと表裏の関係にあります」
「日本という国は明治以来、天皇の下で国民統合が図られてきました。革命が起きて天皇制がつぶれたり、共和国になったりすることを
ずっと怖がってきて、社会主義や共産主義を抑圧しようと幸徳秋水を殺し、大杉栄を殺し、治安維持法を制定し、その一方で国民に不満を
持たせないように、食わせるための努力をしてきた。
社会党や共産党よりも天皇を仰ぐ私たち保守の方が皆さんを食わせることができますよと、実際に札ビラを見せながらやってきたのが
戦後自民党で、池田勇人の所得倍増計画はその典型です。
しかし今の安倍政権はそういう保守ではもはやない。
税金や徴兵など国民に犠牲を強いるかわりに後々までちゃんと面倒みるよ、というのが国民国家ですが、安倍政権の国家観はすでに
そこからズレていっています。
そのことをまずは深く認識すべきです」
――どういうことでしょうか。
「例えば自民党の改憲草案では、わざわざ条項を新設し、『家族は、互いに助け合わなければならない』とうたっています。
オールド左翼は『天皇を家長とする家族主義的国家の復活だ』といった方向から批判をしていますが、全くピントがずれている。
これは自助努力の文脈で捉えなければなりません。家族で助け合ってくれれば安上がりですから」
「草案には天皇の元首化や国防軍の創設なども盛り込まれているため『右傾化』『軍国主義』といった枠組みで批判されがちですが、
問題の本質を見誤っています。
安倍政権の特質をひとことで言うなら『安上がり』です。
国民の面倒はみない、でも文句を言わせないための安上がりな仕掛けをたくさん作っておこうというのが安倍政権の改憲路線です。
国民皆兵にして海外で戦争を……なんて考えているわけがない。
面倒なことは少しでもやりたくないというのが新自由主義ですから」
「ただ、面倒をみなければ当然、国家としての凝集力は弱まります。
富裕層は国外に流出するかもしれないし、貧乏人は暴動を起こすかもしれない。
さあどうするか。以前のようにお金をバラまけないのなら、とりあえずは精神で統合をはかるしかありません。
日の丸。君が代。靖国神社。主権回復の日。
あるいは国民栄誉賞もそうかもしれませんが、『俺たちは日本人だ』という雰囲気を盛り上げ、つらい目にあっている人ほど持っている
『連帯したい』という感情を糾合し、文句を言わせないようにしようと。
安倍政権を礼賛している右寄りの人たちは、実は自分たちも切り捨てられる側にいることに気づいていないし、左の人たちは批判の
ポイントを間違っていて、その意味では両方ともうまくごまかされてしまっています」
■ ■
――確かに、式典を批判する側の足場は「沖縄の心」に偏っていて、どうにも心もとない感じです。
「サンフランシスコ講和条約と同時に日米安保条約が結ばれたことによって、主権とアメリカ、どちらを立たすか難しい『二頭立て』の状態が
現在も続いています。
沖縄にとって4・28が『屈辱の日』であるのはその通りで、それを祝うなんて沖縄に失礼だ、申し訳ないというのはひとつの正しいロジックです。
ただそれは逆にいうと、沖縄を犠牲にして本土はいい思いをしたということを裏で認めることになる。
真っ先に語られるべきは、4・28は日米安保とセットだったということで、『沖縄が怒っている』ではない。
沖縄に極端に出ている問題を本土もまた抱えているのだという視点を強調せずに、沖縄に寄りかかって批判していると、筋がズレてしまいます」
――式典には天皇も出席します。
「『最低価格』での連帯感の維持を考えた時、最も有効なのは天皇を政治的に利用することです。
天皇が来なければ、せっかくの式典の価値が減じます。
国歌や国旗と違って、天皇は生身ですから。
お言葉を発したり歌を詠んだりすれば、別に懐は温まらなくても『日本人でよかった』という連帯心が醸成される。
日本に天皇がいなかったら、国民統合にかかるコストは今とは比較にならないくらい高くついたでしょう」
「今上天皇はまさにアメリカが占領時代に日本に植えつけた民主主義的な価値観を、ある意味最も体現している人物でもある。
もし自らの意見を表明することが許されるなら……。
一番よくわかっておられる。そう信じています」
――安く上げるために、利用価値があるものは何でも利用すると。まさに新自由主義的ですね。
「安倍政権が戦後の保守とは質を違えていることはまさに、4・28で歴史に線をひくという発想に現れています。
軍国主義から平和主義へ。天皇主権から国民主権へ。
天皇のいる民主主義国家をつくり、守っていくための仕掛けは、占領時代、日米の絶妙な政治的駆け引きによって生まれ、だからこそ
自民党の長期政権も可能になったのです。
4・28以前の日本は占領軍に手足を縛られ、何も思うようにできなかったかのごとく言うのは、歴史の歪曲(わいきょく)であり、戦後
保守の自己否定です」
「さらに占領期のネガティブな面を強調し、4・28を一種の解放記念日のように位置づけることは、反米ナショナリズムに火をつけ、
自主防衛、日米安保破棄論につながりかねません。
反米世論を抑え、アメリカを『番犬』にしながら日本を豊かにして国民に分け前を与えるというのが戦後保守の王道なのに、下手をすると
その構図を壊しかねません」
■ ■
――それでもあえて4・28を強調するのはなぜでしょうか。
「改憲への地ならしにしたいという意図ははっきりしています。
『憲法は占領時代に押し付けられた。自分たちでつくり直さなければ真の自立とはいえない』という言説を振りまき、そうだったのか、じゃあ
とりあえず96条を改正して憲法を変えやすくした方がいいかもしれない、という世論を形成したいのでしょう」
――憲法を変えれば日本は良くなるなんて、ずいぶんナイーブというか精神主義的な議論ですね。
「日本の精神主義は、『持たざる国』であることからきています。
地政学上、日本のライバルは中国、アメリカ、旧ソビエトですから、嫌でも資源に乏しい国であることを自覚せざるを得ません。
その結果、人口が足りないから産めよ増やせよとか、資源を求めて植民地主義に走るとか、現実を直視せずに常に背伸びをして頑張る、
頑張っていればきっとそのうちなんとかなるさ……という習性が身についています」
「背伸びをさせるには精神主義しかありません。
戦争中、レーダーを開発するお金がなくても、日本人は目がいいから大丈夫だとか、空襲も音で判断しろと学校でレコードを聞かせ、
『これはB29だ』と教えている。
体が小さい日本人は大きくて小回りが利かないアメリカ人よりも戦闘機乗りとして有利だと、本に真面目に書いてありますから。
『持たざる国』だという現実を美化するためのロジックは無尽で、あとは精神力でカバーすればなんとかなると。
そうやってずっとやってきたのです」
■ ■
――為政者にしてみれば、安上がりな統治がしやすいと。
「そういうことになりますね。安上がりに済ますにはうってつけの精神的風土があることは疑いない。
ただ、それでも戦前の日本は、『この戦争に勝てば大東亜共栄圏ができて日本は繁栄する』と、将来のビジョンを示している。
所得倍増計画だって、みんな電化製品に囲まれていい暮らしができるよというビジョンを見せて、それなりに実現させることによって国民を
統合していました。
ところが、今の安倍政権はビジョンを見せたり約束したりはしてくれません。
『美しい国』なんて何の実態もないし、『アベノミクス』もお祭り囃子(ばやし)に過ぎないでしょう。
踊れや踊れ、でもその後は自助だよ知らないよと開き直るのは、日本においては新しい統治のパターンです」
「そもそも日本が国民国家であるということが、もはや当たり前ではなくなってきています。
フランスでは高額な税率を嫌い、有名人が実際に国籍を捨てている。高度資本主義国家のたどる末路です。
安倍政権は、日本も将来、そういう国にならざるを得ないというビジョンは持っているのではないでしょうか。
国民国家が崩壊の過程にあるからこその、主権の強調。今回の『主権回復』をめぐる動きは、そういう歴史の皮肉として捉えられるべきです」
(聞き手・高橋純子)
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かたやまもりひで 63年生まれ。
専門は政治思想史。音楽評論家としても活躍し、東京芸術大学で非常勤講師を務める。著書に「未完のファシズム」など。
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