Re: [CML 023865] 首都圏反原発連合原発連合(反原連)と福島集団疎開裁判の会の「断絶」はなにゆえに生じたのか ~他者を誹謗中傷してやまない田島直樹氏のCML上の投稿の問題性とも関連して
Yabuta Tohru
ynntx at ybb.ne.jp
2013年 4月 24日 (水) 18:23:32 JST
藪田です。
そうですか。首都圏反原発連合原発連合(反原連)は、福島集団疎開裁判の会とは決別していたのですか。
福島集団疎開裁判の会は、薄い科学論拠の上に、勢いだけはやたらに強いところですから、どうなるものと思っていましたが、
>「疎開に賛同しない反原発運動はニセモノ」
>「権力の手先」
まで、言っていたとは。まあ、スタート段階でインチキ科学者クリス・バズビーを看板にしていたような団体ですから、最初から、つまづいていたと思っていました。
まあ、今晩の二審判決を楽しみにしてましょう。
-----Original Message-----
From: higashimoto takashi
Sent: Wednesday, April 24, 2013 2:46 PM
To: 市民のML
Subject: [CML 023865] 首都圏反原発連合原発連合(反原連)と福島集団疎開裁判の会の「断絶」はなにゆえに生じたのか ~他者を誹謗中傷してやまない田島直樹氏のCML上の投稿の
問題性とも関連して
これまでも私は田島直樹氏のCML上の投稿のそのあまりの恣意的独善の論理を繰り返し(おそらく10数回にわたって)批判して
きましたが(彼は聴く耳を持ちませんでした。そうした姿勢はいまだに続いています)、とりわけここ数回の田島氏のCMLへの投稿
とその言説は、私を含む他のCML投稿者を本人の認識不足でしかない主観にまかせて誹謗中傷して他者を貶めること甚だしく目
に余るものがあります。
その田島氏の最近の投稿とは以下のようなものです。
(1)Re: 黙秘権...例外ありか米国の 司法の危機だボストン事件(CML 023844
2013年4月23日)
> ちなみに、この御仁は放射能受忍運動の旗頭で<twitterのミスターエートス>と私が呼んでる御仁です。
*上記は自分の主張は絶対的に正しく、その「正しい」おのれの主張を批判するものはすべからく「放射能受忍運動」
論者であるとして自分は「善」、自分を批判する対象は「悪」とする典型的な「自己愛」型の病理の論というべきもので
す(wikipedia「自己愛性パーソナリティ障害」参照)。ちなみに田島氏の認識によれば、「エートス運動」はすべからく
「放射能受忍運動」ということのようですが(この「エートス運動=放射能受忍」の説というのは、「原発被災地の福島現
地での住民たちの真摯な取り組みを、「取り返しのつかない疾病を引き寄せ、健康を阻害させてしまう恐れを一生背負
わせることになります」などと偏頗な情報に基づいて最大級の悪罵をもって一方的に非難する論のことをいいます)、
こうした論の誤りについては私も「『福島のエートス』運動への誤解の『拡散』について」(弊ブログ 2012.08.19)という記
事の中でも指摘しています。
http://bit.ly/TIBfUn
(2)いやはや、とほほ 護憲の基本壊す(CML 023826 2013年4月21日)
http://list.jca.apc.org/public/cml/2013-April/023692.html
> 選りによって護憲の旗振が、御用学者も驚く放射能安全デマの鳥越俊太郎さん…と、「子供は放射能に強い」デマ
> の池田香代子さんだとは!いやはや、とほほ 護憲の基本壊す運動の行末に激しく欝。
*おのれの主観の説にそわない者の説はここでも「御用学者も驚く放射能安全デマ」「『子供は放射能に強い』デマ」
などと最大限の悪罵の言葉を投げつけられています。
(3)Re: 天木直人氏のナンセンスな主張と同氏の政治認識のどうしようもない幼児性について再び論じる(CML 023816 2013
年4月21日)
http://list.jca.apc.org/public/cml/2013-April/023682.html
> 原子力村、放射線村のいうがままに、鸚鵡返しして吟味もせず、放射能による身体影響を無視するのも「政党の
> 真面目」なのでしょうか?あなた様のような方々がほざく、「護憲派の大団結」などクソ喰らえです。放射線被害を
> うける少数者を無視する「護憲」など、ナンセンスでしょ、
*「政党」のことはここでは措いておくとして、少なくとも私は「原子力村、放射線村のいうがままに、鸚鵡返しして吟味
もせず、放射能による身体影響を無視」した覚えなどありませんが、そうした根拠などまったくない虚偽を平然という。
ここでも同氏の主張の主観性、そうした主張の脱原発運動に対する「限りない負の影響」は明らかだといわなければ
ならないでしょう。
さて、本メーリングリストの参加者でもある泥憲和さんが「神戸勤労会館で開かれた『これからの「脱原発」の話をしよう 池田香
代子×野間易通』に参加しました」(「市民社会フォーラム」ブログ 2013.04.23)という記事を書かれています。同記事は首都圏反
原発連合(反原連)と福島集団疎開裁判の会の「断絶」という重たい事実を紹介した上で、両組織はなにゆえに「断絶」するまで
に到ったのか。その背景と理由を問うて重要な記事ですが、上記の田島直樹氏の主張に象徴される「他者を誹謗中傷して貶め
る」主張は、結局奈辺にゆき着くのか。その批判としても有用、有効な記事ともなっているように思います。そういう意味でも、以
下ご紹介させていただこうと思います。
■神戸勤労会館で開かれた『これからの「脱原発」の話をしよう 池田香代子×野間易通』に参加しました(「市民社会フォーラム」
ブログ 泥憲和 2013.04.23)
http://civilesociety.jugem.jp/?eid=20856
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
昨日、関金神戸支店前行動のあと、神戸勤労会館で開かれた『これからの「脱原発」の話をしよう 池田香代子×野間易通』に
参加しました。
たくさんの示唆に富むお話を興味深く聞かせていただきました。
首都圏反原発連合の野田さんが語った中で驚いたのが、反原連が「福島集団疎開裁判の会」と関係を断った話でした。
原因は誹謗中傷だと野間さんは語りました。
反原連は反原発だけを共通目標にかかげています。
反原発派の中で意見が分かれている「がれき」や「疎開」については組織として意思表示せず、各自の判断に任せてきました。
疎開訴訟の人たちは、反原連のそういったスタイルに満足しなかったようです。
「疎開に賛同しない反原発運動はニセモノ」
「権力の手先」
などという批判を、反原連に投げ掛け続けたそうです。
仲間に対してその態度はないだろうというのが、反原連の言い分です。
4ヶ月に及ぶ折衝でも溝が埋まらなかったとのこと。
結局、反原連が関係を断つ決断をしました。
残念に思いますが、この動きから学ぶものは多いのではないでしょうか。
まず、いかに自分が正しいと信じていても、自分の見解を外に押し付けてはならない。
違う立場をも尊重するのは相手のためのみならず、自分のためでもあるからです。
独りよがりの視野狭窄に陥る危険を避けるためには、客観性を保持しなくてはなりません。
つぎに、仲間に対する礼節を失ってはならない。
共闘しようと思うのなら「権力の手先」などと面罵すべきではないと思います。
疎開裁判の人たちは、自分が「権力の手先」認定した相手から関係断絶を告げられたことを、非難してはならないでしょう。
本当に「権力の手先」だと思うなら、そんな相手に共闘を求めるのは筋違いだからです。
聞いていて私は、運動のヘゲモニー争いの不毛性に思いが至りました。
反原連批判の中には、ヘゲモニー争いを動機とするものがあったと思います。
疎開裁判の人たちが必ずしもそうだというのではありませんが、反原発運動の中にヘゲモニー争いを持ち込むのは愚かで
す。
反原発運動は、放射線が危険であるという認識をベースにしています。
しかし、そこから始まって、放射線をなるべく危険に評価するのがより正しいかのような、いわば「放射線危ない競争」みたい
な形に走ると、間違いになるでしょう。
「我々こそが放射線を最も徹底的に否定しているゆえに、我々こそが最も正しいのだ」
「正しい我々に同調しない◯◯は、放射線を容認しているのと変わらない」
「それは推進派と同じことである」
こんな風に内部矛盾を自ら作り出して論争を引き起こすことで、結果的に運動に不団結を持ち込んで力を弱めているのに、
本人は自分が一番純粋で非妥協的かつ戦闘的でよくやっていると思い込んでいます。
だからつぎには、正しい自分たちの主張が広がらないのは自分たちに原因があるのではなく、妨害者がいるからだと思い
こむ人が現れます。
「明らかな敵は、誰にでも敵とわかる」
「許せないのは、まるで味方のような顔をして妨害する連中で、これこそが最も悪質なんだ」
と言うのです。
「あいつらさえいなければ、我々の主張がもっとストレートに受け入れられるはずだ」
「正面の敵を叩く力をつけるには、その前にまず味方のふりをした敵を叩いて、運動をまっすぐにしなければならない」
「正しい我々が運動全体のヘゲモニーを握らねばならない」
こんな理路で仲間攻撃を始めて、しまいに運動を壊してしまう。
これがヘゲモニー争いの帰結です。
こういった傾向が、反原発運動にもぼちぼち見受けられます。
それはとても悲しく残念なことです。
ともかく原発なくせという大枠が一致していれば、個別課題で意見が違って論争となることがあっても、少なくとも敵認定し
たり妨害者よばわりしない、意見の違いは節度をもった対話で調整していくという運動のやり方を身につけなくては、「これ
からの脱原発」の道は厳しいのではないかなと、いまそのように思っています。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
追記:上記の記事は田島直樹氏宛てに書いているものではなく、CML読者のみなさま宛てに書いているものだということを
お断りしておきます。
東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/
CML メーリングリストの案内