[CML 023655] 雨ニモマケズ 反省セズ(4)
Maeda Akira
maeda at zokei.ac.jp
2013年 4月 12日 (金) 11:46:32 JST
前田 朗です。
4月12日
前回の(3)の続きです。
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『マスコミ市民』514号(2011年11月)
拡散する精神/萎縮する表現(8)
雨ニモマケズ 反省セズ(3)後半
他の作家であれば、何を読み、誰に影響を受けたのかは、重要な研究テーマで
ある。日記や手紙を多く残した作家であれば、何月何日に何を入手して読み、そ
れがいつの手紙に影響を与えている、といった研究は必須不可欠である。石川啄
木であれば、いつ幸徳秋水のクロポトキン訳を入手したのか、 原書を入手して
いたのか、いつ平出修弁護士から大逆事件記録を借りて、どこまで読んで、何を
書き写したかを、啄木研究者は懸命に追跡してきた。
ところが、賢治の伝記は、智学を隠蔽するため、賢治研究が成り立たなくなって
しまう。「智学と賢治」は必須課題なのに直視しようとしない。賢治について事
実を知りたくない。賢治を信じていない。信じているのは、おそらく「賢治の
ファンである素晴らしい私」だけだろう。
智学とはいかなる存在であり、いかなる 「思想」を残したのか、何をしたのか
を徹底解明すること。賢治は智学にいかにして出会い、なぜ入信したのか、何を
読み、いかなる影響を受 けたのか。何月何日の「天業民報」を、どのようにし
て入手し、どのように読んだのか、日記や手紙に何らかの影響を確認できるの
か。一〇年間に渡って、つぶさに調べるのが普通である。その上で、智学から影
響を受けた賢治が、どのようにして自らの思索を練り上げて、あの作品世界を作
り出した のか。賢治の世界観はいかにして智学をも乗り越えたのかに進むこと
も重要だ。そうでなければ、いつまで経っても後ろ暗い賢治のままだろう(批判
的分析を試みたものとして、山口泉『宮 澤賢治伝説』河出書房新社)。
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以上の私の文章に対して、先に紹介したジャーナリストの熊谷伸一郎氏からの批
判以外に、批判・反論はありませんでした。宮沢賢 治ファンには無視されたの
でしょう。『マスコミ市民』は文芸雑誌じゃないし。
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