[CML 023629] 「第22回 水戸喜世子氏(元救援連絡センター事務局長)に聞く」
Maeda Akira
maeda at zokei.ac.jp
2013年 4月 11日 (木) 13:13:22 JST
前田 朗です。
4月11日
大山先輩
> 小嵐九八郎さんて、救援連絡センターの運営委員を希望されたことがあります。
>
> 数年前の運営員会だったけど、「なんで断ってしまうの? もったいない」と感じた記憶がありますね。
それは知りませんでした。
3年前、韓国併合100周年の時に、ソウルで一緒に呑みました。
>
>> 前田 朗です。
>> 4月11日
>>
>> 東本さん
>>
>> ご教示ありがとうございます。
>>
>> 当時のセンターのことは知らないので、とても参考になります。
>>
>>
>>
>> 図書新聞の最新号(2013年04月13日号)**に救援連絡センター初代事務局長の水 戸喜世子さん(1935年生)の 長いインタビュー
>>> 記事が掲載されています。聞き手は小嵐九八郎さん(**1944年生。作家・歌 人)。
>>>
>>> ■< 60年代・70年代を検証する>第22回 水戸喜世子氏(元救援連絡セ ンター事務局長)に聞く
>>> デモが高揚した時代は救援運動の時代だった──**反原発を牽引した夫・水戸巖の 遺志は蘇る【長尺版】
>>> http://toshoshimbun.jp/books_**newspaper/week_description.**
>>> php?shinbunno=3106&syosekino=**5988<http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3106&syosekino=5988>
>>>
>>> 水戸喜世子さんといえば救援連絡センター初代事務局長というより**も、いまで は1970年代初めから反原発運動の草分けを担
>>> った原子核物理学者の故水戸巖さん(**53歳のとき当時京大の大学院生と阪大 の学生だった双子の息子2人と親子3人で北ア
>>> ルプスの剱岳で遭難死)のお連れ合い(「糟糠の妻」)**とご紹介した方がとお りがよいかもしれません。水戸喜世子さんに関して
>>> たとえば昨年の東京新聞の「こちら特報部」(**2012年9月18日付)には以下の ような見出しの記事が掲載されていました。
>>>
>>> 「運動を引っ張った核物理学者故水戸巌さん 妻・喜世子さん い ま声上げる」「夫の遺志 伝えねば」「曲げなかった反
>>> 原発」「息子と遭難死 喪失感乗り越え」「黙っていては変わらな い」(下記のブログ記事の最下段参照)
>>> http://www.a-totosha.com/cn44/**imaomou.html<http://www.a-totosha.com/cn44/imaomou.html>
>>>
>>> この長文のインタビュー記事によって水戸巖さんが単に反原発運動**の草分けを 担った原子核物理学者だったということだけでな
>>> く、日高六郎氏、羽仁五郎氏らとともに現在の「**救援連絡センター」の創立に 関わり、妻・喜世子さんとともに同センターの日常業
>>> 務(封書の宛名書きや発送)**をこなす事務局の職を担った秀逸で地道な市井の 市民活動家でもあったことがわかります。改めて
>>> 水戸巌さんが一個の人間(研究者・市民活動家)**としてどれほどかけがえのな い存在であったかを思い知らされます。そして、そ
>>> こに浮かび上がってくるのはいつも夫とともにあった喜世子さんと**いう無名の 研究者、市民活動家の存在でもあります。
>>>
>>> この長文のインタビュー記事は水戸巌さん、**喜世子さんが結婚した時期から語 られ始められます。この時期は、60年安保闘争
>>> を経てやがてベトナム反戦運動やいわゆる全共闘運動などの活動が**激化して いった時期と重なります。救援連絡センターの設
>>> 立はそうした活動に従事する主に学生たちに逮捕者が続出し、**その学生たち、 労働者たちを救援することの緊急性と必要性か
>>> ら立ち上げられるという経緯を経ていくわけですが、**それ以前から大衆の救援 組織としては国民救援会という存在がありました。
>>> なにゆえに国民救援会ではなく救援連絡センターの設立なのか、**という問題。 続出した党派間の内ゲバの問題とその逮捕者の
>>> 救援はいかに、という問題。**さらには連合赤軍事件の逮捕者と救援との関係。 問題視角によってはそれこそ論争上の「内ゲバ」
>>> 問題が生じかねない問題群が山積していますが、**救援連絡センターサイドから のまたとない貴重な資料と歴史的証言の提供に
>>> なっていることはたしかです。
>>>
>>> それだけではなく、**水戸巖さんの北アルプスの剱岳における息子さんおふたり を含む親子3人での遭難死。それに続く喜世子さ
>>> んの夫とご子息ふたりを一瞬に亡くした絶望のあまりの「死」**の誘惑の日々の 述懐は陳腐な言い方しかできませんがやはり胸の
>>> 痛みを忘れて読むことはできません。
>>>
>>> それだけに喜世子さんのいまの若者たちに託そうとするインタビュ**ー記事の最 後の言葉は胸に響きます。
>>>
>>> 「絶望しそうになっても絶対死ぬな、と伝えたい。今生きていて、 闘えて、本当に良かったと思えますから。もう一つありま
>>> す。六〇年代、七〇年代から学ぶこと。そうすれば権力に追いつめ られるのではなく、権力を追いつめ原発ゼロを実現
>>> する展望がはっきりと見えてきますよ。」
>>>
>>> 全文の紹介はあまりに長いので省略します。**ぜひ下記の長文インタビュー記事 をお読みください。
>>>
>>> ■< 60年代・70年代を検証する>第22回 水戸喜世子氏(元救援連絡セ ンター事務局長)に聞く
>>> デモが高揚した時代は救援運動の時代だった──**反原発を牽引した夫・水戸巖の 遺志は蘇る【長尺版】
>>> http://toshoshimbun.jp/books_**newspaper/week_description.**
>>> php?shinbunno=3106&syosekino=**5988<http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3106&syosekino=5988>
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>>> 東本高志@大分
>>> higashimoto.takashi at khaki.**plala.or.jp<higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp>
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