[CML 019895] 放射線のリスク・コミュニケーションと合意形成はなぜうまくいかないのか?(8)

Yasuaki Matsumoto y_matsu29 at ybb.ne.jp
2012年 9月 18日 (火) 21:30:29 JST


みなさまへ     (BCCにて)松元

「安全神話」の学問的裏づけに邁進する被爆国日本の「研究者」たちに注目して
きた東京大学の島薗進氏が、あらたに、「放射線のリスク・コミュニケーショ
ンと合意形成はなぜうまくいかないのか?」という連載を開始しました。

放射線リスクの「「専門家」の役割と責任を明らかにしておきたい」という著者
の了解を得て、連載を紹介させていただきます。
今回その(8)は、山下俊一氏はリスコミをどう理解してきたのか?、です。

◆ブログ:島薗進・宗教学とその周辺より
http://shimazono.spinavi.net/

=====以下、その(8)全文転載(改行をしています)=====

■放射線のリスク・コミュニケーションと合意形成はなぜうまくいかないのか?
(8) ――山下俊一氏はリスコミをどう理解してきたのか?

長瀧氏の指導の下、その「手足となって」働いた(下記資料 での本人の弁)山
下俊一氏は、とにかく住民を「安心させる」ことを至上命題としてチェルノブイ
リでの検査・調査にあたった。「すぐに感謝されたのはセシウ ム137をホー
ルボディカウンターで測定して、その体内被曝を心配しないでよいと子どもたち
や親たちに知らせてからです」。笹川チェルノブイリ医 療協力事 業を振り返る
座談会(2004年12月)http://t.co/vAtjH8gn で山下氏はこう発言している
(p17-18)。「そこではじ めて現場 は安心するのです。それしか現場ではすぐ
に結果が出ないのです。ですから、まずは心配要らないと伝えられることがまず
第1ですね」(p18)。 「結果が出 ない」というがどういう結果なのか。

 チェルノブイリの内部被曝は現福島よりもだいぶ高かったと主張する日本の科
学者も少なくないhttps://t.co/MRmvcxjQ 。だ が、日本 側は放射線の内部被
曝についての研究蓄積はもっていなかったはずだ。原爆の被害について放影研で
は内部被曝はありえないという前提で進んできてお り、研究 蓄積はわずかだっ
た。何を根拠に「安全」と述べたのか。根拠はなくても医師が「被害はない」と
述べることで、地域住民の「不安をなくす」ことがで き、それ こそがもっとも
重要な医師の役割だ――長瀧氏に従って山下氏もそう考えているようだ。

 だが、そのような確言は反証されてしまうことがある。事実、その後、内部被
曝由来と思われる甲状腺がんが多数見つかることになった。実は、山下 氏はそ
の 一方で甲状腺が疑われる子どもの触診をしていた。「とんでもないことが現
地では起こっているのではないかと 漠然とした不安がありました」(p18)と山
下氏は述べている。山下氏は医師としての科学的知見からは「不安」をもってい
たのに、心理的な配慮から現地の 人々には「心配要らない」と伝えたらしい。
このような情報の隠蔽は限りなく虚偽に近づいていくが、「不安をなくす」「精
神的影響」に配慮するとい う理由に よって正当化されてしまう。

 長崎大のグローバルCOE「放射線健康リスク制御国際戦略拠点」ではリスク
コミュニケーションを取り上げ、2009年と10年に講演会や座談会 を行いそ の記
録を冊子にした。そして2012年にはその合冊版柴田義貞編『放射線リスクコミュ
ニケーション』(長崎大、2012年)を刊行している。そこ に収録さ れた土屋智
子氏の講演の質疑応答で、山下氏はこう述べている「我々も広島・長崎から来た
というだけで住民は信頼してくれました。被災者に対する目 はお母さ ん達の心
配であり、自分達の子どもがいつがんになるか分からないのです。彼らが汚染地
に生きて安心できるためには、広島・長崎の力は大きいので す」 p145。山下氏
は「心配ない」と言って「安心させた」と述べているが、実際には科学的な所見
をそのまま述べたわけではなく、「信頼」を利用し 「安心」を 得させるために
科学に基づかずにそうしたことを半ば告白している。

 山下氏が「心配ない」と述べた相手の人が、後で放射線由来が疑われる症状
(たとえば甲状腺がん)に罹患していると想像できる。彼らはどう感じて いる
のだ ろうか。なお広島・長崎の神通力が効を奏するのだろうか。少なくとも
「広島・長崎から来たから安心させられる」との山下氏の考えは福島では通用し
ていな い。
 同じ『放射線リスクコミュニケーション』収載の座談会で、山下俊一氏は「リ
スクコミュニケーションのファイナルなゴールは何か」についてこう 語ってい
る p417。「原発の場合は安全説明ということも当然あるから、原子力発 電所を
増やしたいという大きなバイアスが、あるいはそういうものが見え隠れしてく
る。それをパブリックがどう理解し、やっぱり原発は必要なんだということ に
コンセンセンサスをコミュニケーションでどうとっていくのかが非常に大きいと
思います」。

 この本には原発に関わるリスクコミュニケーションの困難を指摘しつつそれを
長崎大が引き受けようとの姿勢がよく出ている。――原発をめぐり両極 化する論
議をどう超えていくのか。放射線リスクの世界基準を提供してきた広島・長崎で
中立的な評価の組織を作ればよい。広島や長崎が被害者だからこそ信頼 できる
と いう事を利用した第三者機関を作ればよいのではないか――こんな案を提示し
てもいる。

 「広島・長崎の被曝をした地域の声を代表して、そういうことをやる研究所を
作ることによって、それがひいては第三者的に地域住民に対して、ある いは国
民 や世界に対して公平な情報を発信できる機関になります」。原発推進だが被
害者の立場なので信頼を得られるとの構想だろう。これはかなり甘い発想 だ。
山下氏 や長崎大医学部の関係者は原発安全論の立場であると見なす人が圧倒的
に多い。3.11以後のかなり早い時期に、そのことは明白になってしまった。

 山下氏は原発推進側に立つからこそこのグローバルCOEの拠点リーダーを託
されてきているわけで、原発推進側でない第三者と主張するのは相当に 無理が
あ る。もちろん日本の原発推進勢力と政府は山下氏の見方を組み込んで、長崎
大 にリスク制御の拠点としようとしてきた。東京電力がそこに寄附講座を設け
ようとしたことは、たいへん分かりやすい判断材料だ。事実、山下氏は『放射線
リス クコミュニケーション』と題されたこの本で、原子力開発を押し進めるべ
きだという考えを堂々と語っているp423-4。

 「原子力の問題が出たときには、昭和20年の10月に書かれた永井隆の原爆救護
報告書の最後の一文を述べるようにしています。理由は、永井隆が 戦争で 200
名近い被曝者の救護報告書を書いた最後の纏めの結辞のところに、「祖国は敗れ
た。全てがもう壊滅状態になった」ということを述べた後に、 「これは日 本人
が犯した罪に対する一つの罰である」「日本人は科学というものを軽視したがた
めに科学の力によって原爆というものが相手国に先に開発されて日 本はこう い
うふうに敗れた」というこ とを書いています。竹やりでやっても戦争なんか勝
てんぞと、であればこそ、この亡くなった方々のためにも、原子力という科学の
光、力を利用してより良い世 界を作って行くべきだ、ということを彼はその当
時既に書いているのです」

これは永井隆が長崎医科大学学長宛に提出した「原子爆弾救護報告書」 
http://abomb.med.nagasaki-u.ac.jp/abcenter/nagai/index.html の末尾を指し
ている。そこで、永井隆は以下のように述べている。「すべては終った。祖国は
敗れた。吾大学は消滅し吾教室は烏有に帰した。余等亦夫々傷き倒 れた。住む
べき家は焼け、着る物も失われ、家族は死傷した。今更何を云わんやである。唯
願う処はかかる悲劇を再び人類が演じたくない。原子爆弾の 原理を利 用し、こ
れを動力源として、文化に貢献出来る如く更に一層の研究を進めたい。転禍為
福。世界の文明形態は原子エネルギーの利用により一変するにき まってい る。
そうして新しい幸福な世界が作られるならば、多数犠牲者の霊も亦慰められるで
あろう。」

 山下氏は敗戦直後の永井隆の言葉を、原発推進に都合よく解釈している。これ
から分かるのは、山下氏と他の長崎大の関係者に共有された考え方だ。 原爆被
災 地であることを背景に平和運動とは切り離して、原発推進に協力し長崎大の
発展を目指すという戦略をとるということだ。これは80年代後半以降に熾 烈化
して いく大学のサバイバル競争と関連する。背景にチェルノブイリ支援で「大
きな成果をあげた」(少なくとも原発推進の政官財学報各界の立場からは)と
いう実績 を誇示し、それを掲げて放射線リスク制御問題を看板部門として大学
発展の戦略を立てていこうとするものだ。

 そもそも柴田義貞編『放射線リスクコミュニケーション』(長崎大COE刊
2012)という刊行物は、放射線リスク制御という枠組みの中で、原子 力推進の
ためのリスコミに取り組み社会に貢献するという長崎大医学系(医歯薬系)の中
心戦略を、山下氏が牽引するという方針に基づくものだ。同書の中で も、山下
氏 はそのことを意識した発言を繰り返している。まず、日本人の誤ったリスク
観を克服することを課題とし、それを「安心」を確保することと理解してい
る。「長 崎大学の中期目標中期評価という中で、「地球と人間の安全と安心を
確保する」という大きな命題に」取り組むのだという。P396

 これは2010年12月に行われた座談会「放射線リスクを語る」での発言だが、山
下氏は「「地 球と人間の安全と安心を確保する」という大きな命題」に沿って
長崎大はリスコミに取り組んでいると述べている。「より大学は放射線のノウハ
ウを社会に還元 すべきだ」との「中間評価」を受けてのことだとも述べてい
る。2000年代に各大学が取り組んだCOE(21世紀COE、グローバルCOE)では
「中間評 価」が大きな力をもった。公的資金の継続獲得の重要な材料になるか
らだ。COEによって科学・学術が「社会還元」の姿勢を強めることを求められた
が、長崎 大の場合、それは産業界の意志を背負い国策としての原発推進への協
力を進めていくことを意味するものでもあった。そしてこうした長崎大の原発推
進 への協力 体制は1991年以来の長瀧教授のチェルノブイリ支援によって方向づ
けられていた。

山下氏のリスコミ取り組みの背景を述べてきたが、では、山下氏はリスコミにつ
いて何を語っているか。まず、強調されているのは日本人はリスク理解 が劣っ
て いるということだ。ではそれをどうやって克服するのか。ウルリッヒ・ベッ
クの『リスク社会Risikogesellschaft. 』(1986年)を『危険社会』(1998年)
と訳したように、「チェルノ ブイリ原発の事故が起こって、「ほーら危険が
いっぱいだ」とか、「現代社会が危険なんだ」とか騒がれ始めました。それがイ
コールリスクなんだという、そう いうふうな「リスク=危険」という日本では
「リスク=危険」という刷込みがあったと山下氏はいうp400。だからCOEでは
「算術や確率論という 概念で起 こる事象の頻度の多さ低さと事象の大きさ。つ
まり規模の大きさを積で表して、こういうのをきちんとリ スクとして認識し教
育する場の提供です」p401。

 山下氏はリスク認識が劣った日本人にリスク認識を教えることが、リスクコ
ミュニケーションの主要な課題であり、長崎大のCOEの任務であるとも 考える。
またそれによって「リスク」というと「危険」と捉え、それを怖れる日本人を安
心させることに貢献できると述べる。教えるべきことの要点について は、 p401
「科学的にリスクをそれぞれ数値化する、あるいはリスク間のバーターというふ
うな概念を学生に教えるのは非常に難しいんですね。ですか ら、どのぐ らいの
確率だったら安心で、どのぐらいなら危険だということを、最近では原子力の分
野でいろいろと言ってますけども、その数値化に対するリスク評 価という のが
非常にあやふや」でマスコミも取り上げない。
「というので…我々は放射線が専門ですから、横軸に線量そして縦軸に傷害の程
度や精度という、後で述べますけども相関関係が重要となります。当 然、線量
依 存性で癌が起こる、どこかに閾値があるかないかという問題などは、極めて
数学というが 算術の問題ですね。寄与リスクとかの名称が出てきて、その辺に
なってくると「一般の人はall or nothingに考えるから、分かりづらい…。これ
は日本独特なんでしょうか。そういう科学に弱い文化が既に日本に定着している
のではないかという大前提 を持っています」。独断的な前提をいくつも並べた
上で、山下氏は日本人批判へと踏み込んでいく。

少し後のところでは、日本ではインフォームドコンセントが難しいというp406。
日本では患者側が意思表示できないのでインフォームドコンセント の際のリ ス
コミもうまく行か ないという。脳死臓器移植が進まないこともこれと関連して
いるという。これらは科学的学術的に明らかにされた知見というわけではない。
山下氏はこのような 文化論については、学術的論証がどのようになされるもの
か、理解しているのだろうか。

「リスクコミュニケー ションを医療の現場で導入するというのは、こういう文
化が熟成していない中ではむしろ危険ではないかとさえ言えます。リスクのリス
クという最大の理由、正 に柴田先生がおっしゃった受動的な国民性で、リスク
を受けることに対して、補償とか怖さの軽減とかを期待する気持ちが非常に強く
で、それを自 分が受け入れて、それに対するリスクの代わりにベネフィットを
とるんだというふうなバーターをする考えが乏しいと言えます。いわゆる「リス
ク選択」という 考えはないようです」。専門家のリスク論を理解できない日本
人は算術に弱いだけでなく、リスクを引き受けるという能動性にも欠けるのだと
いう。

座談会「放射線リスクを語る」の発言を私なりにまとめると、山下氏にとって、
リスコミとは(1)日本市民に「算術」を教え科学的リスク論を習得さ せ安心
を 得させる、また(2)リスク選択的な思考法に慣れさせることだが、これは
容易でない――となる。リスク評価の正しい知識の材料はすべて専門家の側 にあ
り、 リスク評価ができない公衆にそれを教え諭すこと――このような考え方で放
射線健康影響についてのリスク・コミュニケーションはうまく進むだろう か。

相互性を欠いたリスクコミュニケーションは失敗を免れない。代償はきわめて大
きな不信である。だが、それを招いたのは山下氏一人ではない。広島・ 長崎の
原 爆調査を踏まえて重松氏や長瀧氏らの主導したチェルノブイリ調査の中で養
われたものがあり、90年代後半から2000年代にかけてまずは原発推進 者
たちが 培い次いで諸分野のリスク論者が広めていったリスコミ観が背景にあ
る。この連載(1)〜(7)で見てきたとおりだ。

そして、それは、政財官界が望む経済発展に寄与する科学技術という方向づけに
対して、1)距離をとって科学・学術の自律性を保持すること、2)科 学技術
を 方向づける倫理性や文化的ビジョンを尊ぶこと、また、3)現在と近未来の
経済利益だけでなく不可測の事態や未来世代を視野に入れることに失敗した 科
学者・ 研究者たちによってあと押しされ、固められていったのだった。


(以上、その(8)転載終わり、(9)へ続く)


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