[CML 019691] <テント日誌 9/5(水)――経産省前テントひろば 361日目>

Kimura-m kimura-m at ba2.so-net.ne.jp
2012年 9月 7日 (金) 10:52:41 JST


<テント日誌 9/5(水)――経産省前テントひろば 361日目>              季節の巡りは速いけれども、
      人間の所業は遅遅としている 

9月5日(水) 晴れ  
 テントに近くの国会はなんとも締りのない終盤を迎え、民主党や自民党のみならずみんなの党まで党首選挙にまっしぐらだ。各党も選挙を意識し、これは乱戦模様になってきている。テントに座りながら議員たちの戸惑いや右往左往を想像する。彼らもまた歴史の流れに対応できない不安の中で蠢いているのだと思った。
 いじめられるのは弱者ではなく、「党首」である間はまだいいのかという思いもするが、候補者が小粒といよりは政治家や政党に大事な見識や構想力(ビジョン)が見られないのが気になる。これは政党や政治家が歴史の流れに対応できないことを現わしているのだと思う。官僚中心の既得権益の擁護がこの時代に対応する一つに流れをつくり、これに反発する様々な動きが群雄割拠のように旗上げをしている。
 橋下の「維新の会」と小沢一郎の「生活が第一」がその代表的なものであろうが、民主党や自民党や各政党にもこれは形を変えて浸透しているし、これはもっと明瞭な姿となって舞台に登場してくると思う。政党といよりは政治の再編劇は予測を超えた展開に入るのではないか。 
 テントでは国会議員に対する原発是非の意見聴取をしている。第一弾の締め切りは今日である。担当者の話ではアンケートに対する回答は芳しいとは言えない、とのことである。詳細は他日に公表されるだろうが、この回答にも多くの意見が付されているようで原発問題での議員の意識の揺れと現状がうかがえるようだ。
 原発問題では国会議員の大半は国民同様に安全神話の中にいたのであろうと思う。原発震災後の原発の存在の見直しがそれなりに浸透しているが、反応はそれほど鋭いと言えない。多分、権力の構成者やそれに近い部分からからの意見の浸透がはげしいのであると推察される。政党や政治家はそうした有力者の意見に弱いのであり、影響力も強いのである。例えば、電事連や電力総連などの見解は強く入りこんでいるのだ。
 だが、国民の声も影響力を持っている。政治家は憶病であるといわれる。自分の見解が人前に晒され、審判されることへの警戒心が強いのである。選挙に対する怖さからきているのだろうが、そこでの決断を要求せねばならない。この力は国民の声であり、なによりも持続的な脱原発の声や意志表示する存在である。ここに原発問題がじわじわと広がり、浸透していく状況があるのだ。 
 テントは1周年も近づきそのイベントも様々に企画されている。これは他でも公表されているので詳細は述べないが、テントの運営委員会で議論された。いつもの運営委員会と違ってみんな楽しげである。誰も予想をしなかった1年という間テントが存続できたことにそれぞれの喜びが在るのだと思う。
 このイベントにはトコロテンタイムがあり、休憩の時にみんなに配る。誰が考えたかしらないが面白い。トコロテンのようにつまらぬ議員どもを次回の選挙で押し出したいものだ。 それにかんしょ踊りも楽しみだ。かんしょ踊りの広がりは福島の女性たちの訴えの浸透であるがもっともっと広げたいものだ。闘いには祭りの要素がある。祭りにする場面がもっとあっていいのだ。街は秋祭りの季節だがこちらでもそれに匹敵するものを作りだして行こう。愉しさのない闘争は闘争といえない。愉しさを思いつき考える力も闘いの一つだ。
 いろいろの評価はあるだろが、テントがここに1年間存在したという事、それだけをまず評価すればいいのだろう。テントには多くの人が訪れ、そのことを心に残し、それをどこかで反復しているのだと思う。この場所のもつ幻想(精神)性は心に残り、何処にいても思い出したりするのである。そこが特異な場所であり、存在の意味でもある。 脱原発運動の象徴としてこの小さな空間には多くのひとのこころが累積しているのであり、また一人ひとりの心にテントは想起され反復されてある。テントの内に張られた綺麗なイラストの便りはそれを示している。         
            (M/O) 


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