[CML 020708] 改稿:脱原発運動は根底的に見直さなければならない ――開沼博xアイリーン・スミスx吉岡達也 「『脱原発社会』をどうやってつくるのか~デモと原発立地地域の両面から探る~」というビデオを観ての感想

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2012年 10月 29日 (月) 12:26:33 JST


標題記事を改稿しました。

改稿の主要部分は以下です。

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標題:脱原発運動は根底的に見直さなければならない        
   ――開沼博xアイリーン・スミスx吉岡達也 「『脱原発社会』をどうやってつくるのか~デモと原発立地地域の両面から探る~」
   というビデオを観ての感想

問題の本質を理解しないまま、滔々とひとり語り(独り合点)に語っている。すなわち、彼、彼女は熱心に他者を語りながら彼らの
話の中には決して他者は登場しないのです。しかし、そういうことすら彼、そして彼女は気がついていない。これでは対話が成立
するはずもありません。ここにいまのいわゆる脱原発運動の(担い手の)欠陥がもろに出ているように思えました。彼、彼女、そ
して、私の知る脱原発運動の担い手(その多く)に私はおのれの視野の及ぶ限りの自己という属性に固執する充足の意志を感
じることはあっても、他者へとつながろうとする意志(自己という属性を超えようとする意志)と思想性を見出すことはできないの
です(注)。

そういう意味で、私は、

脱原発運動は根底的に見直さなければならない

だろう、と思っています。自己を始発とする意思はその「自己」を超えようとする意志がない限り個我にとどまり(現象的、一時的
に大きなうねりになることはあっても、やがてしぼんでいく)、われ=われ(小田実)へとつながっていく道筋が見えないからです。


注:私はいまこのことに関してあるひとりの実践家ともうひとりの思想家の言葉を思い出しています。あるひとりの実践家とは9年
前の福岡県知事選の折、来県して、当時九州大学教授の職を辞して同知事選に出馬した今里滋氏(現同志社大学教授)の応
援に駆けつけたときの逢坂誠二氏(当時、ニセコ町長)の「福岡県知事選フォーラム」での発言です。逢坂氏の言葉「市民運動を
する者に往々に見られる傾向がある。仲間内のやりとりに終始し、そのやりとりだけで自足している」。

もうひとりの思想家の言葉は加藤周一氏の次のような発言です。「かつて社会の動き方を批判するのは知識人の役割だったかも
しれないけども、いまは大衆のなかからそういう人たちが出てきている。(略)おそらく日本みたいにたくさんの(市民の)小さなグル
ープのある社会は少ない。それは大変意味のある変化である。しかしまた、現にある私たちの国の市民運動は、そうした長所を
いかしきれていない。無力である。なぜ無力かというと、横の連絡がないからである」(要約。「戦後思想を語る(下)」論座 2003年
4月号)。
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全文は下記をご参照いただければ幸いです。

■脱原発運動は根底的に見直さなければならない
 ――開沼博xアイリーン・スミスx吉岡達也 「『脱原発社会』をどうやってつくるのか~デモと原発立地地域の両面から探る~」と
いうビデオを観ての感想(弊ブログ 2012.10.27)
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-474.html


東本高志@大分
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