[CML 020569] ご紹介:【薔薇、または陽だまりの猫】参考・週刊朝日は謝罪すべきではなかったし、連載を続けるべきだった/橘玲さんの公式サイト ほか

uchitomi makoto muchitomi at hotmail.com
2012年 10月 21日 (日) 06:34:27 JST


皆さま

 このブログ記事の紹介に対して各方面から賛否両論のご意見をいただきました(お前自身の見解はどうなのか?という意見を含めて)。

 京都では書店でも売店でもこの『週刊朝日』自体が売り切れで入手できず、ヤフーオークションでは定価の3倍で売買されている状況で私自身この記事を読んでいないので賛否どうこう以前の状態なのですが、問題提起のつもりで投稿しました。

 ブログ「薔薇、または陽だまりの猫」さんが、この問題についての論評をまとめておられました。部落差別自身の問題と橋本氏自身の持つ差別性や橋本批判は許さないという(敵対者は存在すら許さないという)非民主主義的体質の問題への批判を整理しておられて参考になりましたのでご紹介いたします。


【薔薇、または陽だまりの猫】参考・週刊朝日は謝罪すべきではなかったし、連載を続けるべきだった/橘玲さんの公式サイト ほか
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/ca8c1f4d692aa6c68b9d71922f9f90e6


参考・週刊朝日は謝罪すべきではなかったし、連載を続けるべきだった/橘玲さんの公式サイト ほか
2012-10-20 10:21:45 | 社会
*以下の人々の 部落解放同盟・部落解放運動に関する認識について 私は大きく意見を異にします。

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週刊朝日は謝罪すべきではなかったし、連載を続けるべきだった
http://www.tachibana-akira.com/2012/10/5036

投稿日: 2012年10月20日 作成者: tachibana

出版の世界の片隅にいる者として、ノンフィクション作家・佐野眞一氏が『週刊朝日』に書いた「ハシシタ 奴の本性」と、その後の出版社の対応について思うことを述べておきたい。

いまから20年ちかく前のことだが、私はその頃小さな出版社に勤めていて、屠場労組の主催する糾弾の場に出たことがある。当時の糾弾というのは、十数社の新聞社・出版社の幹部や編集責任者が一堂に集められ、100人あまりの組合員の前で差別表現を謝罪するというものだった。

典型的な差別表現は「士農工商」「屠殺」「屠所に引かれる羊のように」で、こうした言葉を注釈なしに使った出版社は「差別に対する意識が足りない」として謝罪を迫られた。このとき会場を埋め尽くした組合員から、「お前は踏まれた者の痛みを知っているのか!」などと怒号を浴びるのが“糾弾”の由来だ(もっともこうした糾弾は70年代がもっとも激しく、私が参加したときはかなり形骸化していた)。

これらがなぜが差別表現になるのか理解できないひともいるだろうからすこし説明しておきたい。その時の屠場労組の説明は、次のようなものだった。
士農工商:江戸時代の身分制は“穢多非人”という被差別階層を前提に成立していたのだから、歴史学の研究ならともかく、現代の階級社会の比喩として使うべきではない。
屠殺:“屠る”というのは人間の生命のために動物の生命を犠牲にする聖なる行為で、「屠殺」のように、そこに“殺す”という否定的な単語を組み合わせるのは生き物を屠る聖なる職業に対する差別意識の現われだ。
屠所に引かれる羊のように:イザヤ書に出てくる言葉だというが、誰でも羊がかわいそうで屠人は残酷だと思うにちがいないのだから、差別的な歴史表現を安易に比喩として使ってはならない(こうして「ドナドナ」は歌えなくなった)。

こうした主張はその後、「言葉狩り」として批判されるようになるが、ここではそれについては論評しない。

糾弾という「儀式」の特徴は、出
版社(と書き手)が無意識のうちに差別表現を使用して、それを指摘されて謝罪することだ。これはフロイト的な理屈でもあって、「無意識の差別意識を糾弾によって意識化することで、社会の矛盾や自らの差別意識とはじめて向き合うことができる」とされていた。

ところがメディア側は、このことを「うっかり差別表現を使うとヒドい目にあう」と学習し、「差別だと指摘されたら即座に謝罪し、絶版・回収する」のが常識になった。これが、メディア側の自主規制だ(これについては以前書いた)。

私はこうした対応には批判的だが、謝罪するのも、絶版・回収するのも著者と出版社の自由ではある。だがこれは、著者も出版社もそれが差別表現だとは知らなかった、ということが前提になってはじめて成立する話だ。知らずに書いてしまって、指摘によって今はそれが間違っていたとわかったからこそ謝罪するのだ。

ところが佐野眞一氏の「ハシシタ 奴の本性」は、こうした過去の差別問題とはまったくちがう。それは佐野氏が、絶対的な確信のもとに書いているからだ。

佐野氏は、「一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である。そのためには、橋下徹の両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげなければならない」と書く。

もちろん佐野氏は、この記事によってどのような事態が起きるかも正確に予想していた。

 オレの身元調査までするのか。橋下はそう言って、自分に刃向かう者と見るや生来の攻撃的な本性をむき出しにするかもしれない。そして、いつもの通りツイッターで口汚い言葉を連発しながら、聞き分けのない幼児のようにわめき散らすかもしれない。

 だが、平成の坂本龍馬を気取って“維新八策”なるマニュフェストを掲げ、この国の将来の舵取りをしようとする男に、それくらい調べられる覚悟がなければ、そもそも総理を目指そうとすること自体笑止千万である。

 それがイヤなら、とっとと元のタレント弁護士に戻ることである。

当然のことながら、『週刊朝日』編集部もこうした認識は共有していたはずだ。

『週刊朝日』編集部は、表紙に橋下市長の顔写真を大きく掲載し、大々的に新聞広告まで打って、佐野氏の記事を世に問うた。そして予想していたとおり、橋下市長から激しい反発と批判を浴びた。だったらなぜ、ここで謝罪して連載を中止するのか?

*

私たちはごくふつうに、初対面のひとに向かって、「ご出身はどちらですか?」とか、「お父さんはなにをされていたんですか?」と聞く。出身や血筋が本人の性格や人生に大きく影響すると、当然のように考えているからだ。

「ハシシタ 奴の本性」を読めばわかるように、佐野氏は、「血(ルーツ)」こそがひとの生き様を支配する、という人間観を持っている。佐野氏の作品が多くの読者を獲得したのは、こうした人間観が広く受け入れられているからでもある。「原発とプロ野球の父」正力松太郎の実像に迫った『巨怪伝』にしても、ダイエーの創業者・中内功の栄光と挫折を描いた『カリスマ』にしても、佐野氏の視点は常に一貫している。違うのは、対象との距離だけだ(『カリスマ』が傑作たりえたのは、佐野氏が中内功という人物に魅了されていたからだ)。

私は「DNAを暴く」という考え方には与しないが、「日本国の首相の座を目指す公人は、父母や祖父母の代まで遡ってすべてのルーツを国民に開示すべきだ」というのが、ひとつの考え方(思想信条)であるとは思う。過去を隠していては首相になどなれない。実の父親がヤクザだったことや自殺したことなど、不幸なルーツを国民に率直に打ち明けたうえで、新しい日本のリーダーとして名乗りを上げるべきだ……。

もちろん、父親が被差別部落出身者で、その「血」を引き継いでいるから「非寛容な人格」になった、などという主張が許されるはずはない。橋下氏が批判するように、連載第1回を読むかぎりでは、そのように取られかねない記述が随所にあることも事実だ。

しかしその一方で、優性思想のような「血の呪い」がはっきりと述べられているわけでもない。橋下氏の実父の縁戚にあたる人物の証言はあるが、それがどのように「ハシシタの本性」につながっていくのかは、第1回を読んだだけではわからないのだ。

私は一人の表現者の端くれとして、作品は完結してから評価されるべきものだと信じている。そしてこうした信念は、出版社(編集者)と共有されるべきだと思っている。

今回の『週刊朝日』の対応で私がいちばん不満なのは、著者である佐野氏が事態をどのように考えているのか、あるいは、謝罪や連載の中止に同意しているのか、いっさいの説明がないことだ(報道によれば、佐野氏は「週刊朝日に『取材には応じないように』といわれている」らしい)。

佐野眞一氏は、大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞を受賞し、日本のノンフィクション界の頂点に立つ。ジャーナリストとしての経歴を考えれば、被差別部落の出自と個人批判を重ねればどのような事態が引き起こされるのか熟知していたことは間違いない。その佐野氏が、激しい批判を覚悟のうえで、「確信犯」として、自らの名声を賭けてこの連載を始めた。『週刊朝日』編集部は、佐野氏とその覚悟を分かち合っていたのではなかったのか?

誤解のないようにいっておくが、私は佐野氏の「橋下批判」には同意しない。しかしそれでも、次のことだけはいっておきたい。

佐野氏とともに批判に耐える覚悟がないのなら、『週刊朝日』編集部はそもそもこの連載を始めるべきではなかった。

覚悟を決めて記事を掲載したのなら、中途半端な謝罪などせず、批判に耐えて、連載を最後まで続けるべきだ。そして連載が終わり、「作品」として完結したときに、そこから生じるすべての責任を引き受けるべきだ。

責任を引き受ける気も、著者を守る覚悟もないのなら、出版などやるべきではない。出版と表現の自由というのはそういうことだと、私は思っている。

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関連・参考

橋下氏についての週刊朝日連載/ブログ・全身ノンフィクション作家
http://u-yosihiro.at.webry.info/201210/article_8.html 
ノンフィクション作家・佐野真一氏が、週刊朝日で橋下徹・大阪市長についての大型連載を始めました。

それについて橋下氏は「朝日新聞、系列のテレビ局の取材は一切、拒否する」と声明。テレビなどで騒がれています。ぼくは一昨日、知人から週刊朝日の連載を教えられて知りましたが、「またえげつない連載だな」と思っただけで、特に何も思いませんでした。しかし、橋下氏が過激に反応したこともあり、大阪では週刊朝日が売り切れ続出になっているそうです。

まず佐野氏の連載の趣旨は、「橋下氏の出自を徹底して暴くことで、そのDNAを解明する」云々といったものです。それに対して橋下氏のツイッターでの反論の概要は以下のようになっています。

\策批判もしないで出自を暴くことは部落差別につながる
△海力∈椶老賁主義そのもので、ヒトラーなみだ

まあ、あとの細かい点は面倒なので橋下氏のツイッターを読んでいただくとして、こうした動きについてのぼくの考えを書き込んでおきますね。

まず佐野氏の連載は、えげつないことは確かですが、いまもっとも話題の政治家・橋下氏の記事としては許される範囲でしょう。心配される路地(同和)への偏見については、しっかりフォローすることも大事ですので、今後の佐野氏の書き方次第だと思います。しかし、こうして一般地区出身の作家が、路地について書くことは、とても重要な意味をもつ画期的なことです。

まず差別的にしろ、なんにしろ、ぼくは路地について書かれるのは全て良いことだと思っています。それがもし差別を助長させたとしても、やはり糾弾などで萎縮し、無意識化にもぐった差別意識をあぶりだすことにもなるからです。膿み出しみたいなものですね。それで表面に出たものを、批判していけば良いのです。大事なのは、影で噂されることではなく、表立って議論されることにあります。そうして初めて、同和問題というのは解決に向かいます。解放教育のときも、共産党からは「差別を助長する」と批判されましたが、だからといって隠してばかりは良くないということです。

それで橋下氏の反論です。彼の反論は相変わらず上手ですが、相当無理があります。

今回の連載を含めた橋下氏のルーツ記事についてですが、そもそもの原因は橋下氏のポピュリズムに徹した姿勢にあります。彼は大新聞、テレビ以外の取材は受け付けません。

記者会見に佐野氏がこないと批判していますが、これは彼独特のロジックで、そもそも記者クラブの会見に、作家であっても入ることは許されません。ぼくは某社の好意で入ることができましたが、その際も一切の質問は絶対に駄目ですからねと、念をおされました。橋下氏はそれを知っていながら、どうせ一般大衆はそんなことを知らないだろうと、上手なウソをついています。

それで別個での取材申請をしても、橋下氏は完全に無視してきます。それがヨイショ記事であっても、です。橋下氏は大メディア(新聞・テレビ)以外の取材は一切、無視なのです。

とくに部数の少ない週刊誌、さらに少ない月刊誌の取材は一切、拒絶しています。彼が相手にしたいのは100万人以上を対象にしたメディアであり、週刊誌の数十万、月刊誌の数万の読者なんぞ、「相手にするのは時間の無駄」と考えているのです。非常にツボを押さえた頭のよい政治家であることは確かですが、決してスマートではありませんね。

このような場合、雑誌側としては何ができるかといえば、本人が取材拒否しているのですから、必然的に橋下氏の周辺取材しかないわけです。しかも彼の中小メディアを見下したその態度には、雑誌編集者ならずとも、書き手も憤りを覚えずにはいられないでしょう。そのため、必然的にどうしても雑誌メディアでは、橋下氏に批判的な態度をとることになります。

ぼくが橋下氏に言いたいのは、「部落差別云々をいうなら、まずそのポピュリズムに徹した露骨なメディア差別をやめたらどうか」ということです。橋下氏が雑誌の取材に少しでも応じていたなら、佐野氏の連載にしても、記者クラブに顔がきく朝日新聞系の週刊誌なのですから、もう少し違った形になっていたと思います。傲慢な態度でメディア批判をするなら、自分もそれに乗っかっている記者クラブ制度を解体してみろよ!と、ぼくは訴えたいです。

橋下氏は「どうせするなら政策批判をしろ」と言いますが、そんなもの、誰が読むんですか?

週刊誌はそもそも、大衆の劣情を刺激してなりたっています。その週刊誌が政策論争なんかするわけないでしょう。橋下氏はそれもわかっていながら、できないとわかっていながら、こうした批判をするのです。一言でいえばずるい、橋下氏流に言うなら「ヒトラーなみの大ウソつき」なのです。ヒトラーの有名な言葉、「ウソは大きいほど大衆にはわからない」という、このウソとは、橋下氏のような巧妙なウソのことをいいます。

橋下氏がここで過激な態度に出たのは、国政をにらんでの批判おさえに他なりません。少しでも自分に対するネガティブなイメージは押さえ込みたいわけです。今回の件についても「朝日」だから、ここまで反応しただけです。あの「大朝日」だったからこそ、記者クラブ制度を逆に悪用して、大メディアから(つまり上から)雑誌メディアを封じ込めにかかっているだけなのです。ここで彼の論調にのって、「部落差別だ、血脈主義だ」云々と同調してはなりません。彼の狙いは他にあるからです。記者クラブは、このようにして悪用されるわけです。

橋下氏に言いたいのは、以下のことです。

筆者が取材にこい、というのなら、ほとんどの雑誌が掲載前に取材申請してるんだから、まずはそれを受けろよ。露骨なメディア差別はやめた方が良い。メディアに理解があるというなら、自分も上手に利用している記者クラブ制度を解体してから、メディア批判したらどうか。巧妙なウソを織り交ぜて、部落問題へすり替えるのはみっともない。

ということでしょうか。

彼は演説、討論はテレビで鍛えていますから得意でしょうが、文章でのやりとりだと馬脚を現すので、とくに活字メディアは苦手なようです。とりあえず記者会見形式でもいいから、雑誌取材を受けていたら、ここまでの騒ぎにはならなかったよとアドヴァイスして、今回のブログを〆たいと思います。

追記
政治家・橋下氏についてのぼくの評価と、このブログでのぼくの論調とは必ずしも同じではありませんのでご注意ください。橋下氏は多面的な人間なので、とりあえず彼のメディアに対する姿勢について、今回批判しただけです。

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関連・参考

kojitakenの日記にも 興味深い関連記事多数。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/ 

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2012年10月18日 橋下市長 記者会見


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佐野眞一氏と週刊朝日の「ハシシタ 奴の本性」は橋下徹大阪市長の人権を侵害していない/Everyone says I love you !*弁護士徳岡宏一朗さんのブログです

ノンフィクション作家の佐野眞一氏と取材班の表題の連載に抗議して、橋下市長は朝日系列のメディアの質問には答えないと言いだし、大問題になりました。

 結局、橋下氏だけでなく、多方面からの批判を受けた週刊朝日の編集長が謝罪したうえで、この連載は異例の一回で打ち切りと言うことになりました。

 週刊朝日編集長は2012年10月19日、

 第1回の連載記事中で同和地区などに関する不適切な記述が複数あり、このまま連載の継続はできないとの最終判断に至 りました。橋下徹・大阪市長をはじめとした関係者の皆様に、改めて深くおわび申し上げます。不適切な記述を掲載した全責任は当編集部にあり、再発防止に努 めます。本連載の中止で、読者の皆様にもご迷惑をおかけすることをおわびします。

と全面的に謝罪し、週刊朝日の親会社である朝日新聞社も広報部が

 当社は、差別や偏見などの人権侵害をなくす報道姿勢を貫いています。当社から2008年に分社化した朝日新聞出版が編集・発 行する「週刊朝日」が今回、連載記事の同和地区などに関する不適切な記述で橋下徹・大阪市長をはじめ、多くの方々にご迷惑をおかけしたことを深刻に受け止めています。 

とコメントを発表し、佐野眞一氏は、朝日新聞出版を通じ

「記事は『週刊朝日』との共同作品であり、すべての対応は『週刊朝日』側に任せています」、「記事中で同和地区を特定したことなど、配慮を欠く部分があったことについては遺憾の意を表します」

というコメントを発表したそうです。

 全く、せっかく支持率が低下してきた橋下維新の会と朝日新聞が裏で手を握って、維新の会に塩を送ったのかと思うような展開です。

 ところで、私は、実はいま、Amazonで件の記事が載っている週刊朝日を頼んでいたところなのですが、まだ届きません。ところが、ネットでこの連載記事第一回を読めてしまいました。

 で、ある意味、非常に困ったなあと思っているのですが、私にはこの記事が橋下市長の人権を侵害しているとは思えないんですね。

 私がこの記事を読みたいと思ったのは、橋下市長がツイッターへの連続投稿でこう述べていたからです。

「朝日新聞はご存知の通り、君が代起立斉唱条例には反対、僕の組合に対する対応も問題視。まあこれは朝日新聞だけではないけど。僕を批判するのは権力チェックとして当然だけど、要するに普段、人権、人権と言っている人たちは、今回の記事が重大な人権違反だと言い切らなかった。」

「あれだけ君が代起立斉唱条例や組合問題について「人権違反だ!」と言っていた、朝日新聞や弁護士会、住田弁護士や大谷氏が、今回の週刊朝日の記事については「人権違反だ!」と言い切らなかったのは不思議でならない。権力に一言文句を言っておくというのが、自分の存在意義と感じているのかね。」

 橋下氏がそういうものですから、君が代起立斉唱条例や、彼の職員組合に対する対応を『人権違反だ!!(と言う言葉は初めて聞いたけど)』と批判している私でも、今回は、「部落差別や人権侵害は許さない」ときっぱりけじめをつけて言い切りますよ、というところを見せようと、あえて普段は買わない雑誌を注文したのです。

 私自身、何度も、橋下氏自身の責任ではない出自を問題にすべきではないと書いてきましたし。

 ところが、今回の記事を読んでみると、これは橋下氏の人権を侵害していないばかりか、もちろん部落差別の意図が感じられるような記事ではなかったんですね。

 問題なのは、佐野氏や編集長も認めている通り、橋下家が一時住んでいたある地域に被差別部落があると書いた部分だけでしょう。それは橋下氏自身の人権を侵害する部分ではなくて、他の方に迷惑をかける部分です。それ以外にも編集長は複数問題があるといっていますが、私にはほかには見当たりませんでした。

 しかし、今はネット上でもリアルでも、橋下氏自身の人権侵害されたという論調で塗りつぶされているのでしょう?しかも、当事者たちが早々と白旗を掲げて「ごめんなさい」しているのに、記事に人権侵害がないといまさら私がいうのも、リスクだけあって益がない間抜けな話です。

 しかも、ここのところ維新の会の支持率が下がって、袂を分かったはずのみんなの党はおろか、政策がまるで噛み合わない新党大地にまで接触するような悪あがきをしていた橋下氏が、ここぞとばかりにこの事件を利用して、自分の力の淵源であるテレビでの露出度を上げています。

 ここは、嵐が通り過ぎるのを待つように黙っているのが、賢い大人の作法なのでしょうが、もともと飛ぶ鳥を落とす勢いだった橋下維新の会にずっと批判してきたような損な性分ですから、まあ、仕方がないかなとあきらめて、私の正直な感想を書こうと思います。

さて、橋下氏は人権侵害されたとおっしゃるのですが、彼のどんな人権が侵害された可能性があるのでしょうか。

 考えられるのはプライバシー権や名誉権です。

 しかし、彼が被差別部落地域の生れであるとか、お父さんたちがどういう人だったかと言うことは、2011年の大阪ダブル選挙直前から様々なメディアで取り上げられ、もはや周知の事実ですから、プライバシー性=秘匿性はかなり低いでしょう。

 また、そのこと自体を書かれても、今更、彼の名誉=社会的評価を下げるというものでもありません。 

 橋下氏自身、お父さんたちのことは何十万人もいるフォロワーに向けて何度もツイートしていますし、週刊誌や月刊誌で一族のプライバシーが報道された直後に行った、知事辞任後初の街頭演説で1000人を超える聴衆の前で、こう叫んで報道されています。

「父親が正式な暴力団員だったって、週刊誌読んで初めて知ったんです。うわさでは暴力団“関係者”とは聞いてましたが…」「これはしょうがない。死んだ親父のことだから。しかし、今の権力構造を変えるには、坊ちゃんやお嬢ちゃんじゃできませんよ!!実の父が暴力団員?結構毛だらけだ!!実の父がガス自殺、結構毛だらけ!」

橋下徹氏は権力欲を満たすためには自身のお子さんまで利用する。「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」

 さて、他方、もともと、橋下氏は大阪府知事・市長であり、今や国政上の政党である日本維新の会代表ですから、公的存在であり、彼に対する表現の自由は最大限保障されるところです。プライバシー権や名誉権という基本的人権も他者の人権との調整原理である「公共の福祉」により制約を受けますので、許される表現行為であれば、人権侵害にはならないのです。

 橋下氏自身、

「(前略)僕は、生まれてから今に至るまでを丸裸にされるのは仕方がないと思っている。」

「それが権力チェックだ。どのように育てられ、育ちどのような人格形成になったのか、分析・評論されても当然だろう。友人関係などへの取材で全て明らかにされても仕方がない。まあ真面目にやってきたわけではないから、それも含めて有権者に判断してもらわなければならない。」

とツイートしているのですが、ある人物の評伝を書くのに、その人が生まれた後だけではなく、何世代か前から説き起こすのは、ノンフィクションでは当たり前の手法です。たとえば、安倍晋三という人について書くのに、祖父の岸信介氏のことを書いたら血脈重視でけしからん、ということにはなりません。

 「生まれてから今に至るまで」を書くとは、どんな家庭に育ったのかを書くことであり、どんな家庭かとは、どんなルーツを持つ親がどんな地域で育てたかということなのです。彼の親の前科のことだとか、被差別部落出身であることを書いても、それ自体は差別にはならないのです。

 また、佐野眞一氏はソフトバンクの孫正義会長のことを「あんぽん」という作品で描くときに、当然、孫会長が在日出身で在日の方々の家で育ったことを書いたそうですが、だからといって、それが孫氏の人権侵害や在日差別になりますか?

 アフリカ系アメリカ人は確かに未だにアメリカで強烈な差別を受けていると思いますが、じゃあ、ハワイ生まれのオバマ大統領のルーツがケニアにもあることからオバマ氏の評伝が説き起こされたからと言って、誰もそれを差別だとは言わないわけです。 

 逆に、自叙伝でも自分の両親や祖父祖母のことから書き起こす人はいくらでもいます。

可哀想なのは巻き込まれる橋下氏のお子さんたちで、橋下氏もかなり気にしておられるのですが、プライバシーや名誉の問題が改めて問題になるわけではありませんし、公人の家族が公人自身についての報道で影響を受けるのは本人たちも想定済みのことです。

 現に、2010年7月の大阪府知事時代に、ガンバ大阪の遠藤選手を知事室に招き入れ、ご自身のお子さん3人にだけ会わせ、遠藤選手と一緒に記念写真に収まったり、サインをもらったりしたことを「サインがほしいほかの子供と比べて不公平では?」と批判されると

「知事になると、子供を自由­に連れていけない。これぐらいは府民に理解してもらえる」

「その子供のお父さんに知事になってもらい、(制限を受ける)苦しい親子関係に耐えてもらうしかない」

などとおっしゃっているのですから、親子ともどもの制限は覚悟の上のはずで、良いとこどりはズルいでしょう。

 むしろ、橋下市長には、おじいちゃんだの、その祖先だのが被差別部落出身でも、お子さんたちは胸を張って生きていける当たり前の世の中を作るように努力すると、政治家として宣言してほしいものです。

さらば橋下徹大阪府知事 知事辞職・大阪市長ダブル選挙出馬表明は政治生命終わりの始まり 

 こう考えてみると、今回の週刊朝日の記事について、多くの人が一線を越えた差別的表現だと考えた理由は、まさに、被差別部落であることは言わないでいれば隠せることだが、それが暴露されてしまうこと自体が差別を受けることにつながるという、同和問題の強烈な差別性にあるのだと思います。

 たとえば、アフリカ系であることはまさに今回問題になったキーワード「DNA」の問題であり、見た目で普通はわかりますから、そのこと自体は隠せない以上、隠すことでもないのです。

 ところが、部落というのは単なる場所的要素であって、DNAの問題ではありません。江戸時代に幕府が民衆を支配するために、特定の職業の人などをそこに押し込め、貶めたという場所的関係に過ぎません。

 そこで生まれた人が自動的に被差別部落出身という烙印を押されても、その人の持って生まれた資質とは何らかかわりのないものです。

 また、名前や顔でわかるものではないし、そこで生まれても引っ越ししてしまえば分らないはずのことです。

 にもかかわらず、もう何百年も差別し続け、され続けているわけですから、本当に根の深いひどい話だと思うのですが、とにかく部落差別に関しては隠し続けることで差別から免れることが多かったので、今回の事件で橋下氏のそのことを白日の下にさらす行為が、物凄い禁忌を犯したというように、一般市民には感じられたのではないでしょうか。

 それが今回、橋下氏が朝日新聞グループを圧倒した理由だと思います。

 今回の記事について、橋下氏は

「血脈主義は身分制度の根幹であり、悪い血脈というものを肯定するなら、優生思想、民族浄化思想にも繋がる極めて危険な思想だと僕は考えるが、朝日新聞はどうなのか。アメリカでの人種差別、ヨーロッパにおけるナチス思想に匹敵するくらいの危険な思想だと僕は考える。」

と書いていますが、今回の記事に、彼の親や祖父が部落出身だから、橋下氏の人格が悪いとか、能力がないとか、「悪い血脈」風なことを書いている部分は全くありません。橋下氏一流の誇張と言うか、はっきり言ってデマです。橋下氏を含めて、週刊朝日を批判している人も、記事の文章のどの部分が具体的に差別だ、人権侵害だなどと指摘することはできないでいます。

 逆に、佐野氏はこの記事の意図をこう書いています。

「万が一、橋下が日本の政治を左右するような存在になったとすれば、一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である。そのためには、橋下徹の両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげなければならない。」

 このように、人物評伝としては、むしろ当たり前のことしか言っていないのです(ちなみに、橋下氏の「敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格」は、今回の事件で図らずも明らかになりました)。

 また、政治家に対する人物評伝ですから、橋下氏の政策の是非を論じないからと言って非難されるべきではないでしょう。それこそ作家の勝手です。

 さらに言えば、橋下市長は君が代条例や調査アンケートなどの人権侵害については司法の判断を仰ぐというのですから、今回の記事が人権侵害で違法だというなら、それこそ損害賠償を求めて裁判で争うべきですが、勝ち目はないのでやらないでしょう。

 またも、世間は橋下マジックにひっかかったというべきでしょう。

もっとも、週刊朝日の表紙には

「橋下徹のDNAをさかのぼり本性をあぶりだす」

とあり、目次の見出しには

「橋下徹本人も知らない本性をあぶりだすため、血脈をたどった!」

とありますが、DNAとか血脈というのは、部落出身の遺伝子のせいで悪い性格になったということを意味するのではなくて、家族などのことをたとえて表現したことはむしろ明らかだと思います。

 もちろん、本文中にはそのような言葉は使っていません。見出しがこの程度にセンセーショナルなのは雑誌としては普通のことだと思います。品がよくないので私は好きではありませんが、穏当でないということと人権侵害と言うことは違います。

 また、「ハシシタ」という表現も被差別部落を暗示していますが、橋下氏の家はもともと「はしした」さんだったのを読み方を変更したのです。

 橋下氏はお父さんのことは記憶にもないそうですが、だからといって人格形成上の影響を受けていないかどうかはまさにご本人にもわからないところで、これからの連載で明らかになったかもしれないのです。

 さらに、取材した相手が橋下氏のお父さんの出自が橋下氏の性格に関係あるようなことを言っている場面がありますが、取材した相手の言葉と佐野氏の意見とは明確に区別して記載されています。

 たとえていえば、オバマ大統領に関して差別となるのは、「アフリカ系だから」大統領になる資格がない、「肌が黒いから」劣っている云々を言いだしたときです。橋下氏なら「部落出身の親から生まれたから遺伝で性格が悪くなった」と書いた時なのです。しかし、この記事はそんなことは書いていません。

 さて、週刊文春なんかは酷い書きぶりだったようですが、新潮45+に掲載された「橋下徹 最も危険な政治家」は、とてもよい記事でした。この記事を書いた上原善広さんというノンフィクション作家は被差別部落であることをカミングアウトして、主に同和問題を題材にノンフィクションを書いている作家だそうで、大宅壮一賞も受賞しています。

 その上原氏はご自身のブログの中で

「まず佐野氏の連載は、えげつないことは確かですが、いまもっとも話題の政治家・橋下氏の記事としては許される範囲でしょう。心配される路地(同和)への偏見については、しっかりフォローすることも大事ですので、今後の佐野氏の書き方次第だと思います。しかし、こうして一般地区出身の作家が、路地について書くことは、とても重要な意味をもつ画期的なことです。」

「まず差別的にしろ、なんにしろ、ぼくは路地について書かれるのは全て良いことだと思っています。それがもし差別を助長させたとしても、やはり糾弾などで萎縮し、無意識化にもぐった差別意識をあぶりだすことにもなるからです。膿み出しみたいなものですね。それで表面に出たものを、批判していけば良いのです。大事なのは、影で噂されることではなく、表立って議論されることにあります。そうして初めて、同和問題というのは解決に向かいます。」

と書いておられますが、一般地区出身の私としても、これに同感です。

 今回の事件は、もう一回いうと、被差別部落出身であるということがいかに隠さねばならない、日本における「秘め事」であるかを明らかにしました。

 他方、同和問題に関する橋下氏の功績は、そういう隠さねばならないとされてきたことが明らかにされても、それを跳ね返して大阪ダブル選挙でも勝てることを証明し、あわよくば首相の地位も狙えるということを示したことでしょう。

 また、今回の事件で、普段は人権侵害な書き込みばかりしているネットウヨクの人も含めて、部落差別は良くないんだと口々に叫んで確認できたのは素晴らしいことでした。

 だからこそ、橋下氏がまた同和問題をタブーにさせるような圧力をメディアにかけたこと、それに朝日新聞グループが屈したことは、日本の差別問題にとって本当に不幸なことだと思います。これからしばらくは、同和問題を語ることさえますます難しくなるでしょう。

 私が今回の記事を天邪鬼にも書いたのは、やはり、差別の問題を見えなくすることは、差別をなくす方向ではなく助長する方向に働くと考えたからです。書くのに勇気が要りましたが、勇気がいること自体がおかしいのではないでしょうか。

さて、今回の記事としては余談ですが、一時支持率が下がったとはいえ、私の表現で言うと「政治の天才」橋下徹恐るべし、を改めて実感しました。上原氏は別の記事で

「橋下氏は、路地(同和)どころか、大変な困窮家庭から、想像を絶する苦労を強いられながら這い上がってきた男です。度胸もあり、頭もズバ抜けてかしこい。さらに仕事が早い。感性と理性の両方を兼ね備えたスーパースターです」

と表現されていますが、本当にその通りで、実に見事なもんだと感心しました。

 去年、週刊朝日よりはるかに発行部数の多い週刊文春や週刊新潮がこぞって、橋下氏の「血脈」問題を取り上げたとき、橋下氏は今回のような過激な反応を示しませんでした。

 その一つの理由は、これまで数々の名作を生み出してきた佐野眞一氏の追及がどのように展開するか、橋下氏でさえ恐れたということがあるでしょう。今回は第一回と言うことでお父さんのことばかりでしたが、それこそ橋下氏の知らないほかの親族の話も出てくる可能性も感じたでしょう。

 そして根本的には、今回は、週刊「朝日」だったからこそ、親会社の朝日新聞を巻き込んで「質問を受けないぞ」と追いつめることができるからこそ、今回のような反応をしたのです。だって、橋下維新の会は目立って何ぼなんですから。週刊朝日の今回の記事は、支持率低下に苦しむ橋下維新の会にとって慈雨と見えたでしょう。

 それに乗っかってここぞとばかりに朝日批判をしている人々は、橋下氏の掌の上でもてあそばれていることに気付かないのでしょうか。

 また、週刊朝日の記事が気に入らないからと言って、朝日新聞の質問は受けないというのは全く不当で、大阪市長という公権力のあるものによる取材の自由に対する侵害ですから、マスメディア全社挙げて、橋下市長への取材をボイコットして抗議すべきでした。朝日新聞も他社も情けない限りです。

 それにしても、橋下氏は、今回の記事について、僕も生身の人間ですというのですが、彼が人権侵害してきた相手もみな生身の人間です。おのれの欲せざることを人に施す、自分の痛みにしか気づかない人には政治家になってほしくないものです。

怨念の政治家 橋下徹大阪市長と安倍晋三元首相が日本を不幸にする

追伸
おまけに、今回の事件を利用して人権擁護法案にまで言及。結局、本音は言論統制でしかない。

 		 	   		  


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