[CML 020485] <テント日誌 10/14(日)――経産前省テントひろば 400日目>

Kimura-m kimura-m at ba2.so-net.ne.jp
2012年 10月 17日 (水) 07:11:09 JST


<テント日誌 10/14(日)――経産前省テントひろば 400日目> 
 テント400日目にテントの闘いを想う!
 原発と原爆は密接に関係

10月14日(日) 晴のち小雨のち晴

テント400日目にテントの闘いを想う!
  設立400日を迎えた日曜日、経産省前テントひろばはおだやかだった。夜も10時を過ぎると泊まり当番だけになり、ささやかなつまみを回しながら焼酎やワインを飲んだ。
  経産省前テントでは高速道路入口に向かう大型車が頻繁に走って不愉快な車のエンジン音が止むことがない。辺野古のテントは海べりにあり爽やかな波の音が聞こえる。辺野古の砂浜がなつかしい。高江の森に囲まれたテントも山の音が聞こえるほど静かだ。
  でも、高江には今や米軍輸送機オスプレイが「機体の腹がすぐ見えるような高さでこれみよがしに飛んで来」るそうだ(新宿反戦意思表示Oさん)。また、辺野古にも高専のすぐ裏に大きな音と姿で降りて来る。「ここはお前たちの空じゃない、沖縄はお前達の植民地ではない、ここを戦場にするな」と声を荒げてもアメリカに届かないか。
  そういえば、大阪市の放射能汚染ガレキの焼却処分を監視する原発再稼働反対監視テント(大阪市役所横)も12日に立てられた。
  全国のテント連合ができそうな程だ。政治が良ければこんなにあちこちにテントを張る必要はないのだが。

原発と原爆は密接に関係
   秋の夜長に読んだ「原発と原爆」(有馬哲夫、文春新書)を紹介する。「日・米・英」核武装の暗闘 と副題がついたこの本は、著者が内外の第一次資料に基づいて日本の原発と原爆の歴史を調べた良書で、原発と原爆の関係を歴史的に振り返ることができる。以下は驚くべき事実の例。 
 ○アメリカは、1955年頃「原子力を平和に」を世界に広めるキャンペーンのために世界で最初に原爆の洗礼を受けた広島に原発を建設することを何度も検討していた。56年にはアメリカの統治下にある沖縄に原発を作ろうという計画が持ち上がった。戦時に必要な電源が確保できて魅力的と検討したが、沖縄が法的には日本の領土で日本と協定を結ばないといけないために実現しなかった。  
○日本最初の原発がイギリス製(コルダーホール型)だった理由は、アメリカと違って、イギリスから原発を購入すればそこから製造されるプルトニウムを日本が比較的自由に使えるから。岸信介の自衛核武装合憲論と結びついている。
東海に導入した英GECが69年に10年遅れで納品、そして後に原発から撤退。大失敗であった。 
○70年代は原発建設ラッシュ。濃縮ウラン市場を独占しているアメリカから田中角栄が濃縮ウランの大量輸入を決め(原発の「育ての親」)武器輸入も押しつけられた(ロッキード)。冷戦のまっただなかにアメリカは核兵器の原料にもなるウランの濃縮をなんと敵国ソ連に委託していた。 
○日米原子力協定は88年に締結した。日本は以後30年の間、個別にアメリカの同意を得ずに、使用済み核燃料を再処理し、輸送し、プルサーマルを行ったり、高速増殖炉を運転したりできることになった(核なき核大国)。高速増殖炉は米英加濠独仏が挫折して撤退しているのに累計1兆円以上使って実用化する試みを続けている。  
 日米原子力協定の期限は2018年までで、野田首相がアメリカの圧力で「2030年代原発ゼロ」閣議決定を回避させられたことも、これらのことと関係しているのであろう。
                  (K.M)

★テント全体会議  10月17日(水)  午後7時〜  スペースたんぽぽ




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