[CML 020372] Re: 脱原発は無責任???

萩谷 良 liangroo at yahoo.co.jp
2012年 10月 10日 (水) 23:57:39 JST


前迫さん
 私は「批評」と書いたので「批判」とは言っていません。
 もっとも実質は批判ですけれども。

 あなたは脱成長と言っておられますが、私には、それはあくまで今後の課題です。
 まあ、ポルポトの再来を招かないことを祈るのみです。
 そのためにも、私のエッセイの後半は大事なのです。
 私はむしろ後半のほうが大事なので、それをあなたのように、劣後的位置に置くひとを信用しません。


On 2012/10/10, at 19:53, 前迫志郎 wrote:

> 萩谷 様
>                     前迫です
> 
> 早速のレスポンスありがとうございます。
> でも、私は批判したつもりはありません。
> 安倍、米倉の脱原発市民への批判は全くの「外れ」でもない。
> この批判に応えなければならない。
> それは、同じ「成長神話」にのっかったままではおそらく有効
> では無いだろう。
> そこから降りる覚悟がなければ、真に有効な反論も思想性も示
> せないだろうと言ったまでです。
> それには、切開=自己否定が必要だと言ったのです。
> 
>>>  ただし、後半の問題は、安倍、米倉のつきつける経済問題と
>  次元は異なりますが、こういう問題が提起されるとき必ず、命
>  か金かというようなレトリックが用いられてしまい、そこで、
>  命という言葉にこめられがちな意味のうちに差別性があること
>  を述べたもので、
> 
> 私は、そのこと(=自己否定)なしに、差別論に傾斜しても、生産
> 的(古語 失礼)な結論には至らないだろうと思います。
> それ以前に、数年後には福島の子どもたちが成人して結婚問題に直面
> するとき、今傍観している私たちは、
> 
>>> 立派な差別者として立ち現れるでしょう。
> 
> と予測するのです。
> 
> 先ず、押さえておかなければならないのは、今フクシマで遺伝子や
> 生殖細胞を傷つけられるのは、女性に限りません。男性もまた傷つ
> けられる可能性はあります。
> もし将来身内や親しい人が現在のフクシマで育った伴侶を選ぼうと
> したとき、控えめに発言・行動するにしても、心穏やかではいられ
> ないでしょう。
> 
> 産まない自由、子どもをもたない自由はあります。でも、同様に、
> あるいはもっと高い確率で、産みたい、子どもを持ちたいと言う欲
> 求はあるはずです。
> そのことに対して、私たちは抑圧者や差別者として立ち現れるかも
> しれない。そうなることを危惧するのです。
> 
>>>  日本の女性は生むことを自粛したほうがいいだろうと思っています。
> これもまた、りっぱな抑圧です。産みたい人への差別となりかねません。
> 
>>>  今何もしなかった私たちは、という文言ですが、今何をしても、
>  フクシマの中学生のために何かになるとは思えません。
>  できるとしたら、彼女らがフクシマから逃げてくれるのを支援すること
>  でしょうか。
> 
> 当然です。彼女に限らず、あるいは年齢に限られず、「避難の権利」を守り
> 支持し続けることです。
> その世論が希薄すぎることこそが問題なのです。
> 
> かつて私は、フクシマの人工を200万人として、平均4人家族50万世帯で
> 考えれば、脱出費用に500万円、1年間の避難先での生活費500万円、
> 計1千万円を脱出世帯に準備するなら、5兆円であると計算しました。
> 国家歳入が30兆円から35兆円ですから、1/6~1/7で、国民が支持
> すれば可能な金額だと見積もりました。
> もちろんこんな事を発案する者等いませんし、国民の合意も得られるかどうか
> はなはだ不安です。つまり、安倍も言い出すはずもなく、米倉は大反対する
> でしょうから、実現は遠いですが、そこに国民大衆の意思も働くとすれば、
> 「差別者」どころか私たちは皆等しく「虐殺者」です。
> 
>>> そのままをとらえるべきで、脱原発思想に潜む「差別」を警告しているときではな
>>> い。
> 
> と、今も思っています。差別も抑圧も虐殺も、今私たちの手元にあります。



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