[CML 020365] Re: 脱原発は無責任???

萩谷 良 liangroo at yahoo.co.jp
2012年 10月 10日 (水) 15:01:23 JST


前迫さんのご批評をいただき、検討したのですが、元々もう少し異なるコンテクストで書いていた文章に手を入れて成ったものであるため、前半と後半のつながりに無理を生じたことは否めません。そこで、元の文章にあった一文を加えました。


On 2012/10/10, at 13:48, 萩谷 良 wrote:

> 
> 前迫様
> 
>  ご批評ありがとうございます。
> 
>  安倍、米倉とともに、経済について無責任な日本人総体がいることを考えろというご指摘はその通りですね。
>  その点について、私の文章で明確でないというのでしたら、それはその通りです。
>  経済成長というものに対する疑問、批判は、私にとっては、これからの課題ですから。
>  つねづね気がかりですが、断固とした主張はまだできていないのが現状です。
> 
>  ただし、後半の問題は、安倍、米倉のつきつける経済問題と次元は異なりますが、こういう問題が提起されるとき必ず、命か金かというようなレトリックが用いられてしまい、そこで、命という言葉にこめられがちな意味のうちに差別性があることを述べたもので、またその差別性は日本の「伝統」のなかに根強いと思うので、述べたのです。
>  
>>> フクシマの女子中学生が、「私ら将来子どもが産めるの?」と問うのに、
>>> 今、何もしなかった私たちは、その子達の結婚問題の時に、立派な差別者
>>> として立ち現れるでしょう。
> 
>  なんでそんなことが言えるのでしょうか。
>  私は、性と生殖の分離を語っているので、生めるかどうかの悩みは無用だと言っているのです。
>  生めないことで女性が落ち込むなんて、もう必要ないと思います。
>  日本の女性は生むことを自粛したほうがいいだろうと思っています。
>  少子化騒ぎなんか財界のデマでしょう。
>  どうして、そういう私が、子どもの結婚問題の時に、差別者として現れるのか、わかりません。
>  それはお前はそうかもしれないが、普通の人間はね、と言うのでしたら、ま、普通の人たちに変わっていただくほかないでしょう。
>  子どもが生まれない夫婦、生まない夫婦がどれだけ存在するか、学べばいいのです。
> 
>  今何もしなかった私たちは、という文言ですが、今何をしても、フクシマの中学生のために何かになるとは思えません。できるとしたら、彼女らがフクシマから逃げてくれるのを支援することでしょうか。
>  
> 
> 
> On 2012/10/10, at 13:01, 前迫志郎 wrote:
> 
>> 萩谷様
>>                      前迫
>> 安倍と米倉を批判するのは簡単ですが、そういう批判
>> のなかに往々重大な差別が潜んでいるということを指摘
>> します。
>> 
>> 違うと思いますよ。まったくピントが・・・。
>> 安倍(自民)と米倉(財界)が無責任だというのは、現在の
>> 国民経済について、全く責任を持とうとしていないからです。
>> 脱原発では原発建屋とともに日本経済が崩落すると言ってるだけです。
>> そこで一番に逃げ出したのは森永卓でした。
>> 2010年代のこの「豊かさ」が維持できないと・・・。
>> 経済失速はフクシマ原発の放散放射能以上に人々を殺す(自殺者を増やす)。
>> 
>> でも、私は今こそ「成長神話」にこそ見切りをつけることだと思います。
>> 昭和30年代「三丁目の夕日」で構わない。と宣言する事だと思います。
>> 自販機も携帯も、もちろんオール電化も、深夜電力依存のコンセントカーも
>> 要らない。それはこの40年来のバブルの行き着いた果てでした。
>> 
>> そこを不問にして、脱原発なんてい言うから、無責任だと非難されているわけです。
>> 自らを切開(自己否定)することなく、散々現在の豊かさに胡座をかいた上で、
>> 脱原発を叫ぶことが無責任だと言われます。
>> 
>> そのままをとらえるべきで、脱原発思想に潜む「差別」を警告しているときではな
>> い。
>> フクシマの女子中学生が、「私ら将来子どもが産めるの?」と問うのに、
>> 今、何もしなかった私たちは、その子達の結婚問題の時に、立派な差別者
>> として立ち現れるでしょう。
>> フクシマでは(で育った子どもたちまで含めて)、子どもを産まないカップルではな
>> く、
>> 結婚差別として子どもを産めないカップルを差別的に阻害することになります。
>> その代価が、たかがこのモノだけの豊かさです。
>> 
>> 森卓よりも脱原発に踏みとどまっている金子勝でさえ、「『脱原発』成長論」
>> であり、成長神話から脱却できていません。小手先のエネルギー転換論でしか
>> 語れていません(『成長神話からの脱却』の萌芽は認めますが・・・)。
>> 
>> 私たちが対峙すべき拠り所は、自らの成長への荷担性を切開することで、
>> 「『脱原発』成長論」ではなく、
>> 『プレニテュード――新しい〈豊かさ〉の経済学 』ジュリエット・B.ショア
>> であり、
>> 『縮小社会への道―原発も経済成長もいらない幸福な社会を目指して』松久寛・編著
>> /中西香、他
>> であるべきでしょう。
>> 
> 



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