[CML 020362] Re: 脱原発は無責任???

前迫志郎 kobesc at lion.ocn.ne.jp
2012年 10月 10日 (水) 13:01:07 JST


萩谷様
                     前迫
安倍と米倉を批判するのは簡単ですが、そういう批判
のなかに往々重大な差別が潜んでいるということを指摘
します。

違うと思いますよ。まったくピントが・・・。
安倍(自民)と米倉(財界)が無責任だというのは、現在の
国民経済について、全く責任を持とうとしていないからです。
脱原発では原発建屋とともに日本経済が崩落すると言ってるだけです。
そこで一番に逃げ出したのは森永卓でした。
2010年代のこの「豊かさ」が維持できないと・・・。
経済失速はフクシマ原発の放散放射能以上に人々を殺す(自殺者を増やす)。

でも、私は今こそ「成長神話」にこそ見切りをつけることだと思います。
昭和30年代「三丁目の夕日」で構わない。と宣言する事だと思います。
自販機も携帯も、もちろんオール電化も、深夜電力依存のコンセントカーも
要らない。それはこの40年来のバブルの行き着いた果てでした。

そこを不問にして、脱原発なんてい言うから、無責任だと非難されているわけです。
自らを切開(自己否定)することなく、散々現在の豊かさに胡座をかいた上で、
脱原発を叫ぶことが無責任だと言われます。

そのままをとらえるべきで、脱原発思想に潜む「差別」を警告しているときではな
い。
フクシマの女子中学生が、「私ら将来子どもが産めるの?」と問うのに、
今、何もしなかった私たちは、その子達の結婚問題の時に、立派な差別者
として立ち現れるでしょう。
フクシマでは(で育った子どもたちまで含めて)、子どもを産まないカップルではな
く、
結婚差別として子どもを産めないカップルを差別的に阻害することになります。
その代価が、たかがこのモノだけの豊かさです。

森卓よりも脱原発に踏みとどまっている金子勝でさえ、「『脱原発』成長論」
であり、成長神話から脱却できていません。小手先のエネルギー転換論でしか
語れていません(『成長神話からの脱却』の萌芽は認めますが・・・)。

私たちが対峙すべき拠り所は、自らの成長への荷担性を切開することで、
「『脱原発』成長論」ではなく、
『プレニテュード――新しい〈豊かさ〉の経済学 』ジュリエット・B.ショア
であり、
『縮小社会への道―原発も経済成長もいらない幸福な社会を目指して』松久寛・編著
/中西香、他
であるべきでしょう。



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