[CML 020294] <テント日誌 10/3(水)――経産省前テントひろば 389日目>

Maeda Akira maeda at zokei.ac.jp
2012年 10月 6日 (土) 11:47:52 JST


前田 朗です。

10月6日

<テント日誌 10/3(水)――経 産省前テントひろば 389日目>

     一気に肌寒い日になり反袖姿で大失敗

 家の中は結構温かくてまだ反袖で過ごしている。というわけでテントにも反袖
で出掛けた。 ナップザックには上張りも入れたつもりだったがこれも反袖だっ
た。昨日から愚図ついた天気で肌寒い。風邪を引きそうで大失敗だった。10月に
なっても台風が次から次とくるようで天候は不安定だが、暑さ寒さも定まらな
い。季 節の変わり目には風邪を引きやすいといわれるし、風邪を引くとなかな
か直りにくい。健康であることも闘いの一つであるわけでそれなりに気 をつけ
ているつもりだが時にこんなこともある。

 テントはその日常的な動きとしてみれば賑やかで騒然としているような日と穏
やかで静かな 日とがあるのだけれど、総じて言えば金曜日を中心とする週末と
週の前半で分かれるようだ。だが、穏やかで静かな時にも人の出会いや予想外
の事件などもある。この辺はテント日誌でよくレポートされていると思うが、今
日も朝早くテント前の椅子に座っていたらある官庁の職員の方 が身分証明書を
示しながらカンパをしてくれた。

 官庁などではテントがどう見られているのだろうか、原発問題がどう考えられ
ているのか想 像をしても、その動きはわからりにくい。だから、こういう形で
の動きは刺激的だし、時折見かける光景になってきたが嬉しいものだ。自己の
政治的意志の孤立をどう超えるかが私たちに課せられた最大のものだが、それだ
けにテントが多くの人の意志の象徴になっているのを実感でき る時は元気づけ
られる。

 テントではそれこそ三人あつまれば話になるが、今は運動の見通し等に集中す
る。それが手 探り状態にあることは誰しもが認めることである。それはまた一
つの政治的な局面なのだろうと思える。私は大きな意味で今が持久戦の局面で
あるという判断を持っているが、これはかなり続くのであってそれに対応した行
動が必要だと思っている。

 首都圏反原連からは11月11日に大規模な国会包囲が提起されている。百万
人規模で国会 を包囲し停滞気味にみえる現状を突破して行こうという目論みだ
が、その意気はともかく無理ではないか、百万人などというアドバルーンはあ
げない方がいいのではという慎重な意見も聞こえる。これは私の意見であるが、
百万人というのは方向でかつて10万人と言っていたのを受け 継いだだけで、
これだけ脱原発の運動が広がり持続していることと考えればいいことのように思う。

 もし、それが実現できても脱原発が実現できなければという危惧もあるよう
だ。この場合に は脱原発の運動の基本的方向ということにも関わるように思え
るので私の考えを述べて置きたい。

 いくらやっても今の運動ではという昔の仲間からの声も届くのだが、僕はここ
で立ち止まっ て考えたい。毎週金曜日の官邸前行動は大飯原発の再稼働をやめ
させることは出来なかった。確かに大飯は再稼働している。

 しかし、官邸前の行動は他の原発の再稼働に大きな影響を与えたことは確かで
ある。もし、 この行動がなければ再稼働は次々にやられていたかもしれない。
これは十二分に想像できることだ。つまり、官邸前行動という意志の表現は再
稼働を目指していた政治的意志《原子力ムラの意志)に衝突し、その広がりを押
しとどめているのである。彼らのシナリオは狂わされているの だ。野田内閣が
どんなに矛盾に満ちたものであれ、原発ゼロを口にせざるをえなかったのもそう
である。

 政治的意志の結集《表現》は予想以上の影響をあらゆる面に与えている。政治的
力を意志力 と見てその広がりや浸透という点で考えればそれは予想以上の力を
発揮している。逆にいえば、体制や権力側の巻き返しもそれだけ必至になさ れ
ているのである。

 政治的力とは意志力である。国民の意志が共同の意志となること、国民の意志
に反する国家 意志の存在を変えることが現在の政治的課題である。政治的関係
とは意志の関係であり、そのせめぎ合いなのだ。原発問題はそれを具体的に示
すサンプルである。

 国民の意志と既得権益を持つ体制や権力の意志が原発の保持をめぐって対立し
ているのであ り、共同意志(国家意志)としてそれが争われているのだ。国民
の内部でも廃止(脱原発)という意志と推進という意志があるように、体制や
権力内部でもその対立がある。原発の存続《是非》の最終判断を政府がやるのか、
規制庁がやるのかの意見対立が浮上してきているが、それは 意志決定をなるべ
く避けたい、意志決定に伴う責任を避けたいということである。

 これは政府(政治)がやるべきことであるのは言うまでもないことだ。こうし
た論議が出て くることはそれだけ原発の存続の意志決定が難しくなっているこ
とだが国民の意志としての脱原発の動きが強くなっている証だ。

 かつて原発は共同意志(国家意志)として保持され、それに異議申し立てをす
る部分は一部 の国民の意志という限界の中に置かれてきた。それが反原発運動
の歴史だった。それが、今、脱原発は国民の意志から共同の意志(国家意志)
になる段階にある。歴史的な段階が変わりつつあるのだ。この過程、あるいはそ
の闘いの中に現在はある。

 原発の存続をめぐる共同意志の対立は政権交代の動きも背後にあって一つの過
渡《新段階》 にはいりつつある。政党や政治家は選挙を意識し、官僚は政権交代
を織り込んで方向を練り直している。こうした動きの中で私たちは大きな意 味
での持久戦の局面にあるのではないのか。

 脱原発の国民的意志の広がりの確保とそれを進める政治行動を持久戦が続くと
いう判断の下 に考え展開して行くことではないのか。選挙や政党再編、政党間
抗争を見ながら、脱原発の意志が持続し保持されて行くことを展望し、それに
ふさわし行動《表現》を模索するしかない。ここで知恵や工夫があるはずで百万人
での国会包囲もその一つである。外の雨音を聞きながらテン トの中では連日の
ように議論が重ねられている。 

        (M/O)



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