[CML 020244] <テント日誌 9/30(日)――経産省前テントひろば 386日目>

Kimura-m kimura-m at ba2.so-net.ne.jp
2012年 10月 3日 (水) 17:18:34 JST


<テント日誌 9/30(日)――経産省前テントひろば 386日目>
       福島を忘れない!福島とつながる!
        福島の棄民政策を許すな! 

 9月30日(日) 晴のち大雨
 台風17号が関東に近づいている日曜の午後(13時半〜17時)、経産省前テントひろば主催で「福島原発事故から学ぶ―脱原発のうねりの中で 福島・首都圏の集い―」が日比谷図書文化館コンベンションホールで開催され、次の方々の生の声を聞いた。100名の参加者は、政府の福島の人や動物に課している棄民政策に涙し、怒りを覚え、脱原発への思いを新たにした。
 発言者は次のとおり。 
コーディネーター 上原公子さん(脱原発をめざす首相会議・事務局長) 佐藤幸子さん(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク) 安斉徹さん(飯舘村住民、伊達市の仮設住宅に避難) 渡辺ミヨ子さん(田村市借り上げ住宅住民) 井戸川克隆(双葉町町長) 吉沢正巳さん(浪江町・希望の牧場代表) 椎名千恵子さん(原発いらない福島の女たち) 柳原敏夫さん(ふくしま集団疎開裁判の会) 布施哲也さん(反原発地方自治体市民連盟)

 各パネラーの発言のほんの一部を以下に紹介する。(文責:K.M)
佐藤幸子さん(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク)
 伊達市に避難していたが、今は川俣町のマンションに住んでいる。毎日が台風が来たような生活を1年半送ってきた。放射線量も土壌も危険が解消せず、あちこちにホットスポットがある。先日仮設住宅傍で18.8μSv(μシーベルト)を観測した。母さんたちは日々「ここは大丈夫?」を確認している。私の昨年7月から現在まで積算線量計は1.9mSvだった。多くの人々が不安の中で避難できないでいる。現地で闘ってきた人々が避難したために現地で動ける人が減っている。野菜については県外からの野菜も支援している。助成金などが人(人件費)に対して出せないことが問題。 

安斉徹さん(飯舘村住民、伊達市に避難) 
  先日原発から4kmの飯館村の自宅で測定したら4mSvだった。原発が爆発した当時は5〜6mSvあった。村民の3割が5か所の仮設住宅に、残り7割が借り上げ住宅に住んでいる。村民どうしの繋がりはなくなった。27年度の帰村方針が出されたが無理だ。400平方メートルに6億円をかけて除染されたが半分ぐらいにしか下がらない、そして数カ月経つと元に戻る。そのままそっとしておいて欲しいが聞き入れてもらえない。 
  居住困難区域は長泥のみ。村民は県外に避難しろと国に言われるが出さない、村長は「放射能怖くない」人。子どもを外で遊ばしている。原発推進派は今回の事故で死人は出ていないと言うが、相馬の酪農家など私は5人の自殺者を知っている。アメリカの放射能専門家が飯館村を訪れ、当局がモニタリング放射能を少なく見せていると暴露した。自民党の責任が重い。是非飯舘村に来てほしい。 

渡辺ミヨ子さん(田村市借り上げ住宅住民)
  田村市で有機農業を営んでいたが、宮城県の借り上げ住宅に避難している。田村市は都路地区だけ  避難指示が出ているが、他は帰宅が勧められ、早くも学校が再開されている。住民の命を守る双葉町長はえらい。尖閣諸島・竹島という小さな島のことで騒ぐ政府と中国の人たちに、「地球ー母なる土地」の宇宙飛行士の言葉「宇宙には知性と愛情と調和があることを身を持って知った」を信じて、小さな島で争うのは愚かなことだと言いたい。県外から有機農業野菜を届けても誰にも喜ばれなかった。学校  給食には今は田村の野菜は使わない。

井戸川克隆さん(双葉町町長)
 脱原発のために闘う経産省前テントに敬意を表したい。私は放射能とは闘うものではなくそれから逃げるものだと考えている。現在の闘いは長い時間の中の短い時間である。町民を何故故郷に戻さないか? 戦場に非武装の国民を置いておく大将はいない、戦場には兵士を送るのみだ。
 福島県で進められる安心教育が一番の加害である。県民は、政府・東電から嘘をつかれ、情報を後出しされてきた。町民の家系を継承すること、町民の生命と財産を守ることが私の使命だ。子供が安心して住める環境を取り戻すことが大事だ。子供を持つ母親たちを県内に住まわせることは危険であり、そうすると私が加害者になる。放射線量1mSvだった限度を20mSvに変えられてしまった。私たちの肉体の除染をしてください。 
  東電の加害責任も曖昧にされようとしている。「無主物」はありえない、四日市や水俣に戻る。日本の人口が減って行くのだから、電力の本当の需要予測をするべきだ。54基の核燃料の処理をどうするのか。 

吉沢正巳さん(希望の牧場代表)
   浪江町で330頭の牛を飼う酪農家だった。福島原発の事故の時、爆発音を聞き遠くの白煙を観た。飼っていた牛たちは出荷を断れた。3月18日に東電に乗りこんで訴えた。
私は東電に「逃げるな!自衛隊や消防と一緒に水をかけろ」と叫んだ。農水省や保安院に訴えたが何もしてくれなかった。3月23日から餌をやり続け「地獄のような光景」を見ている。1500頭の餓死と、1000頭の殺処分指示だ。でも、したがえなかった。大事に育ててきた牛たちを何故殺せるか? 私は夏まで餌をやり続けた。あちこちの牛舎に放置された1500頭の牛が餓死した。牛飼い農家は皆ノイローゼに陥った。
僕たちの町はチェルノイブイリになってしまった。未だに30μSvもあって、牛たちは生きている。死の街だ。絶望の街だ。浪江町は終わりだ。牛飼いとして人生をかけて原発と闘う。この牛たちが原発事故の生き証人だ。僕たちは棄民だ。 

椎名千恵子さん(原発いらない福島の女たち) 
  今も福島は深刻な状況が続いている。私たちは絶望を組織化されている。政府も原発推進派も子供   たちを外に連れ出そうとしている。商工会は1~4号機以外の福島原発の再稼働を求めている。井戸川町長の「福島県庁を取り囲もう」の提案に賛成だ。パリやドイツでもかんしょ踊りが踊られている。原発推進派や政府と面と向かう人々の新たなつながりを作って行きたい。怒りの原点となってきた経産省前テントを守り抜こう。 

柳原敏夫さん(ふくしま集団疎開裁判の会) 
  子供たちを被爆から守るための集団疎開を求める裁判を始めた。子供たちの被曝線量が7.8〜17.8 mSvと1mSvの基準を大幅に超えている。郡山市でも多数の子供たちがチェルノブイリの避難基準を超える線量にさらされている。14人の子供たちの避難の救済を求める裁判を起こした。そのために   国会議員アンケートも開始した。
  チェルノブイリでは4,000人の子供たちが小児甲状腺がんになった。事故から5年後91年にソ連が残した最後の法律「チェルノブイリ避難基準」ができた。

布施哲也さん(反原発地方自治体市民連盟) 
  私たちは3.11以前の2011年1月に準備会を発足した。電力会社から電力を買わない運動を進めてきた。電力の料金体系が原発推進の金を集めるための体系だからだ。東京都を含む自治体はじめ電力会社以外の電力を使う団体が増えてきて電力の自由化が進んでいるが、さらに個人でも電力の購入先を選べ る仕組みを広げていきたい。がれきを拡散するのでなく、福島の思いを拡散しよう。

  終了後、友人は「今日の話こそ首都圏のみんなに聞かせてやりたい。」と開口一番に言った。台風ゆえか少人数の参加者でかつ同時動画中継も無かったのが非常に残念だった。いずれ経産省前テントひろばサイトにアップされる記録ビデオを是非ご覧いただきたい。
           (K.M)



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