[CML 021174] <テント日誌 11/21(水)――経産前省テントひろば 438日目>

Kimura-m kimura-m at ba2.so-net.ne.jp
2012年 11月 24日 (土) 08:52:59 JST


<テント日誌 11/21(水)――経産前省テントひろば 438日目> 
      選挙前の妙な静けさが支配する
 
「秋深き隣は…」なんて嘯いているうちに季節はもう冬模様だ。日中の短い時間には秋日和とでも言うべき陽気も見られるが雨の日などはもう冬というべきなのだろう。街は選挙前の妙な静かさが支配しているようだ。
選挙の告示も近づけば街も賑やかになるのだろうか。そういえば最近、カフェ―らしき店に入ったらクリスマスソングが聞こえてきた。今年はじめてのソングだけど、これって早いの、遅いのと一瞬迷ってしまった。巷ではクリスマスソングが鳴り響くという光景も変わったのか(?)

 比較的静かな週のはじめだが、不寝番で本を読んでいた。深夜のひと時だがいつもは可愛い訪問者(?)あるいは住人が顔を出す。ネズ公である。かつて加藤登紀子が獄中の藤本敏夫を慰める(?)ために歌ったといわれる『ひとり寝の子守唄』でもおなじみのものだ。獄中のネズ公は栄養がいいためか太っており、夜中の訪問でも人を驚かす程の大きな音をたてるが、こちらのはやせていて小さい。
気味悪がる人もいるが僕には可愛い存在である。もちろん,餌などやらないが、靴をトンと叩いてひっこんでいなというだけだ。こんなネズ公でも姿を見せないと寂しいものだ。昔話に出てくる「ねずみの浄土」の話はよく知られているが人間はねずみと親しい共生的関係にあった時代もあったのだ。

 テントを訪れた人たちには第一テントの所にあるノートに名前を几帳してもらっている。カンパをして頂いた人には金額なども書いてもらっている。その時にビラ類をセットにしたものを渡す。
これは各地域やグループで原発問題の研究会や集会、あるいはデモ等の案内などである。これを見ると各地で小さな脱原発の催しが頻繁に行われているかが分かる。大きな集会とは別にこうした形での陣地を形成していくことが大事だし、脱原運動の中で陣地戦的な要素の必要性を暗示している。
国民の共同意志の実現の運動は伝統的なデモや集会という意志表示と同時に社会の深部に陣地を形成していくことが大きな戦略だが、それはいかに可能か。ビラ類を見ながらそのことを想像する。

 いろいろのビラが持ちこまれるがもっともっとテントに持ってきてもらいたいと思う。テントを脱原発運動の交流の場にしたいということでもある。セットになったビラを包むように挟んでいるのはたんぽぽ舎の月間のスケジュールなどが表示されているものだ。ここには毎日のように行われている学習会・講座案内が載っている。
長年にわたり脱原発の運動を担ってきただけあって多彩な活動が展開されている様子もわかる。経産省前テントひろばの宣伝チラシ、原発いらない女たちのテンとひろばのビラ、あおぞら放送の案内ビラがある。

 さらには12月15日〜17日に国際原子力機関《略称IAEA》が日本政府と期共催して開く「原子力安全に関する福島閣僚会議」に対するフクシマ・アクション・プロジェクトの案内がある。テントではバスで持って現地行動に参加する予定である。原子力規制委員会とアメリカ大使館への抗議の昼デモ《11月30日金曜日12時日比谷公園集合、12時15分デモ》の告知ビラもある。紹介したのは一部であるが、テントは脱原発運動を交流場であるのだからおおいに利用して欲しいと思う。

 朝早くと行っても午前10時過ぎだが土建総や建築関係のみなさんさがテント前を通って行く。さいたまという旗が目につくが手など振ってエールの交換をする。霞ヶ関界隈をデモなどして意志表示をするグループが増えている。前に紹介した憂国メッセージーを書きなぐった大型トラックも時折見かけるが、左右を問わず意志表示行動が目立つようになった。もちろん、毎週金曜日の官邸前行動が持続力や規模として最も大きいのだが、国民の意志《民意》と政治が乖離しそれがますます拡大する以上はより激しく頻繁になるのは必然である。

 瓦礫問題の全国的な交流と検討の皆さんがテントを待ち合わせの場所にしていた関係で寄っていただいた。冷たい朝風の中で談笑をした。関西では瓦礫受け入れ問題での闘いが激化しているが、これも原発問題から発生することの一つだ。ただ、こうした原発問題は末端に行けば行くほど具体的に対応するほかなく、それだけ難しさが伴うと思う。とりわけ行政組織との対立が避けられない場合にはそうなる。地道で具体な対応が要求されるこうした問題に関わっている皆さんが困難を乗り越えてくれるのを願っている。

 選挙では右傾化傾向が懸念されているが、世界的な経済的あるいは政治的危機の進展の中で、国家間対立が深化する、そのように巧まれる。歴史を見れば危機の時代における蛮行や愚劇が否応なしに目につくが、懲りずに同じ様な事を人類は演じる。後代の歴史では悪夢に見えることを繰り返す。これは危機を脱却すると夢のようなプランを掲げる政治家や政党の所業が初期段階では見破ることが難しい為である。歴史的に悪名高いファシズムだって初期には魅力的で健康にすら映ったのである。僕らは未来を発見することの多くが過去の発見にあることを忘れるべきではない。無知が栄えないために。                     (M/O) 


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