[CML 017001] ICRPの低線量被ばく基準を緩和しようという動きの担い手は誰か?(8)最終回

Yasuaki Matsumoto y_matsu29 at ybb.ne.jp
2012年 5月 14日 (月) 04:32:22 JST


みなさまへ     (BCCにて)松元

私のパソコンが壊れたため、配信が滞ってしまったことをお詫びいたします。
一部の方には記録的な意味もあると思いますので、遅配便ですがお届けいたします。

島園進氏の表記の連載、5月5日に掲載された(8)の連載最終回です。

すでに、その(1)(2)でお知らせしたように東京大学の島園進氏が、電力中
央研究所(電中研)を中心にした研究グループがホルミシス論に基づい て
「ICRP以上の安全論」を追究、推奨してきた経緯に注目しています。

「低線量被曝」を無視・軽視しているICRPをさらに乗り越えて、「安全神
話」の学問的裏づけに邁進する被爆国日本の「研究者」たち。

彼らが放医研、放影研はもとより、原子力安全委員会、内閣官房低線量被ばくリ
スク管理に関するワーキンググループメンバーなどの要職に就くように なった
歴史に光を当てています。

著者了解のうえで、この興味深い論考を紹介させていただきます。
今回(8)は連載の最終回、「安全論と慎重論」「安全論が原発推進機関や政府
官庁と関わりを深めていった経緯」への注目です。

◆ブログ:島薗進・宗教学とその周辺
http://shimazono.spinavi.net/

=====以下、その(8)連載最終回の全文転載=====


    ■日本の放射線影響・防護専門家がICRP以上の安全論に傾いてきた経緯
    (8) ――ICRPの低線量被ばく基準を緩和しようという動きの担い手は
    誰か?――

平成11年4月21日に京王プラザホテルで開かれた「低線量放射線影響に関する公
開シンポジウム――放射線と健康」は、放射線防護基準の引き下げを目ざし た科
学動向に勢いをつけようとするもので、電力会社をはじめとする原発推進勢力が
後押しするものだった。科学者側でこの動きを先導したのは医 学界というよ
り、人口がさほど多くない保健物理(放射線影響・防護学)の学界の人々だっ
た。1990年代から2000年代へと保健物理の学界では、ホルミ シス論や LNTモデ
ル否定論(しきい値あり論)が高い関心を集め優勢になっていった。懐疑的な科
学者もおり、野口邦和氏、今中哲二氏らの声がないわけ ではなかったが、政府
周辺の保健物理専門家からそうした声は排除されていた。かろうじて残っていた
懐疑的な声が排除されたという点で、小佐古 氏の内閣官房参与辞任はこの領域
の専門家の狭さを象徴する出来事だろう。

だが、これは広い医学の動向を反映するものではまったくない。ホルミシス論や
LNTモデル否定論(しきい値あり論)を強く唱えた科学者には大学医学部で教 え
た近藤宗平(阪大)や菅原努(京大)のような影響力の大きい少数の有能な存在
はいた。しかし、こうした論者の説が医学界で科学的に高い価値 をもつ有力説
となったようには見えない。

 事実、福島原発事故発生後の放射線健康影響についての医学者の発言は、安全
論と慎重論に分かれている。東京大学アイソトープ総合センター長 の児玉龍彦
教授は東大の放射線管理全体の責任者という地位からも分かるように、放射線の
健康影響に強い関心をもってきた医学者だが、放射線被 ばくの影響を軽視すべ
きで ないという立場から発言し、注目された(児玉『内部被曝の真実』幻冬
舎、2011年9月、一ノ瀬正樹他『低線量被曝のモラル』河出書房新社、 2012年2
月)。児玉氏はすでに2010年に刊行された金子勝氏との共著(『新興衰退国ニッ
ポン』講談社、2010年)で、「他の国では100万人の子 供に1人しか 発症しない
はずの小児甲状腺ガンに、4000人以上の子供が次から次へと罹患しているにもか
かわらず、世界から集まった研究者は、「この地域 での甲状腺ガ ンの発生と
チェルノブイリの事故の関係を示す証拠はない」としか議論ができなかった」
(p.8)と述べていた。

 児玉氏が内部被曝への楽観論に対する批判の論拠としてあげた福島昭治氏(日
本バイアッセイ研究センター所長、元大阪市立大学医学研究科長、 病理学)ら
の 「チェルノブイリ膀胱炎」の研究について、放射線医学総合研究所は「尿中
セシウムによる膀胱がんの発生について」という無記名の批判記事を掲 載し
た。福島氏はセシウムによる内部被曝で膀胱がダメージを受けており膀胱がんの
多発に関わっている可能性が高いとしたのだが、これを否定し たものだ。福島
氏はこれに 反論し、「『リスクはない』と否定するよりも、そのリスクを軽減
する努力が大事なのです」と述べている(『サンデー毎日』2012年3月25 日
号)。個人的に教示を受けた文書だが、東京大学医学部病理学教室の石川俊平准
教授も放医研の批判は危ういものであり、福島氏らの研究には十 分な意義があ
ると述べてい る。

 放射線医学の専門家からも楽観論を主張する著作と、リスクにしっかり対処す
べきだとする著作や文章が競い合って公表されている。後者には、 西尾正道氏
(国立病院機構北海道がんセンター院長)の『放射線健康障害の真実』(旬報
社、2012年4月)、近藤誠氏(慶応大学医学部放射線科講師)の 『放射線被ば
くCT検査でがんになる』(亜紀書房、2011年7月)、平栄氏(武蔵大和病院放射
線治療科)「低線量被曝の時代を生きる子どもたち――第 30回日本思春 期学会総
会学術集会教育講演」(『思春期学』30巻2号、2012年)などがある。上記3人
の医学者はいずれも積極的にがんの放射線治療に携 わって来た臨床医であり、
放射線治療の有効性を十分に認めた上で、放射線リスクを軽視すべきでないとい
う立場から原発事故による低線量被ばく 問題を論じており、多くの 臨床経験を
踏まえた論述に説得力がある。

 近藤氏は「原発事故による被ばくQ&A」という章で、「「少しの被ばくなら心
配ない」という専門家のことばを信じてよいでしょうか。専門家 情報をどのよ
うに受け止めればいいですか?」との問を設定し、まず「心配するかどうかは本
人の自由だから、専門家が「心配ない」というのは僭越ではない か」と述べた
上 で、安全論の危うさを指摘し、100mSv以下でも「発がん死亡リスクの上昇が
認められているのですから、その言明はウソになっている」とい う。

  「このように専門家が口々に言うウソが、内容においてあまりに一致してい
るので、気味が悪くなるほどです。多様な意見があってしかるべき 学問の世界
で、これほど同じウソが横行する背景には、少なくとも二つの事情があるでしょう。
  一つは、仮にテレビに出た専門家が、低線量被ばくのリスクについて正確な
ところを話したらどうなるか。視聴者はパニックになりかねない。 混乱や非難
を恐れるテレビ局にとって、視聴者に安心感を与える専門家は重宝な存在なのです。
 第二の事情は、原発推進派や電力会社がこれまで周到に用意してきた種々の仕
掛けが、この緊急時にうまく働いているのです。その仕掛けの一端 として、た
と えば「低線量被ばくは問題ない」と発言してくれる専門家を囲い込む(100頁
参照)。専門家がいる大学に巨額の研究費を流し込み、大学退職後 は、「原子
力 安全研究協会」などのポストで処遇する(101頁参照)。そのようにして、何
か原子力関係の緊急事態が生じたときに、都合のよいことを言って くれる専門
家 たちをそろえておいたのです。」

 上記の指摘は、私のこの連載のこれまでの叙述から引き出せることでもあり、
よく納得できる。次の指摘も同様である。

 「こうして少なからぬ数の専門家が、「100ミリシーベルト以下は安全だ」と
言い出すと、それまで中立だった専門家まで感化されてしまう。
 この点たとえばテレビ番組に頻出した中川恵一氏が、「原爆の被害を受けた広
島、長崎などのデータなどから、100ミリシーベルト以下では、 人体への悪影
響がないことは分かっています」とまで述べていたことは前述しました(24頁参
照)。ただ、彼の名誉のためにいうと、原発関連企業から研究費 をもらってい
たとは思わない。原発事故が生じるまで、中立的な意見だったのでしょう。しか
し、被ばくリスクに関して初歩的ミスを犯している(30頁参照) ところからみ
て、普段からリスクについて調べていたとは思われない。テレビ出演依頼を受け
た後、にわか勉強をしたところ、それまで(原発企業寄りの)専門 家たちがあ
ちこちに張り巡らしておいた「100ミリシーベルト以下は安全だ」という言説の
網に引っかかってしまったのだろうとみています。」 p.208-9

 中川恵一氏の場合は、毎日新聞、週刊新潮などのマスコミとかねてより深い関
係があり、がんについての著述が多く、がんリスクや放射線に関わ る医学啓蒙
家として自認するところがあったので、急ぎ安全論の陣営に与することになった
というのが実情だろう。2011年の3月以来のツイッ ターでの発言が多くの批判
を招いたのは、にわか作りの専門家ということが大いに関わっているだろう。

 実際、医学系で安全論の方に傾く論の提示者は、舘野之男氏、中村仁信氏、遠
藤啓吾氏、佐々木康人氏、神谷研二氏、山下俊一氏等、原子力や放 射線に関わ
る 政府関係の職務を経験していることが多い。放射線医学総合研究所や放射線
影響研究所に関わってきたこと、酒井一夫氏が兼務しているようなさま ざまな
審議会・委員会等(この連載の(2)参照)に関わってきたことがその特徴だ。
たとえば、首相官邸原子力災害専門家グループのメンバーは
http://www.kantei.go.jp/saigai/senmonka.html 保健物理系の研究者は含まれ
ず全員医学者だが、すべて政府・省庁と密接なつながりがある人々だ。そして、
放射線治療の現場に深く関わって重要 な業績を生み 出してきた人はほとんど見
られない。

 これらの人々の発言は、上記のホームページで知ることができるが、低線量被
ばく問題についてまとまった叙述を公表していない場合が多い。多 くの場合、
住民への放射線の健康影響の問題は自らの専門研究領域とは別の領域だからであ
る。たとえば、首相官邸原子力災害専門家グループには 属さないが、福島原発
災害後、同様の役割を果たしてきた放射線医学総合研究所理事長の米倉義晴氏は
どうか。

 国会での同氏の発言については、連載の(2)で紹介したが、では、米倉氏は
どのようにして原発による放射線健康影響問題に関わるようになっ たのか。米
倉氏が放医研理事長となったのは2006年だが、その前後に政府が関与する原子
力・放射線関係の要職に次々に就任している。原子放 射線の影響に関する国連
科学委員会日本代表 (2007-)、国際放射線防護委員会(ICRP)第3専門委員会委
員 (2005-2013)、原子力安全委員会専門委員 (2006-2011)などである。では、そ
れ以前はどうか。

 同氏は95年に京都大学から福井医科大(現福井大)に移り、同大高エネルギー
医学研究センター長として、放射線を使った画像診断PETの研 究・普及に力を尽
くした。その一方で同氏は原発推進機関との連携を深めていく。関西電力、北陸
電力、日本原子力発電、日本原子力研究開発機 構、福井県の5者が資金を提供す
る若狭湾エネルギー研究センターと協力したり、関電病院で行われた関西PET研
究会の座長を務めてきたことは 連載の(2)でも触れたとおりだ。政府関係者
や原発推進勢力が有力な放射線医学者に近づき、原発推進に協力する立場に引き
込んでいった経緯が 見て取れる。

このようにアカデミックな経歴が終わる時期に、原発推進機関や政府官庁と関わ
りを深め、原発に関わる放射線医学の専門家として高い地位を与え られる医学
者、とりわけ放射線医学者が目立つ。研究者として低線量放射線の健康被害とい
うような学問分野に関わってきたわけではないのだが、 政府関係機関に関わる
よ うになって(あるいはその準備段階で原発推進関係機関に関与するように
なって)から、そのような発言をせざるをえなくなる。(好んでするよう にな
る。)だから、この分野のまとまった著述がないのも肯ける。公衆衛生と疫学の
専門家として、あるいは甲状腺の専門家としてこの分野に関 わってきた重松逸
造氏(元金 沢大学医学部教授、元放影研理事長)や長滝重信氏(元放影研理事
長、元長崎大医学部教授)のような専門家とは異なり、専門研究者としての素養
は乏しいの だ。

 そうした中で、原爆や核実験や原発事故等の低線量被ばくによる放射線健康影
響について積極的に言及している放射線医学の専門家の著作には、 中川恵一氏
による『放射線のひみつ』(朝日出版社、2011年6月)、『放射線医が語る被ば
くと発がんの真実』(KKベストセラーズ、 2012年1月)の他に、舘野之男(元千
葉大医学部放射線部長、元放医研臨床研究部長)『放射線と健康』(岩波書店、
2001年)、中村仁信 (阪大医学部放射線科教授、元国際放射線防護委員会
(ICRP)第3委員会委員)『低量放射線は怖くない』(遊タイム出版、2011年6
月) などがある。では、それは専門家らしい信頼に値する内容を もつものだろ
うか。

 ここでは、中村仁信氏の対話形式の著作から興味深いやりとりを引く。中村氏
への質問者がA、Bと2人いる。

 「A でも、それでも100ミリシーベルトで1%の人が発症しているのだから、
100ミリシーベルト以下だからといって安心できないのでは ないでしょうか。1
億人が90ミリシーベルト被ばくした場合だったら、90万人がガンになるのでは。」
 「中村 そいういう計算をしてはいけないと言ったじゃないですか。しきい値
なし説だったから計算上そうなります。急性被ばくの場合ですよ。 それがしき
い値なしの怖いところでもあります。実際、100ミリシーベルト以下では不明な
のですから。
 それに考えてください。1%以下のリスクです。現在では日本人の約30%がガ
ンで死んでいるんですよ。30%と30.9%の差はさほど大き くありません。」p.66

 子どもの発がん(がん死でなく)の割合であれば、どの程度増えるのか。私な
らそう聞いてみるところである。だが、ここで「しきい値なしの怖 いところ」
と 言っているのは注目すべきだ。がん死率を平常のがん死率と比べるのはよい
が、実数を計算するのはよくないという。だが、「そういう計算をして はいけ
ない」 理由もよく分からない。もっと驚くのは次の一節だ。

 「B 放射線を怖がりすぎる必要はないということはよくわかりました。で
は、 被ばくを減らす努力は必要ですか。先生ご自身はあまりそういう努力はし
ておられないようにお見受けしますが」
 中村「これまた、すごい指摘ですね。とても大事なポイントです。100ミリ
シーベルト以下は健康被害なしだったら、わずかな放射線など防護 する必要は
な いと思われるかもしれません。しかし、そうではありません。繰り返します
が放射線は活性酸素を生み出します。特別なものではありません。多く の原因
で出る 活性酸素の影響と合算されると考えてください。放射線が少なくてもガ
ンになりますから、ストレス、タバコなどで生体防御がっぎりぎりのところ か
らもしれないのに、意味もなく放射線を加えることはないでしょう。そういう意
味で、すごい量の活性酸素が出るのに平気でタバコを吸ってる人 がわずかな放
射線を怖がっているとしたら滑稽ですね。
 前半はここまでです。私自身、被ばくを減らす努力を怠っているわけではあり
ません。長い間、放射線を管理する立場でしたしね。でも本音では 被ばくにそ
んなに神経質にならなくても、と思っているんですが、その理由は次章で。」P.83-4

 何が「すごい指摘」なのだろうか?当たり前の質問ではないか。それについて
中村氏は答えられているだろうか。できていない。「その理由は次 章で」とあ
るが、その章は「放射線ホルミシス」と題されている。「しきい値なし」説に立
てば、低線量被ばくは「怖い」のであり、しっかり対策 をとるべきなのだ。中
村氏は放射線ホルミシス説が妥当であり、「しきい値あり」と信じているから、
「神経質にならない」らしい。しかし、それ を表に出しては言えないのだ。

 年齢が高く、またそれ相応の経歴をもつ医学研究者を放射線健康影響問題の責
任者に抜擢する仕組みは、放医研の設立と深く関わっている。 1957年に放医研
が設立されたときから、政府直属、旧科学技術庁直属だったこの科学研究機関が
もつ問題が継続している。これについては、塚 本哲也『ガンと戦った昭和史 ――
塚本憲甫と医師たち』(上・下、文藝春秋、1986年、文春文庫版、1995年)、
『放射線医学総合研究所20年史』科学技術庁放射線医 学総合研究 所、1977年、
『放射線医学総合研究所50年史』http://www.nirs.go.jp/publication/50th
/index.shtml 、また、堀田伸永氏のウェブサイトhttp://kyumei.me/ などに多
くの資料があり、別途、検討 することにしたい。1980年代以降につい て検討し
てきたが、さらに時期を遡って検討を深める必要がある。

 以上、見てきたように、低線量被ばくは安全だという論は、原発開発の権益や
政策と関わって形作られてきたものであり、科学的にも公共的な言 説としても
た いへん危ういものだった。こうした言説の形成史をたどると、1980年代以
来、とくに日本でこの種の論が強く育成されてきたという事実が明ら かにな
る。福島原発事故後の政府に近い立場の放射線の専門家の発言が、未だに分かり
にくいままであり、人々の不信を買い、多大な混乱を招き続 けて今に至ってい
る主な理由は、放射線専門家の偏った言説と、それが招いた信頼喪失にあると言
わざるをえない。

 国民生活に深く関わる問題についての専門家の信頼喪失という、このような事
態が生じた理由を問い直し、今後の改善の道を探ることは、人文社 会系を含
め、広く科学・学術に携わる者に課せられた重い課題である。
(結:この連載はここで終わります)


(以上、連載の転載終わり)



パレスチナ連帯・札幌
松元保昭




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