[CML 016969] Re: ある「『日の君』強制不服従」者の思考停止の奇妙さ・・・ある映画をめぐって

櫻井 智志 sa104927 at yahoo.co.jp
2012年 5月 12日 (土) 12:04:36 JST


櫻井智志と申します。
 
増田さんの文章を拝読しました。
土肥校長についても、何度かMLにて話題となっておりましたので、なぜ土肥氏が
批判されているのか、それなりに知っていました。
 
増田さんと根津さんたちと土肥さんとでは、あきらかに異なります。
それを大前提として書きますが、読んでいて増田さんのご指摘で違和感が残った
箇所があります。土肥さんが高校の校長として、職員への処分、弾圧を行ってい
た、というご指摘は増田さんのおっしゃるとおりなのだと考えます。
けれど、それはヒットラーに従うアイヒマンと同等なのでしょうか。
 
土肥校長が管理職としておこなってきたことへの増田さんのご批判には同感です。
けれど、ある時点から土肥さん自身も処分対象者の領域に入れられたわけです。
そのことのご認識が、増田さんには希薄かと思います。
 
私の亡父小鮒寛は、戦前に北海道教科研を組織し、北海道綴り方教育連盟を組
織したために、坂本亮らとともに逮捕され懲役刑と執行猶予五年の実刑を受けま
した。教師はもちろん懲戒退職処分を受けました。長く未決の獄中の独居房にい
れられました。戦後、全教の書記局で増淵譲、羽仁五郎、入江道夫などの諸氏と
日教組の大同団結による結成まで尽力しました。
 
迫害を受けた熱心で良心的な教師ほど、弾圧を受けるなかで、本物と偽物とを見
分け、敏感に見分けます。その点から、土肥校長の事実を腑分けして、疑問を呈
されることには共感を持ちます。
しかし、
増田先生、あなたがそれを言ってどうでしょうか。
 
東京都と都教委の反動的な処分は、良心的な教師を弾圧しつつ、分裂して統治
しようとしています。処分を受けた側が、個々の相違を認識しつつも、共闘できる
部分では連携し連帯しなければ、容易に権力は心ある良心的な教師達を軽々と
踏みつぶしていきます。
主なる敵は、あいまいな姿勢の元校長を指弾することにあるのでしょうか?
それとも、全国でも際だって反動的な文教行政を行っている都教委幹部とそれを
指揮する石原慎太郎都知事でしょうか?
 
私の予感では、さらに日本は反動化し管理され抑圧されていきます。
教育の良心を保持しつつ現場で弾圧をうけた教師は人数的には少数派です。
その少数派が団結して権力の弾圧を多くの現場教師にも世間にも広く啓蒙しつ
つ、支援と協同の輪を徐々に広げていくことが重要なのではありませんか。
 
教育基本法が改悪され、さらに憲法も紆余曲折を経ながらも、改悪にむけて
急ピッチで燎原の炎のように火の手は迫りつつあります。
状況認識からすれば、弾圧処分された教師達の共闘よりも不協和音のほうが
多く聞こえることは、明確にマイナスです。
 
勤評不提出のために伊藤校長は懲戒処分を受けました。学生時代、級友たちと
伊藤先生を守る会の運動に参加しました。最後まで裁判は有罪でした。
戦後でも数々の不合理な弾圧は続きました。それでも処分を受けた側は、
権力の側と異なり、悠然と闘ってきました。
私も今年定年退職で教育現場を離れました。常勤再任用の希望を出しましたが
不採用でした。2か月自宅待機しつつ、六月から非常勤講師を登録しようと
考えています。
 
闘いは感情的になったら、容易に権力によって足をすくわれます。
明るく開かれた心で取り組むことが、肝心です。
見るひとは見ていますから、増田さんがご指摘の土肥氏における不明な部分
などすぐにわかっているでしょう。何度も土肥批判を続けることは、
増田さん個人への不信感を招くことに連なります。
厳しい闘いのなかで、どうぞお身体に留意され、ご健闘を祈念しております。
 
--- On Sat, 2012/5/12, masuda miyako <masuda_miyako1 at hotmail.com> wrote:




皆様
 おはようございます。犯罪都教委&1・5悪都議と、断固、闘う増田です! これはBCCでお送りしています。重複・超長文!? ご容赦を!


 以下は、あるMLにおいての○さんの投稿と私が返信した○さんへの質問です。私のものは「たぶん、○さんからの返信は無いだろうな」と思いながら、4月30日に投稿したものです。やはり、返信はありませんので、「疑問」を最後に開陳します。


****************************
<○さんから>(必要部分のみ)
「小生が映画上映等に、ささやかながら協力しています、全国各地で上映されている映画、『”私”を生きる』の名古屋での上映のお知らせです。」

「大阪府教委・東京都教委などの不当な『君が代』処分攻撃に抗議・抵抗するという一点で、それぞれの個人・立場の違いを大切にしながら、お互いに『寛容』の精神を大事に、共通の『相手』を囲い込むための、ゆるやかで、多彩な、そして、広範な『抵抗戦線』、『全国的なネットワーク』を形成していきましょう。

 小生も、ささやかながら、小学校現場での30数年の『日の丸・君が代』強制不服従のまま」

「ドキュメンタリー映画 『“私”を生きる』〜上映のご案内〜・
 日本社会の ”右傾化” や ”戦前への回帰” に抵抗し、自分が自分であり続けるために教育現場で凛として闘う、3人の教師たち(根津公子さん、佐藤美和子さん、土肥信雄さん)の”私”を貫く生き様を記録した傑作ドキュメンタリー『"私”を生きる』を、名古屋市内にて公開いたします。」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<増田から○さんへ>
 こんばんは。犯罪都教委&1・5悪都議と、断固、闘う増田です!
ご多忙のところ恐縮ですが、○さんには、以下の4つの質問にお答えいただけないでしょうか?

1、○さんは、この、「ドキュメンタリー」と称する、『”私”を生きる』という映画の1/3である土肥元校長部分について、重要な真実が隠蔽されていることをご存じの上で、それには口を拭って、この「映画上映等に、ささやかながら協力してい」らっしゃるのでしょうか?

 以下は、このML等でも私が投降したものですが、これまで、お読みになっていないのでしょうね? 最後の東本さんの投稿の場合は、○さんが入っていらっしゃるML等では見る機会が無かったかもしれませんので、紹介しておきます。

<1土肥元校長が勝訴されたら? 2『私を生きる』のフィクション部分!?>
http://www.masudamiyako.com/news/12/120104.html
<映画「私を生きる」私見(田畑和子さんの意見)&「羊頭狗肉」映画?>
http://www.masudamiyako.com/news/12/120124.html

<映画『私を生きる』私見 その2(田畑和子さんの意見)>
http://www.masudamiyako.com/news/12/120215a.html
<映画「私を生きる」土肥校長の映像はカットすべきです> 
http://www.masudamiyako.com/news/12/120307.html

<大分の東本高志さん(ML上でしか知らない方ですけど)のブログ>
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-379.html

2、以上をお読みになれば、○さんにも、この、「ドキュメンタリー」と称する、『”私”を生きる』という映画の1/3である土肥元校長部分については、「ドキュメンタリー」ではなく、重大な真実を隠蔽し、虚構=フィクション=ウソを交えて創作されていることがご理解いただけることと思います。

 超簡単(笑)に言えば、以下の´△2点において、土肥元校長は、この映画のキャッチ・コピーにいう「日本社会の ”右傾化” や ”戦前への回帰” に抵抗し、自分が自分であり続けるために教育現場で凛として闘う、教師」では無かった、という事実が有るのです。

 「都立三鷹高校校長として、私は、都教委の命令はどのようなものでも法令に準じるものと考え、法令遵守が私のポリシーだから従った。」だから「私は都立三鷹高校校長として、10・23通達に従い、職務命令を出し、私の命令に従わず不起立をした教員を処分するよう事故報告書を書いて都教委に処分させた。」という事実・・・
      ↓
 この事実は、「たとえ都教委の命令であっても、憲法に保障された『思想・信条・言論・表現の自由』という民主主義と人権の思想に反すると思うものには従ってはならない」として、「日の君」強制に対し、不起立を行った根津さんたちをはじめとする教職員を、土肥元校長は都教委の走狗となって弾圧した、という事実の存在を意味します。

 このような土肥元校長について、あなたは、「日本社会の ”右傾化” や ”戦前への回帰” に抵抗し、自分が自分であり続けるために教育現場で凛として闘う、教師」と、評価なさいますか?

 「都立三鷹高校校長として、私は、都教委の命令はどのようなものでも法令に準じるものだから、法令遵守法令遵守が私のポリシーだから従った。」だから「私は都立三鷹高校校長として、『職員会議の採決禁止通知』に従い、都立三鷹高校においても、職員会議で挙手採決をさせなかった」という事実・・・
      ↓
 この事実は、土肥元校長が、口では「民主主義に反するから『撤回』すべきだ」と「撤回を求めた」その東京都「教育委員会の指示に従」って、「教育現場」である都立三鷹高校において、民主主義に反する「職員会議、挙手採決禁止」通知を実践し、教職員の言論・表現の自由を弾圧した、という事実の存在を意味します。付言すれば、土肥元校長は10・23『日の君』強制通達については
「撤回を求めた」事実は存在しませんし、公開討論を求めた事実も存在しません。

 このような土肥元校長について、あなたは、「日本社会の ”右傾化” や ”戦前への回帰” に抵抗し、自分が自分であり続けるために教育現場で凛として闘う、教師」と、評価なさいますか?

 以下は、仮定のお話で、実際には有り得ませんけれど、この「ドキュメンタリー」と称する『”私”を生きる』という映画の」土肥校長問題を分かり易くするために、敢えて、書いておきます。

 あの、アイヒマンが、もし、「私は、ヒトラー(上官=上司)の指示命令に従って、ユダヤ人虐殺をした。しかし、私は心の中ではこれは民主主義に反すると思い、反対だったのだ。しかし、上官・上司の指示命令に従うことは法令遵守をポリシーとする者であれば当然だと考えるから、そうしたのだ。

 しかし、これは民主主義に反するから、『ヒトラーさん、公開討論しましょう! 公開討論しましょう!』」と言った、としましょう。そして、テレビ・新聞等マスコミで大々的に報道され、世間で大いに喝さいを受けた、としましょう。

 そしたら、アイヒマンは、ドイツ「社会の ”右傾化” や ”戦前への回帰” に抵抗し、自分が自分であり続けるために」「現場で凛として闘う」ヒトとして描く「ドキュメンタリー」映画の主役の一人と成り得ると、あなたは考えられますか?

 もちろん、アイヒマンの場合、そんなことを口にした途端、土肥校長と違って、命は無くなりますから、1000%、いえ、2万%(笑)有り得ませんけども・・・ま、それは、最初から仮定の話なので、無視してくださいね(笑)。

> 大阪府教委・東京都教委などの不当な「君が代」処分攻撃に抗議・抵抗するという一点で、それぞれの個人・立場の違いを大切にしながら、お互いに「寛容」の精神を大事に
>
3、○さんが書かれた、この「お互いに『寛容』の精神を大事に」という文言は、上記のような土肥元校長による、「教育現場で」、民主主義に反し、人権を侵害する実践をなさった方が、それに対する反省無しに・・・反省されているならば、まだしも・・・「法令遵守をポリシーとする者なら、都教委による反民主主義の通達・通知にも従うのは当然」と今でも主張されている方にも「寛容」であれ、そして、彼の「教育現場で」の反民主主義実践には堅く口を閉じよ、というご主張でしょうか? 

4、私には、奇妙に思えてならないことがあります。○さんをはじめ、『日の君、不起立』者の方々には、生徒たちに「上からの命令だからといっても、何も考えずに従うのではなく、従うべきか否か、自ら考え判断する力を育てなければならない」という主張が中心にあると思うのです・・・たぶん・・・。

 ところで、上記2-´△北世蕕なように、土肥元校長は、根津さん・佐藤さんとは正反対に、「教育現場で」都教委の通達・通知(指示命令)に従って、民主主義・人権保障と正反対の実践をなさり、それを現在でも「都教委の指示命令は法令に準じるから、法令遵守をポリシーとする者は従って当然」と何の反省もない人物です。

 神戸で当該映画の上映を積極的になさったらしい方によれば、最近、土肥元校長は、不起立教員を処分させたくなくて「『不起立してない』とウソをついてくれれば、事故報告書を書かなくて済むのに」とかを一例として、いろいろと葛藤なさった、と打ち明けられたそうですけど・・・その人物の内心に葛藤が有ったところで、「教育現場で」反民主主義を校長として実践した、という事実を消すことはできないことは、アイヒマンを思えば誰にでも容易に理解できるでしょう。

 しかし、○さんは、根津さん・佐藤さんと同等に「日本社会の ”右傾化” や ”戦前への回帰” に抵抗し、自分が自分であり続けるために教育現場で凛として闘う、教師」として土肥元校長を描きだす、この『”私”を生きる』という「映画上映等に、ささやかながら協力してい」ると、何らの留保も付けずに、平然と書いていらっしゃいます。本当にすっごく奇妙です。

「自ら考え判断する力を」使って、当該映画における、この事実に反する土肥元校長部分については、「判断停止」し、沈黙して、この「映画上映等にささやかながら協力してい」らっしゃるわけなのでしょうか?

 上記2-´△北世蕕なように、土肥元校長は「日本社会の ”右傾化” や ”戦前への回帰” に抵抗し、自分が自分であり続けるために教育現場で凛として闘う、教師」では無かった事実が有ります。「教育現場で」は、土肥校長は口ではハッキリと批判される都教委による「日本社会の ”右傾化” や ”戦前への回帰”」に対して「抵抗」するどころか、「抗う」どころか、校長としてそれを実践された「教師」だったという事実が有ります。

 そして「教育現場」外!? で、大いに活躍されました。土肥元校長は「教育現場で」は、都教委に従って民主主義を求める教員を弾圧したけれども、「教育現場」外の新聞テレビ雑誌等マスコミでは、その都教委の民主主義弾圧を批判され、大いに活躍されました。都教委は困ったでしょう・・・私は、その事実は評価しますよ、とっても、おもしろかったです・・・ただ、私は、その事実は、彼の「教育現場で」の反民主主義の実践を相殺しない、と考えるだけです。

 ○さん、あなたが「ささやかながら協力してい」らっしゃる、この、『”私”を生きる』という映画の1/3、土肥元校長部分については「ドキュメンタリー」ではなく、上記2−´△僚殿腓平深造魃J辰靴疹紊如虚構=フィクション=ウソを交えて創作されている、という事実を、あなたは、見に来る方々に説明すべきではないでしょうか?

 もし、本当に生徒たちに「自ら考え判断することが大切」と教えていらっしゃるのであれば「土肥元校長部分については、この映画は『ドキュメンタリー』とは、とうてい言えないことを見に来る人たちに伝えなければならない」と「自ら考え判断」されるのではないしょうか?

 この映画は、根津さん・佐藤さん部分については、何らの留保も付ける必要はない立派なドキュメンタリー映画です、もちろん!

 でも、土肥元校長部分について、何らの留保も付けず、沈黙し、当該「映画上映等に、ささやかながら協力してい」かれるなら、あなたは監督の土井敏那さんに加担した「ウソの保証人」の一人となるでしょう。それでいいのでしょうか?     

                                         (返信、終わり)
*********************************************************
<疑問>
「小学校現場での30数年の『日の丸・君が代』強制不服従」者であるといわれる○さんが、当該映画の1/3である土肥元校長の「似非」ドキュメンタリー部分について、見に来る方々に対して何らの説明もなく・・・つまりは、土肥校長が「教育現場」で何を実践なさっていたかの真実を明らかにすることなく、「ささやかながら」も「上映協力」し「ウソの保証人」となって平気なのはなぜでしょうか?

 何度でも書きますが、土肥校長は「教育現場で」『日の君』強制不服従者に対し都教委の手先となって職務命令を出し、処分弾圧を実践なさった方です、他の校長たちと同様に・・・それに対し「法令遵守は当然」と何らの反省もないのにもかかわらず、根津さんを代表とする『日の君』強制不服従者と同等に、「日本社会の ”右傾化” や ”戦前への回帰” に抵抗し、自分が自分であり続けるために教育現場で凛として闘う、教師」と描きだすことは事実に反し、根津さんを代表とする『日の君』強制不服従者に対する侮辱となっているのではないでしょうか?

 『日の君』強制への不服従者は、生徒たちに「自分の頭で考え、判断することの大切さを教える」と主張する人でもあると私は理解しています。そういう人が、どうして、当該映画の事実に反する完全な矛盾には判断を停止し沈黙しながら、「上映協力」して恥ずかしくないのか、私には理解できません。

「根津さん、佐藤さん部分はドキュメタリー映画として素晴らしいですけど、土肥元校長部分には、増田さんのように、かくかくしかじか(笑)の・・・2−´△鮴睫世気譴譴个いいと・・・異論があるようです」と、「上映協力」者として、見に来られた方々に説明責任を果たされたら、何か都合が悪いことが出来するのでしょうか? 

 私は、それだからといって、別に上映妨害になり、観客が減ることになるとも思えませんけど・・・

 どなたか、私に理解できるように教えていただけませんか?                           


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