[CML 016844] Re: 芝田進午氏の復活−核時代第二期の芝田進吾

Maeda Akira maeda at zokei.ac.jp
2012年 5月 5日 (土) 10:40:04 JST


前田 朗です。

5月5日

櫻井さん

ありがとうございます。

芝田進午ですか、懐かしいですね、という言い方をしてはいけませんね。

「核時代のマルクス」、私も当時、読んだはずですが、忘れていました。

芝田さんと言えば、何と言っても、名著「にんじんの理論」に赤線引きながら勉
強したものです。私自身、院生時 代に「刑法における人格権」をテーマとして
いたので、大変参考になりました。

ヴェトナム戦争に反対するラッセル法廷との関連で、日本でもラッセル法廷東京
版が開催されていますが、そのた めに戦火のヴェトナムに調査に行った知識人
たちがいて、そのメンバーだった芝田さんは、現地で米軍の爆撃にあって負傷し
ています。

アフガニスタン国際戦犯民衆法廷の準備のため、私は戦火のアフガニスタンに戦
争被害調査にいき、苦労して冷や 汗たらたらで帰国しましたが、民衆法廷運動
にかかわって、民衆法廷の歴史を整理した時に、芝田さんの負傷の件を知りました。

「1966年12月、日本委員会第1次調査団(滋賀秀俊団長、陸井三郎、石島
泰ら)がハノイに入り、各地で戦争犯罪の証拠を収集 した。当時の「国境」と
された17度線近くまで3500キロに及ぶ踏査であり、100名を超える証人
に取材している。記録映画『真実は告 発する』が製作された。

 1967年6月、日本委員会第2次調査団(船崎善三郎、神立まこと、芝田進
午ら)が2ヶ 月にわたってヴェトナム調査を行った。第2回ラッセル法廷で、
共犯者である日本政府を告発するために、厳しい情勢の中を文字通りの命がけ
の調査であったという。芝田団員は米軍機による爆撃で軽症を負っている。

 1967年8月28日から30日にかけて、ヴェトナムにおけるアメリカの戦
争犯罪と、日 本政府、財界の協力・加担を裁く「東京法廷」が千代田公会堂で
開催された。

 法廷にはヴェトナムの調査委員会や、解放民族戦線からのメッセージが届けら
れた。ラッセ ル、サルトルらからもメッセージが届いた。

 法廷メンバーは、青山道夫(関西大学教授)、秋元寿恵夫(新日本医師協会会
長)、宇野重 吉(演出家)、大西良慶(清水寺管主)、尾崎陞(弁護士)、岡
崎一夫(弁護士)、小椋広勝(立命館大学教授)、加茂儀一(科学歴史研究
家)、城戸幡太郎(北海道学芸大学学長)、具島兼三郎(九州大学教授)、古在
由重(哲学者)、佐久間澄(広島大学教授)、佐伯静治(弁護 士)、末川博
(立命館大学総長)、鈴木安蔵(立正大学教授)、田畑忍(同志社大学教授)、
田万清臣(弁護士)、野村平爾(早稲田大学教 授)、林要(日本学術会議第三
部長)、羽仁説子(評論家)、八田元夫(演出家)、平野義太郎(日本平和委員
会会長)、藤井日達(日本山妙 法寺山主)、舟木重信(評論家)、福島要一
(日本学術会議海員)、深尾須磨子(詩人)、松浦一(北海道大学名誉教授)、
務台理作(慶応大 学名誉教授)、森川金寿(弁護士)、宗像誠也(東京大学教
授)である。宗像誠也が法廷運営委員長を勤めた。

 ヴェトナムにおけるアメリカの戦争犯罪を詳細に明るみに出すとともに、在日
米軍基地の実 態と、日本政府の戦争協力を正面から問う法廷であった。」

(以上、前田朗『民衆法廷 入門』耕文社、2007年)47〜48頁。



>                                       櫻井智志
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>  核時代38年1983年に、私達の哲学者にして平和思想家の芝田進午氏は、「マルクスの復活−核時代のマルクス」というきわめてユーモアとウイットに富んだSF風の作品を執筆なされた。この作品は、『唯物論研究』8号(1983年5月)に掲載され、さらに『核時代曲顕修鳩歃僉戞弊通攴馘后■隠坑牽掲7月)所収の第五部【核時代の文化としての「新しい考え方」】の中に収められている。 
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>  芝田進午氏は、核兵器がもたらす悲惨な事態に、学問がその事態そのものへ立ち向かう必然性と必要性とを精力的に伝えた。しかもそのアピールは、自らが「核時代」における生存とその基盤とを学問的に広範に明らかにするとともに、実践として「核時代に生きる」ために貢献した。核兵器を「人類絶滅装置体系」と意味づけた芝田氏は、「反核文化」の研究と普及に一心に取り組みつづけられた。その一環が先駆的な「ノーモアヒロシマコンサート」だった。このコンサートは、広島と東京で十数年も継続した。反核コンサートとして、この平和を願うコンサートの動きは、全国各地の先進的な文化人や平和運動家たちによって燎原の火のように広がっていった。芝田氏がご逝去された後に、ご夫人の芝田貞子
> 氏がその志を継承し、「平和のためのコンサート」を主宰され続けた。芝田ご夫妻に共感する音楽家たちや、住宅地に強行的に移転した国立感染症研究所の実験差し止めの裁判を芝田進午氏と共に闘い、その危険性を学問上でも明らかにされた研究団体などがそれを支えた。
>
>  核時代56年2001年3月14日に芝田氏は、胆管がんと闘いながらご逝去された。そして、2011年3月11日に、東日本大震災がおき、福島原発で大事故がおこった。十年あまり後に発生した原発事故は、旧ソ連のチェルノブイリ発電所の原発事故やアメリカのスリーマイル島で起きた原発事故を上回る世界的規模の人工的大災害となった。
>  芝田氏が「核時代のマルクス」を想像したように、原子力発電所の悲惨な事故が起きた現在に、もしも芝田氏自らがご存命であったなら、どのように考えどのように行動なされたであろうか。
>



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