[CML 015965] <テント日誌 3/23(金)>

Kimura-m kimura-m at ba2.so-net.ne.jp
2012年 3月 26日 (月) 10:22:34 JST


<テント日誌 3/23(金)―経産省前テントひろば195日目>
      テントの中でワークショップ「かんしょ踊り」
      雨の中、経産省前行動(4日連続行動初日)

 恒例の朝の散歩に今日は一人で向かいました。日比谷公園の草花にも春の気配が感じられ、カモメ広場の噴水の水の煌めきも寒かった日とは心なしか厳しさのようなものが抜けて見ていて気持ちが良い。それでも空は雨を予感させるどんよりさが折角の散歩の気分を損ねてしまいます。朝5時、東京タワーの灯が曇天の空に輝きテントに帰る頃にはポツリポツリと降ってきてしまいました。ん?ん、残念!

  今日は椎名さんの指導の元に「会津磐梯山?カンショ踊り」のワークショップが予定されていて、生憎の雨でしたが10人以上の方にお集まり頂き第二テントの中で行うことになりました。椎名さんから手ほどきを受けた後にYさんが見本となって踊ることになりましたが、Yさんは先日10日の郡山での交流会でテントの仲間と一緒になって踊っておられましたが、中でも一際明るく元気にされてました。
 ワークショップに参加された中に、「君が代起立斉唱強制」拒否で処分され、ずっと裁判闘争を続けておられる元教師グループの、シニア世代の女性達5〜6人がおられました。
 ワークショップも終わりかけた頃、原子力安全委員会に参加されていた方が息を切らして帰って来られ「原子力安全委員会がたった5分で終わり、大飯の調査委員会が終了してしまった!」と興奮して伝えて下さった。
  先日、私が傍聴した委員会も班目委員長の異常に早口な資料読み上げに続いて、あっ!という間に終わった事を思い出します。その時も5分位で終わってます。
雨は降り続き、憂鬱な気持ちが晴れません。

  夕方からは雨の中、20名程が集まって経産省正面玄関前での抗議行動が行われました。テントひろば4日間連続行動の初日です。もちろん、今日の原子力安全委員会での説明と抗議が行われたのは言うまでもありません。
 それが終了後も少し間をおいて、数人によるマイクアピールが遅くまで続いていました。

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テント日誌 番外編
3月11日(日)
『その日の空は鎮魂の色。白い涙が降っていた』part-3 

それぞれの想いの中の黙祷。
  朝から快晴の福島。今日は「原発いらない!311福島県民大集会」の日。その前にビッグ・アイでは「原発いらない!地球(いのち)のつどい」の2日目です。僕はと言えば『野菜カフェはもる』の模擬店のための野菜運びです。
  二時間しか開けないのにも関わらず沢山の方に興味を持って頂きました。その中で人気なのは「祝島」のヒジキ。食べた方の美味しいとの評判につられて、多くの方の手に取って頂きました。あっという間に時間が過ぎて慌しく片付けを済ませ、仲間の女性と開成山球場へ向かいました。
  会場に着くともう既に始まっていて「加藤登紀子」さんの歌が流れる中、福島の皆さんを探し、佐藤幸子さんと椎名千恵子さんの側に席を取ることに。

運命の14時46分。
  参加者全員の黙祷。あの日のテレビで見た光景が頭を巡り、眼には熱いものが…。決し
て繰り返してはならない命の悲劇!しかし、この後に待っていた更なる悲劇にこの国は為す術を無くしたように一年経った今でも何も変わっていないのです。
 しばらく言葉にならない沈黙の中にいると僕の携帯が鳴った。元気な声で「Yさん、どこにいるの?」どんなに苦境にあっても明るさを失わない佐々木慶子さんだ!ドイツに招かれて昨日帰った彼女は二日目のイベントとして『沈黙のアピール』をされたのだけど、忙しく動き回って参加が出来なかったのでした。
 慶子さんを幸子さんや千恵子さんたちの席に案内し、最後まで皆で集会に参加をしました。
集会の最後にFoEドイツのフーベルト・ヴァイガー代表による1万羽の「折鶴」の贈呈式が行われました。ドイツの方が見よう見まねで折って下さったものでしたが、これがその後に僕と関わる事になるとは思ってもいませんでしたのですが・・・。
 この日の参加者が主催者より発表され、参加者は1万6千人とのことでした。
閉会後、デモ行進に移る事になりました。この頃になると少しづつ雨が落ちてきました。
参加者の都合で遠方からの参加者を先に出発させるために、福島在住者などは最後の隊列となりました。とは言っても、福島の方、若い方々。それに続く多くの方の最後に学生の隊列とこれだけでも2000名近くになる隊列でした。 
 福島女性たちの一隊は最初は遠慮がちではありましたが、出発前から気合が入っています。リレーアピールや歌を歌ったりの中、僕が後ろの隊列のシュプレヒコールの原稿をお借りして彼女達に手渡すと、俄然スイッチが入ったようにボルテージが上がります。福島の皆さんと若い方々の声がリンクしてこだまします。
 そしてデモの中盤に突然、主催者の方がデモの終了を宣言したのでした。その理由を皆で質すと「予定の時間になったから」と言うのです。僕がそれはおかしいのではと言うと、幸子さんが「最後までデモをさせなさい!途中で終わらせるとは何事か!」と抗議すると、警備の警官が主催者に「どうするのですか……」と弱々しく声を掛けるのでした。
女性たちの圧倒的な気配にタジタジになりモタモタしているのを横目で見ながら、「行くぞぉ?!」と声を挙げながら、そのまま進んで行くことになりました。

  終着地の郡山市役所は殊更、解放区の様相を呈していて歌や太鼓・踊りながらのアピールが続き、いつまでも止みません。最後の学生の隊列が戻るとその熱気は最高潮です。若い皆さんの思いに送られるようにその場を離れ、懇親会会場へ向かうことになりました。
 デモの最中は天気も大きく崩れずに済んだのは本当に良かったのですが夜になって雨、更に雪へとなってしまいました。
 懇親会と思い到着するとそこにはFoEドイツのフーベルト・ヴァイガー代表以下3名の関係者がいました。以前にお会いしたFoFジャパンの吉田さんのお顔も。一人一人自己紹介を兼ねお話をされましたが、状況の変化と共に僕自身も初めてお聞きする内容もあり、ヴァイガー氏も驚きを持って聞き入っておられました。この模様はアワープラネットの白石さんが取材されていますのでご興味のある方はお調べ下さいませ。
 ここでとても重要な事がヴァイガー氏より提案されるのですが、その事は後日に発表になることでしょう。僕もそれには大きな期待を持ってお話を聞いておりましたし、できることがあれば協力したいとも思いました。

 最後に先程の「折鶴」がドイツから贈られた1万のうち5千が「子どもたちを放射能から守るネットワーク」に寄贈されることになり、そのうちの半分位を経産省前テントひろばに持ち帰り、活用されたいとの申し出がありました。
 そこで僕が東京に持ち帰ることになりました。今は第二テントに置かれており、どのように活用するかを待っている状態です。
 福島に行く時は幸子さんを乗せ、帰りはドイツの方の想いのこもった「贈り物」を載せ
る光栄に緊張感は増すばかりでした。
 お話が尽きぬ時間を過ごして福島市への帰路につくことになりました。しかし運転中は雪。別の緊張が僕を包むのでした。野菜を届けなければならないので「はもる」に。それを届けてから慶子さんのお宅に伺い宿泊もさせて頂きましたが、いつもの事ながら「何もしないからね」と言いつつ美味しく暖かい食事を出して頂き、感謝に絶えない想いと温まった心と身体のままグッスリと床に就きました。

                          続く               ( F記 ) 



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