[CML 015849] 神戸児童連続殺傷事件について

萩谷 良 liangroo at yahoo.co.jp
2012年 3月 21日 (水) 23:00:09 JST


 今日(2012年3月21日)、東京新聞夕刊社会面で、1997年に起こった神戸連続児童惨殺事件、いわゆる神戸事件あるいは酒鬼薔薇事件の犯人とされる男性Aから、被害者の一人、山下彩花さんの遺族の方に毎年詫び状が送られていたとの報道がなされています。
 
 当時、革マル派を筆頭に、あの事件は少年A(当時)の犯行ではないと主張する冤罪救援運動が起こり、私もそれに参加していましたから、ひとこと述べる必要を感じます。

 私は、この運動の参加者として、独自にサイトを作りました。
http://w3sa.netlaputa.com/~gitani/index.htm

 このサイトで、私は、あの一連の事件のうち、首を切られ、中学校門にさらされた土師淳君の事件についてのみ触れており、他の事件についてはあえて言及していません。山下彩花さんの事件はそのうちのひとつです。

 というのも、土師淳君の事件と他の児童の殺害は犯行のレベルがちがうからです。
山下彩花さんらを殺した手口は、行きずりのやや年長の男の子が思いつきでやってもできるものです。金槌で頭をなぐるようなことは、か弱い女が大の男を相手にしてもできるのではないでしょうか。
 それに対し、土師淳君の事件は、誘拐、殺害、遺体保存と加工、そして陳列という一連の過程のどれをとっても、普通、大人でも簡単にはできないことばかりですから、複数の成人男性で、冷凍保存施設などの普通にはない施設を自由に使うことが可能で、機動的に素早く行動でき、かつ遺体の加工の仕方からみて、そういう作業に慣れた特殊な連中だとみるのが当然です。
 
 当時から、私は、少年Aは真犯人グループと接触があって、罪悪感および彼らからの脅しのため、事件の真相を語ることができなかったのだろうと推測していました。
 
 今回の山下彩花さんのお母さんの談話も、私の仮説をゆるがすものではありません。。

 私のこの見方は、事件後数年たった2001年に出版された少年の母親の「手記」、「少年A この子を生んで」という、非常に差別的な題名の本に、裏付けがあります。
 母親は、少年に面会し、二人きりで話しているときに、人の命は尊いものだと諭すと、少年は、そんなことはないといい、母親が反論すると、そのとき、何かを言ったが、母親は、それがあまりに恐ろしい、ひどいことなので、頭のなかが真っ白になってしまい、記憶していない、と書いています。
 人の命云々という説教をしたというところからして、すでに人工臭芬々たるもので、文藝春秋社でこの本の編集を担当した森下香枝の作文であることは明らかです(Amazonの読者レビューはおしなべて、こんなことさえ気づかない連中の知ったかぶったご託ばかりです。なんと我々は「気の利いた」ような言い回しばかりを覚えて、何か考えてるような顔をするのがお得意なことか。これがGDPが去年まで2位だった国の文化です)。
 あの状況に置かれた母親が息子に言う第一のことは「あんた、ほんとうにあんなことをしたの」という質問以外にないはずです。それをまったく書かずに、最初から息子が人殺しをしたと決め込んだように、人の命について説教をするなどということはありえません。
 母親は、息子が「やった」と答えれば、それが大きなショックであるはずで、それくらいは必ず書くと思います。しかし、それはあの「手記」には書いてないのです。
しかも、かんじんのところを、頭が真っ白になったと言って語らないというのは、いったい、どういうことでしょうか。
 殺したと言われれば、つよいショックを受けた、とでも言うでしょう」。
 殺していないと言われたなら、母親は声を大にして、うちの子は人を殺してはいないと訴えるでしょう。
 そのどちらでもないとすれば、実は殺していない(少なくとも土師君は)が、ほんとのことをしゃべると大変なことになるんだ、と言われて、母親は黙秘せざると得なかったとみるのが、自然ではありませんか?

 森下香枝はじめ文藝春秋社の編集者一同は、こんな作文を世に送ったことを一生の恥とすべきでしょう。

 わたしがこのような見方をとるようになったのには、先立つヒント、素地があります。少年逮捕の直後、神戸新聞には地元在住の推理小説作家、小林久三氏の、あれはとても子どもにできることではない、なにかとんでもない闇の勢力に引き込まれて利用されているのではないか、という発言が載っていました。私は、誰もが空虚な言をもてあそぶなかで、小林氏だけは正気だと思ったものです。

 その後のAの母親は、少しも事件について真剣に反省している様子が見られない、と、ある女性週刊誌も伝えていました。当然だろうと思います。

 こういう話をすると、じゃあ真犯人は誰なんだ、と焦るひとが多いようですが、それに答えることは、私たちの任ではありません。

 しかし、しいて言うなら、こうは言えるでしょう。
 1995年に愛知県で中学生が自殺した件でも、おおぜいのジャーナリストや文化人が誰一人あの中学生の遺書すら正確に読解しえずに、いじめを取り締まれという声をあげ、政府はいち早く少年法改正を唱えました。その翌年には林道義が「父性の復権」を出し、各ページごとに非論理や荒唐無稽な偏見(電車内で化粧を直すような女性は人を殺してもなんとも思わないだろう、などとまで書いてある)の見つかる愚著を、永田町、霞ヶ関、丸の内のファロクラットが褒めそやしました。そしてその翌年の神戸事件です。まるで仕組んだようです。こうして万犬虚に吠ゆるがごとく「世の中は悪くなった、もう安全ではない、社会は混乱している、思い切った手を打たないと大変なことになる」という、ヒステリックな声が飛び交ったのをみれば、この国の権力層(それに、そのうしろにいる別の国の謀略機関など)が、最初から企てたのではなくとも、こういう事態を奇貨としたことは明らかだと思います。
 それをこうまで許したのは、素朴にロジカルな言葉で語ることを知らず、内容空疎な気取った言い回しばかりを覚える「インテリ」のはびこる、この文化だと思います。この点はうんと反省する必要があるでしょう。先日物故した吉本隆明なども、大いに責任があるはずです。


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