[CML 015799] <テント日誌 3/17(土)>

Kimura-m kimura-m at ba2.so-net.ne.jp
2012年 3月 20日 (火) 00:15:17 JST


<テント日誌 3/17(土)――経産省前テントひろば>
  意義深かった第2回「福島と世界をつなぐ―テントひろば応援の集い」
  3・10『原発いらない!地球(いのち)の集い』を手伝って・・・

今日は朝から雨が降っています。雨はテントにとっては嫌なものだけど、心なしか春の予感を感じさせる雨でもあります。三寒四温!これから一進一退しながら暖かくなっていくのだろう。
 それでも東北ではまだまだ寒い日が・・・。被災者の、そして避難者の寒さへのご苦労が続くのはいつまでなのだろうと思わずにはいられない。国や東電の補償がしっかり行われていなければならないのは勿論ですが、赤十字を筆頭に相当数集まった寄付金はどうなってるだろうか?
被災者や被災地にどれだけ届いているのだろうか?先日、福島に行って改めて思うのは一年経っても何も進んでいないとの実感です。むしろ時間が経ったための無力感が県民の方の前進力を奪っていないか心配されます…。
 今日は経産省側から敷地内の「樹木」の剪定の意向のあった日ですが、流石に雨に中の作業は避けたのか、その気配は全くありませんでした。
 夜はスペースたんぽぽで第2回「福島と世界をつなぐ―テントひろば応援の集い」がありました。
ヴァーモント州からのメセージキルトを前に飾った会場で、たくさんの現実を映し出しながらたくさんの問題提起をしているDVDを観た後、椎名さんのお話でしたが、椎名さんの仕切りによる福島への想いや3・10−11の感想会となり、東京の行動も含めて、3・10−11が創り出し、訴えかけたものをみんなでイメージし、共有しあうという意義深いものになりました。その後の交流会も活発に。 

テント日誌 番外編(3/10テント日誌の続き)
  『その日の空は鎮魂の色。白い涙が降っていた』part-2
   その時、テントひろばの仲間も踊った! 

3月10日(土)
 さあ、いよいよ『原発いらない!地球(いのち)の集い』の当日となりました。
昨日の雨は深夜になって雪になってしまい「暖かいから、雪にならずに雨だね」等と話していたのが嘘のような銀世界です。
  高速道路を郡山に向かうと、南の空は真っ白な幕に覆われたように白く鈍く輝き、時折強く風に巻いながら雪がフロントガラスを打ち付ける。まるでそれは「白い涙」のように・・・。
去年の今日、あのような悲劇が待っていると誰が思っただろう。
  ひと時、感傷に耽っていると郡山はもうすぐそこに。雪も小降りになった頃、会場の「ビッグ-アイ」に到着です。
   到着すればもう仕事モード、一気に会場設営です。が、一体何処から荷物を上げていいのか・・・。あちらこちらをウロウロしていると、さすがのQ氏も殺気立って会場の警備員とやり取りを。
この会場は市営のためか、一々言う事がお役所仕事。
  まずは荷物を会場階まで上げて一安心。その後はあちらこちらのお手伝いをさせて頂きました。開演前であるにもかかわらず、続々とお客様が到着です。テントひろばのお仲間も元気な顔を見せて激励して下さいました。

    この日のプログラムは他の方の情報などを参考にして頂きたいのですが、一番の白眉であったのは「交流会」でした。
その模様は是非ともこちら
http://www.ustream.tv/recorded/21004262 
からご覧下さい。

 毎日の不安や心配事などの披露や各人の活動内容の報告の合間にフラダンスのワークショップ、椎名さんを中心に「イムジン河」の福島バージョンの合唱。そして「会津磐梯山 かんしょ踊り」を唄い踊って参加者の一体感とこれからの連帯を強いものとしました。皆さんのお顔が眩しく嬉しい気持ちにさせて頂きました。
参加者の皆さんに感謝です。そして皆さんお疲れ様でした!

 後片付けを済ませ、福島市の椎名さんのゲストハウスへ戻ると、NAZENの織田くんをはじめ若い方々が待ち受けていました。しばしお話をしながら、運動とはリーダーシップとはと自問自答せざろを得ない気持ちにさせられながら眠りにつきました。    ( 続く )
                                               F記
★『ひろばー全国・全世界から 〜思い・交流・討論・共感〜』
(郵便は〒100−0013 東京都千代田区霞が関1−3−1 経産省前テントひろば
   メールは   tentohiroba at gmail.com へお送り下さい

◎脱原発東京大行進と、それに引き続く国会包囲ヒューマン・チェーン終了後、テント前 広場で在日のミュージシャン朴保のライブ。(一部略)
 朴保は20年も前から反原発に取り組んでいるミュージシャンだ。そのころ作った「もん
 じゅを止めよう」も歌われた。そして「ヒロシマ」、「傷痍軍人」と歌は次第に熱を帯びていく。その中の歌詞、「傷痍軍人、従軍慰安婦、松代大本営」は、大日本帝国に使い捨てられ、切り捨てられた朝鮮半島出身者の実態を表現しているのだ。聴衆の中から「反原発に従軍慰安婦は関係ない。関係ないものを持ち込むな」と批判が飛んだ。権力に対する批判よりも、こういうことには即座に反応する人たちがいまだ存在する。
  テント村の関係者が彼の抗議に対する話し合いに彼と聴衆の輪から離れて行った。朴保は、ピースピース、表現の自由と柔らかく受け流して演奏を続けていった。オイラ昨年の大震災以降、盛り上がる脱原発、反原発の運動に参加しながら違和感を感じていたが、こういうことだったのだ。
 これまでの反原発運動は、歴史の流れとして、反戦、反核、反原発という中に存在していた。しかし、昨年の原発事故以降、主義主張を超えて脱原発、反原発で行動しようという動きが活発となり大きなうねりとなってきた。それはそれで正しいのだが、その中からそれ以外の表現を規制し排除しようという主張が表れ始めた。団体の旗は持ち込むな、団体のビラはまくな、脱原発、反原発以外の主張はするな、原発国民投票に外国人は関わるな、まさに排除の論理である。主義主張を超えて、脱原発、反原発で一致しようということは、お互いの主義主張を、賛成反対は別として、尊重しあったうえでのことではなかったのか。
 しかし一方で、自民党支持者から共産党支持者まで、おおらかに脱原発、反原発の行動を 一致して行う杉並市民の動きも出てきていることも確かだ。
 朴保の歌は、自分の拠って立つ反原発の内実を確認させてくれたような気がした。
                                                伊達政保 



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