[CML 015675] Re: ◆天皇陛下とローマ法王の脱原発発言(『田中龍作ジャーナル』)

shigemitsu hisamatsu sufihisam596 at gmail.com
2012年 3月 14日 (水) 15:46:58 JST


nakataさま

山梨の久松です。 天皇の「東日本大震災・追悼式典」での原発に関する、脱原発宣言ともとれる言葉が、検閲されカットされてい

るという記事、興味深く読みました。

2月11日、フクシマからの帰路、天皇陛下が、心臓手術で入院するというニュースを車中で聞きました。その日は、2号機の水温

が上がっていると話題になっていたのですが、原発の情報を隠すかのように、ラジオのニュースは、天皇陛下の入院のニュースを

延々と流し続けていました。そのニュース報道の仕方は、誰が聞いても異常なほど不自然で、不愉快な気持ちで聞いていました。

また天皇が、「東日本大震災・追悼式典」に出席するというので、このMLでは、労働組合などのいわゆる左翼と呼ばれる人たち

が、天皇の追悼式典断固反対の声が上がっていましたが、僕は、これにも違和感を持っていました。

またもう随分前のことですが、天皇の皇位継承の問題で、朝まで生テレビという番組で、右翼陣営と左翼陣営で、喧々諤々の議論を

していました。そのとき感じたのは、右翼も左翼も、天皇の継承権の問題を、まるで種馬を扱うかのような論調で、どちらも天皇や

皇太子の人権をまったく省みないような論調で、やはり不愉快な思いで番組を見ていたのを思い出します。僕は、種馬の話みたいに

皇位継承問題を論ずるようになった時点で、もう既に天皇制は終わっているように思いました。

勿論僕は、天皇制に反対です。そして昭和天皇は、戦争責任を明確にして退位し、京都御所に戻るべきだったと思っています。しか

し天皇個人や皇太子個人には、人間として、まともに感じ、親しみを感じていました。

関広野さんによれば、日本の右翼と左翼が形成されたのは、1930年代のことで、その後も天皇の戦争責任も未解決のままここま

できた日本は、1930年代の枠組みから一歩も踏み出せずに、いつもアナクロな不毛な左右の議論に終始してきました。

この震災について、テレビを通じて天皇が発したメッセージについても、まともな人という天皇という「人」の印象は、変わりませ

んでした。

先に紹介した関広野さんは天皇制否定論者で、改憲論者ですが、最近天皇についての発言内容に微妙な変化が見られます。僕は、憲

法9条は、大切なものと思っていますので、関さんの意見に全面的に賛成というわけではないのですが、やはり傾聴に値する意見と

思い、少し紹介します。

関広野さんは、「フクシマ以後」という書物で、「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあったのも事実です」という皇太

子の発言を、「皇太子が言ったこと」という章で、詳しく論じています。その冒頭部分を紹介します。

「皇太子の発言は、宮内庁という世界にも類のない妖怪的官庁を批判したものと受けとれるが、そのあたりの事情をここで詮索する

つもりはない。皇太子が言及した雅子妃の窮境は、これまでにも外部に薄々知られていたことだ。我々を驚かせるのは発言の内容で

はなく、いずれは皇位を継承する人物が記者会見という公的な場で妻の自由と責任をもつ「たんなる夫」として発言したことであ

る。皇室の歴史においてこのようなことはあっただろうか。一見会見の場で口にした片言節句に見えても、私見では皇太子の発言は

敗戦直後の昭和天皇の人間宣言に比較して人格宣言と呼ばれてもいいものである。天皇制が、今後も形の上で存続するにしても、こ

れで戦後の天皇制は終わった。」

また東日本大震災に際しての天皇のメッセージについて、次のように分析しています。長いけれども引用してみます。

「天皇と皇后が今日までに「国民統合の象徴」および天皇の地位の根拠である「国民の総意」についてどのようなどのような考えに

到達したのかを我々は正確に知らない。だが我々は、それを天皇皇后の言葉ではなく公の場での振舞いの中に垣間見ることができ

る。東日本大震災と原発事故では、天皇の要請によりそのビデオ・メッセージがテレビで放映されるという異例の出来事があった。

それはあくまでメッセージであり昔の天皇制下での臣民に対する詔勅ではなかった。だから天皇の国民への呼びかけに、昭和天皇が

大元帥として臣民に戦闘停止の号令を下したかの玉音放送に似たところは全くなかった。そしてメッセージは「・・また国民の一人

びとりが、被災した各地域の上にこれからも長くこころを寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けてゆくこ

とを心から願っています。」という言葉で結ばれていた。それは基本的に、空前の苦難に直面した国民に国民として連帯を呼びかけ

るメッセージだった。ここで今上天皇は現人神であることは勿論、国家法人を構成する一機関としての天皇機関説も拒否している。

今上天皇の立場は、断固たる人民主権であり、象徴天皇とは、人民主権を代表しその化身となる者のことなのである。そこでは国家

機構の一部ではない天皇は、いかにして人民を代表するのであろうか。

この問いには天皇のメッセージが既に答えている。人民は、ばらばらな人間の群れただけの群集のことではない。人民とは、メッセ

ージが示唆するように、連帯することが一つのモラルになっている人々のことなのである。そして天皇は、人々に人民であることを

思い起こすよう促し、連帯して人民になるよう呼びかける。天皇は人々の上にあるのではなく、人々の先頭に立って人民の論理を代

表する存在である。だから憲法に記された「国民統合」は与えられた既成の事柄ではなく、人民になる人々によって不断に再創造さ

れる現実のことであり、この現実の中で「主権が存する日本国民の総意」とそれに基づく天皇の地位も繰り返し再創造される。デモ

クラシーは制度ではなく運動であるならば、象徴天皇制は、運動としてのデモクラシーを代表せねばならないのである。メッセージ

が放映された後、天皇皇后は病気がちの老躯を駆って東北の被災地を訪れ、各地の避難所を回って試練に耐えている被災者たちを慰

め励ました。天皇皇后は毛布や持ち物が雑然と散らばる避難所に入り膝を交えて被災者たちの話を聴かれた

が、あぐらをかいて対面した被災者がいたのを見ても、そこには雲の上からの貴人の降臨という雰囲気はまったくなかったに違いな

い。避難所で天皇皇后は国民を代表していた。その使命は、連帯した日本の人民は決して被災者たちを見捨てないことを

彼らに約束し、この約束を身を持って模範的に示すことにあった。皇位は、上下の序列ではなく、同等者中の第一人者primus intes

paresである義務、同胞をいつくしむ模範的な国民である義務を意味する。そうした義務を果たしている限りにおいて、天皇は国民

に呼びかける権利を持っている。これが、天皇皇后が永年の模索を経て到達した結論であるように見える。皇位が意味しているの

は、いかなる苦難の中にあっても尊敬と賞賛に値する代表的日本人であり続けるという義務にほかならない。」


天皇の被災地訪問の映像を見て僕が感じたことを、関さんは、明晰な言葉で論理化してくれました。関さんは、戦後「象徴天

皇制」という占領軍から与えられた空疎な概念に内実を与えようと、人民主権の先頭に立ち、呼びかける者として、天皇を位置づけ

ようとしています。

しかし、マスコミはじめ、天皇主義者の仮面を被った支配層は、利権確保と支配の道具として、天皇制を利用するという相変わらず

の意図を持っていることは、マスコミや産業界による天皇の脱原発宣言の検閲にも、よく現れています。

そしてそれを察知する左翼陣営は、相変わらずの天皇制批判に終始しています。

しかしこの67年間、天皇制批判を一番深く受け止めていたのは、天皇自身かもしれないと思いました。

相変わらずの左右両陣営のイデオロギー的枠組みの信奉者たちに囲まれて、天皇ご自身の行為が理解されず、また関さん的天皇理解

も右翼の天皇崇拝と産業ファシズムの言説に取り込まれ、誤解とレッテル貼りの対象になってしまうのは、残念に思います。関さん

は、天皇は産業支配の東京を離れ、京都に戻るべきと提言していますが、僕もそれがいいと思います。
                                                     久松拝


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