[CML 015665] イベント「バイバイ原発3・10京都」の盛り上がりとドイツのデモ「日本もここまで来たんだなあと思いながら一緒に歩きました」小出裕章

uchitomi makoto muchitomi at hotmail.com
2012年 3月 14日 (水) 04:33:50 JST


【毎日放送「たね蒔きジャーナル」文字起こし】
イベント「バイバイ原発3・10京都」の盛り上がりとドイツのデモ「日本もここまで来たんだなあと思いながら一緒に歩きました」小出裕章 3/12(2)
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65794785.html

水野:「小出さんに…ラジオネームたぬきわんわんさんというかたがご質問をくださいました。バイバイ原発3・10京都という、集会が開かれたんだそうですが。このたぬきわんわんさんという方はですね、言ったらものすごい人で立ち見で、会場に入れない人もいてびっくりしましたと…6千人の人が集まっていましたという報告を下さって…いるんですが。え…続けてですね、まあ、昨日、も一昨日も日本だけでなく全世界で原発に反対する行動がいろいろ行なわれ。え…全世界だと何十万人にもなるんでしょう。またドイツでは、え…原発を人間の鎖で包囲すると、いうような盛り上がりもあったと、聞いていますが。小出さん、こういう脱原発のイベントの盛り上がりについて、どうお感じですか?」

小出:「今回の……盛り上がりというのが一体どこまで、続いてくれるのか。私は、うー…正直に言えば、不安…です。はい。ただし、今の動きというのは、誰かが笛を吹いてその笛についていくというのではなくて、ひとりひとりの人たちが、え…自分で…え……一銭のお金ももらうわけではない。自分のどうしても抑えきれない思いで出てきてるという人たちが、多くなってきてるように私には見えますので。え…希望のを感じます」

小出:「86年のチェルノブイリ原子力発電所の事故のあとに、ウイーン…まあオーストリアの首都ですね、ウイーンで、え…アンチアトムインターナショナルという国際会議が開かれて。私もそれに参加しました。え…その時にウイーン市内…のデモ行進があったの…です。で…私はその頃は、まあ日本でずうっと生きていたわけで。まあ日本のデモ行進といえば、どこかの組織が動員して、みんな同じゼッケンをつけて、まあ同じ旗を持って、それでまあ腕を組んだりしながらですね、同じシュプレヒコールを、あげながら歩く、歩く、というそういうデモ行進しか私の頭にはなかった…のですが。私がウイーンで遭遇したデモは、全然違うデモだった、のです。え…誰かがその、号令をかけるわけでもなくて、人々が自発的に、デモの出発点に集まってくる、あるいはデモをしている間にそのデモに自然にどんどん合流してくる。え…みんな違う、プラカードというかゼッケンというか、ある人は看板を両手…日本のちんどん屋さんのようにかけてるおじさんもいましたし。え…乳母車を引きながら夫婦で歩いて来るという、そういう人達もいましたし。ああ、一人ひとり…がこうやって参加するんだなあと、私はその時に思いましたし。こういう人たちが入れば、原子力は簡単にやめさせることができるんだとその時に思った…のです。え……3月10日の京都でのデモも、あ、そうか、日本もここまで来たんだなあと。私は…うー…思いながら、一緒に歩きました。」

 参考動画:小出裕章先生の「バイバイ原発3・10京都におけるスピーチ」

周辺イベント
http://www.youtube.com/watch?v=f7175M5P2hU
http://www.youtube.com/watch?v=3STucYI5o90&feature=related

メイン集会
http://www.youtube.com/watch?v=uVHaut8QQ9c&feature=related

集会全体
http://www.youtube.com/watch?v=QyL1YWd20MQ&feature=related

【毎日放送「たね蒔きジャーナル」文字起こし】
イベント「バイバイ原発3・10京都」の盛り上がりとドイツのデモ「日本もここまで来たんだなあと思いながら一緒に歩きました」小出裕章 3/12(2)
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65794785.html

2012年3月12日(月)、小出裕章氏が、毎日放送「たね蒔きジャーナル」に出演。イベント「バイバイ原発3・10京都」の感想と、ドイツのアンチ・アトム・インターナショナルのさいのドイツのデモの感想について語りました。

水野「はい。え…そしてですね。小出さんに…ラジオネームたぬきわんわんさんというかたがご質問をくださいました」

小出「はい」

水野「3月10日土曜日ですね」

小出「はい」

水野「先週土曜日に京都の円山公園でイベントがあったときに、小出さんの姿を拝見しましたと」

小出「はい」

水野「おっしゃっとります」

小出「はい」

水野「これは…あ…原発に関する集会が開かれたんですか」

小出「そうです」

水野「ええ。バイバイ原発3・10京都と」

▼朝日新聞デジタル:「バイバイ原発」に6000人-マイタウン京都
http://mytown.asahi.com/kyoto/news.php?k_id=27000001203120004

▼小出氏が原発事故の真実語る 講演会に800人 - 京都民報Web
http://www.kyoto-minpo.net/archives/2012/03/13/post_8578.php

小出「はい」

水野「という、集会が開かれたんだそうですが。このたぬきわんわんさんという方はですね、言ったらものすごい人で立ち見で、会場に入れない人もいてびっくりしましたと」

小出「はい」


水野「で…6千人の人が集まっていましたという報告を下さって…いるんですが。え…続けてですね、まあ、昨日、も一昨日も日本だけでなく全世界で原発に反対する行動がいろいろ行なわれ。え…全世界だと何十万人にもなるんでしょう。またドイツでは、え…原発を人間の鎖で包囲すると、いうような盛り上がりもあったと、聞いていますが。小出さん、こういう脱原発のイベントの盛り上がりについて、どうお感じですか、っていうふうにくださいました。いかがでしょう」

小出「……難しいご質問ですね。」

水野「うーん」

小出「え…これまでも、原子力…をすすめるというのはまあ一貫した大きな力があったわけですが。その大きな力に対してやめてほしいという運動側という力というのは、一貫してちいちゃかった、ですが。でも、時には、大きな声になった時も、あったのですね。例えばチェルノブイリ原子力発電所の事故の時には、え…世界中で原子力に反対の運動がありましたし。日本でもまあそれなりにあった、のですが。それが、いつの間にかやはり、なくなってしまうというか。抑えこまれてしまうという」

水野「一過性のものでしぼんでいくということですね」

小出「はい。あったのですね。で…今回の……盛り上がりというのが一体どこまで、続いてくれるのか。私は、うー…正直に言えば、不安…です。はい。ただし、今の動きというのは、誰かが笛を吹いてその笛についていくというのではなくて、ひとりひとりの人たちが、え…自分で…え……一銭のお金ももらうわけではない。自分のどうしても抑えきれない思いで出てきてるという人たちが、多くなってきてるように私には見えますので。え…希望のを感じます」

水野「あの、オーストリア、でのこうした人々の動きが、原発政策を大きく変えたということがあって、そのあたり小出さんご覧になったということなんですけども。」

小出「(笑)」

水野「教えていただけませんか」

小出「はい。え…オーストリアという国も」

水野「ええ」

小出「ま、日本と同じように、一時期原子力に夢を託したことがありました。」

水野「はい」

小出「で…原子力発電所を作ったのですが。完成してしまった原子力発電所を、国民投票を行って。」

水野「はい」

小出「1978年に放棄しました。ですから、完成してた、けれども、一度も動かないまま」

水野「へえーっ」

小出「オーストリアという国が、原子力から撤退したのです」

水野「完成するにはものすごいお金を」

小出「そうです」

水野「かけましたよねえ」

小出「そうです」

水野「しかし一度も、使わず」

小出「はい」

水野「撤退したんですか」

小出「そうです。ウイーンの郊外にツベンテンドルフという原子力発電所を作ったんですが。」

▼ツベンテンドルフ原子力発電所 (14-05-12-01) - ATOMICA -

水野「ええ」

小出「ついに、一度も動かさずに撤退しました。どうしてそういう、ことができたのかと私は…ずうっとまあある意味不思議に思って、いましたが」

水野「はい。はい」

小出「86年のチェルノブイリ原子力発電所の事故のあとに、ウイーン…まあオーストリアの首都ですね、ウイーンで、え…アンチアトムインターナショナルという国際会議が開かれて。私もそれに参加しました。え…その時にウイーン市内…のデモ行進があったの…です。で…私はその頃は、まあ日本でずうっと生きていたわけで。まあ日本のデモ行進といえば、どこかの組織が動員して、みんな同じゼッケンをつけて、まあ同じ旗を持って、それでまあ腕を組んだりしながらですね、同じシュプレヒコールを、あげながら歩く、歩く、というそういうデモ行進しか私の頭にはなかった…のですが。私がウイーンで遭遇したデモは、全然違うデモだった、のです。え…誰かがその、号令をかけるわけでもなくて、人々が自発的に、デモの出発点に集まってくる、あるいはデモをしている間にそのデモに自然にどんどん合流してくる。え…みんな違う、プラカードというかゼッケンというか、ある人は看板を両手…日本のちんどん屋さんのようにかけてるおじさんもいましたし。え…乳母車を引きながら夫婦で歩いて来るという、そういう人達もいましたし。ああ、一人ひとり…がこうやって参加するんだなあと、私はその時に思いましたし。こういう人たちが入れば、原子力は簡単にやめさせることができるんだとその時に思った…のです。え……3月10日の京都でのデモも、あ、そうか、日本もここまで来たんだなあと。私は…うー…思いながら、一緒に歩きました。」

水野「はい」

平野「そうですか」

水野「どうもありがとうございました」

平野「どうもありがとうございました」

小出「ありがとうございました」

水野「京都大学原子炉実験所助教、小出裕章さんに伺いました」

=====(文字おこし、ここまで)

(漢字の表記等一部修正しています)
 		 	   		  


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