[CML 015628] グランサコネ通信―120311

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2012年 3月 11日 (日) 22:05:33 JST


前田 朗です。
3月11日

グランサコネ通信―120311

3.11ですね。日本各地で脱原発の取り組みご苦労様です。


1)	カナリア諸島の9条の碑

カナリア諸島に行ってきました。アフリカ大陸の西、モロッコや西サハラの西の
大西洋に浮かぶ島ですが、スペイン領です。古くはコロン(コロンブス)が第1
回航海の時に立ち寄ったことで知られ、近年では、アフリカからEUに密入国す
る人がここに密航することで話題になりました。スペイン領なのでカナリア諸島
に入ってしまえばEUに行けるので。年間平均気温が23度で、一番寒い1月で
も20度、素敵なリゾート地です。観光客がたくさん来ていました。急に思いつ
いて、前日に航空券を手配して、次にインターネットでホテルを探したのですが、
とても高いリゾートホテルがどれも満室でした。やむなく向こうについてから空
港でホテルを探しました。幸い首都ラス・パルマスのカンテラス・ビーチ近くの
裏通りのビジネスホテルを取れました。

一番の目的は日本国憲法9条の碑です。ジャーナリストの伊藤千尋さんが紹介し
ているように、テルデという町にヒロシマ・ナガサキ公園と9条の碑があります。
スペイン人にテルデに行くと言ったところ「そういう町は聞いたことがない。テ
イデなら知っている」ということでした。ネットで調べてもすぐには見つかりま
せんでしたが、Teldeで、グラン・カナリア島にありました。現地の人たちに聞
いてみると、「テルデ」と「テイデ」の間くらいの発音で、日本語では表記でき
ません。以下、他の地名も表記は正確ではありません。

ヒロシマ・ナガサキ公園は、町の東端にあります。グラン・カナリア島の北東隅
にある首都ラス・パルマスから、最南端のプエルト・デ・モガンまでつなぐ高速
道路が島の東側を南北に走っています。その真ん中あたりに空港があります。テ
ルデは空港の西北部で、ラス・パルマスからはバスで20分です。高速道路から
抜けて、西に走るとロータリーがあり、これがテルデ中心部の東の入口です。西
の入口まで徒歩10分ほどで、そちらにもロータリーがありました。もっとも、
町はその外側にずっと広がっています。ぐるぐる歩き回ってもそれらしいものが
見つからないので、聞いてみたら、最初のロータリーのすぐ隣にヒロシマ・ナガ
サキ公園がありました。小さな小さな公園です。そして、9条の碑がありました。
タイルが1枚はがれていました。割れたのでしょう。伊藤千尋さんが紹介してい
るところでは、たしか1999年ころ、この道路とロータリーを造成した時に少
し土地が余ったので、市長が平和の広場を作ろうと考え、それならということで
ヒロシマ・ナガサキと9条にし、議会が賛成して出来上がったということです。
当時、日本に連絡があったのかどうか。日本から誰かがここに来たのかどうかは
わかりません。私が知っているのは、伊藤千尋さんの本と、昨年、国際人権活動
日本委員会の人権活動家たちがここに来たことだけです。

テルデは小さな町です。中心部にはラス・パルマスのような高層ビルもありませ
ん。行政庁舎もせいぜい5階まで。グラン・カナリアの首都ラス・パルマスは人
口38万、ふつうのスペインの都会で、10数階のビルが林立しています。他方、
グラン・カナリア第2の都市テルデは、ラス・パルマスの南西に隣接して、人口
10万人ですが、町の中心部を歩いた時の印象は人口1〜2万の田舎町です。と
いうのも、中心部だけではなく、周辺に広がる元・農村地帯だったということで
す。いまはラス・パルマスの郊外となって、この地域がカナリア諸島の人口(8
5万)の半分を抱えています。テルデは元農業地帯で、サトウキビ、ぶどう、バ
ナナ、トマトなどを栽培していました。今は畑が徐々に住宅地に変貌しつつあり、
高速道路沿いには工場が建設され、島の工業センターとなっています。

テルデは歴史的には、モロッコの西方にあるためモロッコ地域と同様の人々が住
んでいたようで、先住民族はDoramasと呼ばれ、モロッコの人たちはここをテド
ラーと呼んでいたようです。テルデの先住民族推定人口は14000人です。な
お、カナリア諸島全体はタマランと呼ばれていたそうです。ラス・パルマスがつ
くられたのは1478年、カスティヨ軍隊の指揮官フアン・レホンがレアル・デ・
ラス・パルマスと名付けたとか。スペインがカナリアを植民地にしたのは148
3年。1492年にコロンブスが来ました。テルデの町は、1483年にガルシ
ア・デル・カスティーヨ一族が、イグレシア・デ・サン・フアン・バウチスタ・
デ・テルデという教会を建設したことにはじまります。セヴィリヤ・ポルトガル・
ゴチック様式の教会は今もあります。

カナリア諸島は、七つの島からなります。東側のグラン・カナリア、フエルテヴ
ェントーラ、ランサロテが、ラス・パルマス州です。西側のテネリフェ、ラ・ゴ
メラ、ラ・パルマ、エル・ヒエロが、サンタクルス・デ・テネリフェ州です。ス
ペイン本土からは1350キロ離れています。日本本土と沖縄の関係に近いかな
と思います。ただし、カナリアには米軍基地はありません。スペイン海軍基地は
あるようです。岩山のような島で、水が不足していて、緑も少ないため、あちこ
ち乾燥した岩や砂がむき出しになっています。島の西北部にあるガダールという
町を歩いた時、ガダール山のふもとで上り下りの坂道だったため、「これだけ坂
道だとさすが汗をかくな」と思いながら町中の温度計を見るとなんと30度でし
た。22〜3度くらいかと思っていたのですが、なにしろ乾燥しているし、適度
に海風が吹いているので、日本の30度とは全く違います。冬は20度、夏は2
6度ですが、中心部は山で、一番高いところはラス・ニエヴェス山1949メー
トルで、たまに雪が降るそうです。

地図を見ていたら、ラス・パルマスの西方にテロルという町がありました。
テロル! 
南西のテルデまでバスで20分で、テロルも同じくらいの距離なので行ってみま
した。ところが、西方は山です。丘の上の高層住宅街タマラセテ(ほとんど多摩
ニュータウン)を過ぎ、エル・トスコンを越え、レサーノ湖を越え、どんどん山
道に入りくねくねと登って行きました。結局、二つの山を越えて1時間ほどで着
きました。途中のスエルテ山が641メートル、南方のサント山が945メート
ルですから、テロルの町はたぶん400〜500メートルの山襞にへばりついて
います。教会や一部の建物はかなり古く、数百年前からあったのだろうと思いま
す。海霧が島を覆い始めると、渓谷の下のほうは真っ白で何も見えません。空は
晴れているのに。

ラス・パルマスでホテルの近くにカラオケがあったので、ちょっと覗いてみまし
た。カラオケですが、やはりスペイン語の歌ばかり。英語もあり、カム・トゥギ
ャザーやイエローサブマリンに続いて、サンタナのジプシー・クイーンに挑戦し
ましたが、挫折。お店のカルロスがブラック・マジック・ウーマンをスペイン語
で歌ってくれました。追悼のためデイ・ドリーム・ビリーバーを英語と忌野清志
郎の日本語バージョンを交互に、カルロスはスペイン語で。



2)	外岡秀俊『震災と原発 国家の過ち――文学で読み解く「3.11」』(朝
日新書、2012年)

 元・朝日新聞東京本社編集局長、ジャーナリスト、いまは退職して北海道大学
大学院研究員の著者の本です。被災地を訪れて取材しながら、並行して文学作品
を読み返す試みです。カミュ『ペスト』、カフカ『城』、モラン『オルレアンの
うわさ』、井伏鱒二『黒い雨』、スタインベック『怒りの葡萄』などを取り上げ、
そこで描かれた主題が震災や、原発事故を経た今、どのように読まれるべきなの
かを考えています。冒頭に辺見庸の、震災をカミュの『ペスト』の視点でとらえ
返す言葉が引用されています。NHKで語った言葉で、その番組が元になって辺
見庸『瓦礫の中から言葉を』が出版されています。辺見庸と外岡秀俊。共同通信
と朝日新聞。ともにジャーナリストにして文学者。外岡秀俊は新聞記者になる前
にすでに小説家としてデビューしていましたが、記者になってからは小説を書い
ていないようです。うろ覚えですが、啄木をモチーフにした『北帰行』を30数
年前に読みました。阪神淡路大震災では『地震と社会』という本も出しています。
私と同じ札幌出身。


3)	早坂隆『世界の日本人ジョーク集』(中公ラクレ新書、2006年)

いまやジョーク集の第一人者である著者の「日本人」版。ハイテク国家像、お金
持ちの国、勤勉な人々、集団行動・笑わない、神秘の国といったイメージに重ね
たさまざまなジョークを紹介しています。いまや、経済的には日本は中国・韓国
に追いつかれ、衰退の時期を迎えつつあり、一昔前の高度成長時代の日本人ジョ
ークには古臭いものもありますが、ジョークも徐々に変わりつつあるということ
です。とても短いものを紹介しておきます。

至難の業
国際会議において有能な議長とはどういう者か。
それはインド人を黙らせ、日本人を喋らせる者である。

ちょっと古いかも。イエス・ノーがあいまいというのも有名ですが。





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