[CML 015557] 広瀬隆の新著『第二のフクシマ、日本滅亡』(朝日新書):再稼動反対派か賛成派(条件付でも)が脱原発の社会運動における敵か味方かのリトマス試験紙

uchitomi makoto muchitomi at hotmail.com
2012年 3月 8日 (木) 01:56:17 JST


この議論を見ていて思ったのは、要は「大飯原発の再稼動」に反対なのか賛成なのかということが分水嶺であるということです。

 再稼動反対派か賛成派(条件付でも)が脱原発の社会運動における敵か味方かのリトマス試験紙です。

 そうした視点から、「脱原発依存派」の動向を注意深く見守っていく必要があるのではないでしょうか?

世に倦む日日 : 広瀬隆が新著で寺島実郎を猛批判 - 橋下徹と再稼働
http://critic5.exblog.jp/17921357/ 



広瀬隆の新著『第二のフクシマ、日本滅亡』(朝日新書)の冒頭に、寺島実郎を名指しした次のような峻烈な批判がある。曰く、「寺島実郎は、『アジア諸国と平和目的の原子力技術を共有して、関係を築いていくべきだ。わたしは原発推進派でもなければ反対派でもない。将来的に原発依存度を15-25%の範囲にするのが現実的だ』と、事故後の5月20日、札幌市での北海道政経懇話会で講演した。原発依存度が25%なら、前年までと何も変わらないのだから、これまでどおり原発を使え、ということだ。自分は原発推進派ではないと言い訳しているが、隔週誌SAPIOの2003年6月25日号に『過剰な中東依存脱却のために日本は≪原発技術立国≫を目指せ』という論を寄稿していたのではないか? しかも彼は、9月11日のテレビ番組『サンデーモーニング』に出演して、『フクシマ原発事故では誰も死んでいない』と信じがたい言葉を放言し、このすさまじい被害を無視して、いまだに原発を擁護するのだから、小学生以下の頭脳しかない」(P.14-15)。この本の序章では他にも、立花隆、草野仁、茂木健一郎、養老孟司が名指しされ、彼らの無知と言語道断な言説が非難されている。広瀬隆による寺島実郎への批判を見たのは今回が初めてで、また、ここまで手厳しく寺島実郎が糾弾された例も初めてと思われるので、ニュースとして紹介をした。

ブログでは幾度も重ねて寺島実郎を批判してきたが、寺島実郎は論を変えることをせず、相変わらず原発を含めたベストミックス論を言い続け、国家として原発の研究開発を促進しろとマスコミで唱え続けている。岩波文化人の名刺を持ち、論壇でリベラルと目される寺島実郎の言説が、世論に有害な影響を与え、政治が再稼働に動く環境を作る一助となっている点は否めない。こうした、寺島実郎のような市民派の仮面を被ってマスコミで立ち回り、欺瞞の舌で中間派を偽装しつつ、巧妙に原発推進政策を合理化するレトリックを吐き、脱原発の世論を攪乱させる者こそが、政治的には最も有毒な工作員なのである。前原誠司と寺島実郎は同じベストミックス論で、その正体は原発推進派だが、二人の政治表象が異なるため、主張を受け止める市民の側の印象も異なってくるのである。つまり、日米安保等でのバランスを配慮した言論履歴や、岩波文化人というステイタスが、寺島実郎に世間の信用を与えているのであり、信用はその論者の全言説に説得力を付加する効力となる。原発推進派はこうして市民を騙すのであり、寺島実郎のような工作員がマスコミの中央で不動に陣取り、「良識派」を演じているかぎり、脱原発など正論になるはずがない。必要なことは、寺島実郎の仮面を剥ぎ取ることで、岩波に寺島実郎と絶縁させることである。

大雑把に原発についての政治姿勢をポジショニングすると、最右翼に原発推進派があり、その左側に寺島実郎のような詭弁で原発維持を説く工作員の一団がある。さらにその左側に金子勝や飯田哲也がいて、5年から10年かけて自然エネへのマイグレーションを進め、漸次的に脱原発を達成しようとする立場がある。孫正義や菅直人もこの位置に含まれる。そして、最左翼に全基即時廃炉を譲らない真の脱原発派がある。広瀬隆や私はこの立場だ。仝業推進派、▲戰好肇潺奪スの詭弁工作員、自然エネ派、ち幹霏┿廃炉派、の四分類で整理できる。△麓分は原発推進派ではないと言い、は脱原発派を自称する。現在、最も多いのはの立場だと推測され、一部の保守マスコミ(産経・読売)は別にして、一般のマスコミはを正論として軸足して報道している場合が多い。ところが、こそが実際には曲者で、金子勝や飯田哲也の論理に従えば、風力や太陽光が物理的・商業的に普及しないかぎり、ずっと原発が必要だという結論になるのである。現在、稼働30年を超えている原発は18基もあり、これらはすぐに40年の耐用年数を迎える。自然エネに代替させるという考え方では、電力の安定供給を確保するためには、原発を新規に作り続けるしかないのである。は一見して説得的だが、中身をよく見ると危険な陥穽がある。いを批判するのはそのためだ。

い麓然エネに拘泥せず、効率的でクリーンな火力(GTCC)をベースロードにせよという立場だ。広瀬隆はこう言っている。「われわれ日本人は、すべての原発を即時廃絶しなければ、明日の希望がないという絶体絶命の状況に置かれている。決して、エセ・エコロジストたちが口にする『自然エネルギーの普及によって10年後の廃炉』などという、少女趣味のような、悠長なことを言って生き延びられる時代にはない」(P.30)、「日本人はノンビリしすぎている。『原発はアブナイ』とか、『原発は不要だ』とか、そのように子供でも言えることを論争したところで、いまや生き延びるためには、全く足りないのである」(P.29)。ここで広瀬隆が言う「エセ・エコロジスト」とは、飯田哲也や金子勝を指すのだろう。事故から1年経ち、脱原発運動もそれなりに続いているが、はなお多数派であり続け、い議論を制する状況にはなっていない。の存在が言論世界で支配的な勢力であるため、い楼枌爾撚畄稠匹離譽奪謄襪鬟泪好灰澆謀修蕕譟⊆舂にならず、政策として決断される事態に至らないのである。い領場から見れば、金子勝や飯田哲也は、い鮴治的に妨害するために工作活動をしているとしか思えない。原発事故から国民の生命と安全を守ることが先なのか、自然エネを普及させることが第一なのか。もし前者だと言うのなら、5年10年かけて脱原発ではなく、全基即時廃炉でなければならないはずだ。

この1年間、脱原発は自然エネの普及宣伝運動にスリカエられ、カッコウに托卵されたようになってしまった。特に悪質なのは金子勝だろう。金子勝は、現時点で日本に電力設備が余剰であり、原発なしでもピーク時の電力需要を十分カバーできる事実を知っているはずだ。であるにもかかわらず、なぜ、「5年かけて自然エネに置き換え」という結論になるのだろうか。なぜ、即時全基廃炉を全面主張せず、原発を5年間も生き残らせようとするのだろう。そして、すでに目の前で全基停止は秒読みになっている。飯田哲也や金子勝のような、自然エネを出汁にした妥協派が跳梁したために、「自然エネの普及には時間がかかり、それまでは原発稼働を容認せざるを得ない」とする論が正当性を帯びるのである。い力声圓少ない。いマスコミ業界で生きられず、商売のためにはに持論を置かなければならないという事情は分かる。しかし、ネットなら商売は無関係に自由な言論が可能なのであり、それを考えたとき、このい力声圓両なさは異常に感じる。ネットの中の一般的な脱原発も、を批判するのではなく、とい涼羇屬卜つ者が多い。の論理と表象に騙され、の主張を受け入れて納得している者が多いのだ。私の予想では、間もなく政権が再稼働へと決断を進めると思うが、そのとき、飯田哲也がどのように対応するか注目したい。というのは、おそらく橋下徹が再稼働に賛成を表明すると思われるからである。

衆院の解散総選挙は近い。民主と自民が大連立の黙契で組み、消費税法案に反対する小沢派議員を公認から外す段取りまで持ち込めれば、二党で候補者調整をした上での、大連立含みの総選挙に打って出る公算が高い。大連立含みと言うよりも、保守合同含みと指摘した方が正確な情勢になるだろう。そうなると、「維新+みん」も選挙に臨まなくてはならず、そこで正式なマニフェストを提示しなくてはならない。総選挙に勝利して政権に就いた場合の政策の公約である。橋下徹と渡辺喜美は、原発を全基停止させ、停止させた原発を廃炉すると公約するだろうか。私は、必ず橋下徹は「脱原発」を方針転換すると確信する。橋下徹の「脱原発」はポーズであり、ポピュリズム(人気取り)の一時的な便法に過ぎないと見抜くからだ。そうしなければ、財界は橋下徹を支援できないし、橋下徹の新政権を歓迎できない。当然、再稼働を公約する「民主+自民」の方に肩入れする。したがって、橋下徹は徐々に詭弁と二枚舌を転がし始め、立ち位置を「脱原発」から再稼働容認へ寄せるだろう。公約には曖昧な表現を入れ、政権獲得後に豹変する手を使うかもしれない。財界と官僚からすれば、原発が全基停止(4月末)する前に、政権が四者協議で再稼働を決定するのと合わせて、橋下徹に再稼働容認を断言して欲しいだろう。なぜなら、保守マスコミの報道では、橋下徹の「改革」政策は全て正義で無謬であり、「圧倒的な人気」を集める神の啓示になっているからである。

橋下徹の発言を契機に、保守層の中で、原発反対が原発賛成に潮目が変わることを財界と官僚とマスコミは期待しているのだ。橋下徹を梃子に使って、世論を原発容認に変えようと目論んでいるのであり、橋下徹の旋回を合図に、「脱原発=左翼」のキャンペーン攻勢を再開する機会を狙っている。また、二枚舌と嘘八百が取り得の橋下徹といっても、脱原発を看板に掲げて選挙で勝ちながら、政権を取った後に原発推進に豹変するのは具合が悪いだろう。原発を争点から外し、別の争点で選挙戦の土俵を構えることができれば、原発政策が「民主+自民」と同じでも勝つことはできる。と想定すれば、3月か4月にも橋下徹が再稼働容認に踏み出す可能性は高いのだ。マニフェストで公約しようがしまいが、財界と官僚は、消費税増税と原発再稼働の二つの政策については絶対に妥協しない。財界と官僚の支持を得て政権運営しようとする政党は、オーナーである財界と官僚の要請を拒否することはできない。広瀬隆は新書の中で、原発の廃絶時期を「5年後ないし10年後」と言っている共産党と社民党を批判、「現状、みんなの党が大躍進するまで、政界には期待が持てない」と書いている(P.12)。この認識が果たして広瀬隆の本心かどうかは不明だが、広瀬隆の一般への影響力を考えると、余計な一言を言ってくれたものだと舌打ちさせられる。こうした議論は、脱原発のイデオロギー的無色化の効能はあるが、逆に、脱原発派の市民を欺瞞の罠に落とし込む中毒の副作用も否定できない。

あの渡辺喜美が、中田宏が、原発全基廃炉だの消費税増税阻止だの、そのような政策決定を本当にするはずがないではないか。


 		 	   		  


CML メーリングリストの案内