[CML 015446] Re: 言葉をつぶす人、言葉をつくる人(1)

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2012年 3月 4日 (日) 12:05:57 JST


言葉をつぶす人と言葉をつくる人を対比させて論じることに違和感を覚えました。言葉をつぶす人がつぶそうとする言葉と、言葉をつくる人がつくろうとする言葉は全く別種別物です。それを同じ「言葉」という言葉で表現して、「つぶす」というネガティブな表現と「つくる」というポジティブな表現を並べています。非常に巧みなレトリックです。 

言葉をつくる人に価値を見出すことは一つの考えとして理解できます。もし、言葉をつぶす人に関する問題提起とは別の文脈で、言葉をつくる人の価値が論じられたならば、それなりの共感は得られるでしょう。しかし、差別語などの言葉をなくすことに一定の価値を見出す人々に対して、「言葉をつくる方に価値がある」と主張されても、共感は得られません。 

言葉をつぶす人に問題があると考えるならば、言葉をつぶすこと自体を批判すべきです。その批判に対しては言葉をつぶすことに価値を見出している側からは再反論がなされるでしょう。この結果、言葉をつぶす人に対してのみ反応が生じることは至極自然です。 

言葉をつぶすことに価値があるか否かと、特定の言葉や表現を潰すことが政治的に正しいことになるかは別次元の問題です。最近では特定人を「さすが」と称賛することが危険と問題提起され、それに対して多数の批判が寄せられました。管見も批判に同意します。 

自分や自分の知っている運動と同じ次元に落とすことで平等を実現しようという低レベルの悪平等主義(実は自分が認められたいという裏返し)は有害です。つぶす必要のない言葉や表現をつぶそうとする主張は、それ故に批判されるものです。これは言葉をつぶすことの価値とは別次元です。 

但し、言葉をつぶす活動には、つぶす必要のない言葉をつぶそうとする冤罪が起こり得るものです。その強い自覚が言葉をつぶす側には求められます。これは重く受け止めなければならないものです。一方で「さすが」と称賛することを危険視した人物が日頃からPCに熱心という訳でもなく、つぶす必要のない言葉をつぶす冤罪の危険性は言葉をつぶす活動への熱心さと比例するものでもありません。

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