[CML 014612] ●土井敏邦監督の「私を生きる」を見た(永田浩三 1/14)

中田妙佳 gukoh_nt at yahoo.co.jp
2012年 1月 27日 (金) 12:51:44 JST


nakataです。重複おゆるしください 
メールをいつもありがとうございます。

(以下拡散転送歓迎)
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 「隙だらけ好きだらけ日記」ブログ(永田浩三 1/14)さん。
  永田浩三さんとは、(NHK・元プロディユーサー()NHK女性国際戦犯法廷裁判をめぐって退職)の方です。
 ●「土井敏邦監督の「私を生きる」を見た」の文章。少し日数が過ぎてますが、これは保存しておきましたので、
  ご紹介させていただきたいと思います。
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●教育とは何か? ▲「教育とは、基本的に、自分で考え、▲他者を尊重する知恵とこころを養うことに尽きる」
このことばが、熱く大きく胸に響きます。
 ▲「まっとうなのは、いつの時も、歴史に対して謙虚に学び、▲自己点検を怠らない姿勢だ」

わが身を厳しく問うことばであり、
この偏狭な人間が闊歩する日本社会。無残に、教育がいかに破壊され、人間性を疎外してきたのかを考えます。

  < 貼り付け開始>
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「隙だらけ 好きだらけ日記〜映像 写真 文学 そして風景〜」 永田浩三 1/14
http://nagata-kozo.com/?p=6423

●土井敏邦監督の「私を生きる」を見た
きょうは、土井敏邦監督のドキュメンタリー映画『私を生きる」の上映初日。会場になった渋谷・円山町のオーディトリウム(ユーロスペースと同じビルの2階)は、お客さんでほぼ満席になった。映画が終ったあと、▲会場は、大きな拍手に包まれた。実に堂々としたいい映画だった。

「私を生きる」には、3人の教員・元教員が主人公として記録されている。卒業式で「君が代斉唱」の時に起立せず、繰り返し処分を受けてきた▲元・中学校の家庭科教諭・根津公子さん、「君が代」の伴奏を断り、日の丸掲揚に反対の意思表示のための、▲個人的リボンをつけたため処分された小学校教諭・佐藤美和子さん、そして、職員会議での挙手・採決を禁じた都教委の通知の撤回を求めたことなどから、▲退職後再雇用されなかった元三鷹高校校長の土肥信雄さんの3人だ。

▲3人とも、教育委員会の指示に従わなかった理由は、ひとえに、さまざまな事情をかかえる生徒たちを守るためだった。▲教師の職責として、多様な生徒たちに誠実であろうとした結果にすぎない。特別な政治信条の結果ではない。現在の都知事や、将棋界のドンで、きょうだったかコンピューターに敗北した教育委員が、自分たちの美学を自分が守るのは勝手だが、教員全体を一方的に従わせようとしていることに、そもそも無理がある。よくアメリカだってやっているではないかという御仁がいるが、特に9・11以降の、アメリカの愛国主義という名前の、ファナティックなナショナリズムに倣う必要はまったくない。国際派を自認する人に、ややその傾向が顕著なのは、いかがなものか。偏狭な人間になってどうするのだ。

そもそも、音楽によって、一斉にみんな歌うことや、一斉に起立する行為は、それを指示される側に、極度の身体的・心理的強制を求めることになる。好きで行う人は構わない。何の問題もない。しかし、地域の公立学校には、在日外国人や、さまざまな宗教的な制約をもっている生徒だっている。「君が代」は、明らかに天皇の御代が長く続くようにということを歌った古歌を基にして、明治以降、人工的に作った西洋音楽だ。日の丸は、オリンピックなどのスポーツイベントで日章旗が中央のポールにはためくときは、私もうれしくなるが、あの旗に対して、複雑な思いをいだく人たちが存在することを、想像するぐらいはできる。

▲教育とは、基本的に、自分で考え、他者を尊重する知恵とこころを養うことに尽きる。▲当たり前だと思っていたことが、そうではないということに、気づくことこそが教育なのだ。アルキメデスしかり、ガリレイしかり、ダーウインしかり、教室では、毎日毎日、常識にとらわれるな、自由に物事を考えるようになれ、世界の孤児ではなく、国際化した日本人になれと、言い続けているではないか。

そもそも、▲学ぶということは、因習を打破するという意味を含み、そのことがずっと行われてきたのだ。明治の教育は、その典型だ。何も戦後からではない。それが、例えば、総理を途中で投げ出した政治家のひとり、安倍晋三氏などは、「戦後レジューム」などという、奇妙な言葉を編み出し、まるでルネサンスにおける、中世的価値の復活を唱える教皇のような言説を繰り返している。そうしたときには、一見、バックラッシュの側の方が、勇ましく、進歩的に見え、ゴーマニズムやハシズムといった、あだ花が現れたりするから、気をつけなくてはならない。彼らが、時代の先を行った、まっとうな思想だということは、断じてない。▲まっとうなのは、いつの時も、歴史に対して謙虚に学び、▲自己点検を怠らない姿勢だ。

きょうは映画が終ったあと、主人公の3人と土井監督が登壇し、実にいいお話をされた。4人はみな謙虚だった。私より一つ年上のお兄さんの土井監督は、自分が話すより、3人の方の話を1秒でも多くとりたいという態度に終始した。私と同い年の音楽教諭・佐藤美和子さんは、「自分は音楽の先生を続けたかったので、根津さんのように、君が代斉唱時の起立は断れなかった」と控えめに言われた。一方、▲土肥さんは、君が代起立を命じる側にいたことも、率直に語っておられた。▲みんな自分が自分が、という人ではないのだ。会場のお客さんも含め、実にすばらしいひとたちが集まっていた。どうして、こうしたまっとうな人たちが目の敵にされ、反日的と言われ、弾圧されなければならないのか。つくづく奇妙な世の中だと思う。

この映画の完成前、編集の時に少し、意見を述べさせていただいたことがあったが、その時より、ずいぶんよくなっていた。▲土井監督は、編集中には、どんな厳しい批評にも耐え、一歩でも前に進めるように、改善を重ねていく。▲その姿勢に頭が下がる。私はといえば、去年見せていただいたときに比べて、身につまされる度合いが一層強くなった。 

何かというと、根津さんや佐藤さんが、追い詰められ自死を考えたことがあるというくだりがひとつ。もうひとつは、▲子どもたちのために、教員としての職責を果たしたいと思う気持ちに深く共感した。大学教員になって3年。この4月からは4年目に入るが、▲学生のためにという気持ちが、まず先に立つ自分がいる。これは、ここ数年で急に強くなった感情だ。●人間は、ほんとうに日々変化する生き物だと思う。 


16日には、根津さんの損害賠償をめぐる裁判の最高裁判決が出る。1審・2審と根津さんは敗訴したが、今回は違うという予想がある。30日には、土肥さんの損害賠償をめぐる裁判で、東京地裁における判決が出される。どちらも目が離せない。20日には、映画の上映の後、私が少しお話をすることになっている。緊張するが、少しでも多くのお客さんに見てもらいたい。


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