[CML 014256] 海渡雄一さんに聞く原発と司法 朝日新聞12月12日

BARA harumi-s at mars.dti.ne.jp
2012年 1月 12日 (木) 12:55:49 JST


朝日の朝刊に 海渡雄一弁護士のインタビュー掲載。
参考にどうぞ。
朝日の原発記事としては「プロメテウスの罠」(第6シリーズ連載中)のほか
「原発とメディア」(夕刊連載 現在64回)が 自社を中心に検証記事を まじめにやろうとしているようです
また 全国版ではありませんが、茨城・東海村の原発誘致を追う「原子のムラ」が 元日から始まっています

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■中越沖地震の後 勝訴信じ込み 立証尽くさず悔い

 ――東京電力福島第一原発の事故が起きたとき、どのような感情を抱きましたか。

 「無念と後悔の気持ちに襲われました。もんじゅ訴訟が最高裁で勝訴できていれば、もし浜岡原発訴訟の一審で勝っていれば。その後の原子力安全行政が変わり、事故を防ぐことができていたかもしれない、と」

 ――無念はわかりますが、後悔というのは?

 「浜岡原発訴訟では、一審の結審後の2007年7月に中越沖地震が起き、東電柏崎刈羽原発で3千カ所以上の損傷が明らかになりました。当然私たち原告側は追加立証のため、弁論の再開を申し立てましたが、裁判長が『再開すれば自分たちの任期中に判決を出すのが難しくなる。中越沖地震に関しては公知の事実として判決で取り上げることも可能だ』と取り下げを促しました」

 ――それで受け入れたのですか。

 「私たちは『勝てる』という感触を得て勧めに応じましたが、判決は敗訴。しかも、判決理由では中越沖地震による原発の損傷について一言も触れられていませんでした。『だまされた』と思いました。中越沖地震に関する立証を尽くして次の裁判長に判断を求めるべきでした」

 ――そういう駆け引きがあるものなんですね。でも、そもそもなぜ勝訴を信じたのでしょう。

 「M6.8の中越沖地震から間もない時期です。M8以上が直下で起きる可能性がある浜岡原発を、動かしていいという判決が出るはずがないと、原告側だけでなく、メディアも信じていました。判決当日、各テレビ局が原告勝訴を前提とした特別番組を準備し、上空をヘリコプターが多数飛んだほどでした」

 ――もんじゅ訴訟では、名古屋高裁金沢支部が設置許可無効の原告勝訴判決を出しました。伊方原発訴訟最高裁判決の示した基準に基づいて「国の安全審査に看過しがたい過誤と欠落がある」としたのですが、最高裁で逆転敗訴となりました。

 「最高裁では口頭弁論が開かれたので、何らかの見直しが行われることは覚悟していました。無効判断についての新たな法的見解を示し、事実関係について審理し直すため、高裁に差し戻すのではないか、などと予想していました。実際には、最高裁として新たな法律論なり、理論的な立場を示すこともなしに、高裁が認定していない事実を新たに書き加えて、高裁判決を覆したのです」

 ――1976年、最高裁行政局が地裁、高裁の判事を集めた「会同」と呼ばれる会合で、原発について「事故で実際に被害が起きる可能性は非常に少ない」とか、原発訴訟では住民の訴えを起こす資格(原告適格)を限定的に解しても弊害は少ないなどと述べていたことが後に明らかになりました。

 「『会同』での発言は伊方、福島第二、東海第二の各原発訴訟で一審審理が進められていた時期です。伊方訴訟で国側の証人が原告側に論破されるなど、国側が劣勢に立たされていました。思想統制と言えないまでも、国側を負けさせてはいけないというような、一定の雰囲気を裁判官の間に作る役割は果たしたでしょう」

■最高裁で逆転勝訴 必ず国側勝たせる 悪いメッセージ

 ――86年のチェルノブイリ事故のあとでさえ、日本では脱原発へ進まなかったのはなぜでしょう。

 「反原発運動はかつて反体制運動の一環と見られていました。事故後、冷戦が終わり、原発訴訟への“しばり”は取れた。最高裁自らが伊方原発訴訟で『安全審査の目的は万が一にも事故を起こさせないことにあり、現在の科学的知見に基づいて安全性を立証する責任は被告側にある』とする判断基準を示したんです。もはや反体制運動ではないという、雪解けのようなものだったのではないでしょうか。この基準は原告勝訴にも道を開いたと読めますから」

 「ところがもんじゅ訴訟の控訴審判決で原告が現実に勝って、最高裁はあわてたのでしょうね。最高裁での逆転敗訴の判決は、下級審に対する悪いメッセージとなりました。結局最高裁はどんなことをしても国側を勝たせる判決を出すんだろうと思って、浜岡原発訴訟の地裁判決も書かれたのではないでしょうか」

 ――司法だけでなく、国民の間でも脱原発の機運は広がりを欠いた印象があります。 


 「私たちが反省すべきは、原発反対運動が細部に入りすぎ、専門的なところで闘おうとしたことです。そうでないと、国や電力会社と論争できないという事情はありました。しかし、もっとわかりやすい言葉で人々に語りかける必要があった。わかりやすく、しかも説得力ある論理が構築できるかどうか。これからの課題です」

 「国や電力会社の原発推進キャンペーンが圧倒的に大きかったせいもあります。一方で、原発に批判的な意見を持っているだけでマスコミには出られない状況もありました。被曝(ひばく)労働者の労災に関する民放番組に生出演させてもらったことがありますが、ディレクターから『原発の是非については絶対に触れないでください』と言われました」

 ――原発も地元の賛成なしには立地できません。選挙という民主主義的手続きを経て、なお多くの原発が立地したのはなぜでしょうか。

 「誘致した地域では疑問を持つ住民の運動が必ず起きています。最初からもろ手を挙げて賛成したところなどありません。地縁・血縁のしがらみがある中で、反対を続けた人は村八分も覚悟しなければなりませんでした。カネも絡みます。自由な討論を重ねられるという民主主義の前提となる環境がなかった」

 ――原発訴訟を担当した裁判官の多くはメディアの取材に「原子力のような高度な科学技術に関しては私たちは素人で、その是非について判断は不可能」と述べています。

 「私は、高校程度の物理と化学を理解する能力と意欲さえあれば判断できると考えています。もんじゅ訴訟の控訴審の裁判長は審理に先立って『これから勉強します。素人的質問をマスコミも傍聴している口頭弁論でするのは恥ずかしいので、(非公開の)進行協議という形で行いたい』と提案しました。結果的に月1回午前10時から午後5時まで、原告側と国側の専門家に裁判官が質問する形で約10回実施しました」

 「初めは初歩的な質問しかできなかった裁判官も、鋭い質問を繰り出すようになり、国側の専門家が答えに窮する場面も出るようになりました。この方式は裁判官の理解が深まり争点が明確になっていいので、他の原発訴訟でも採用を提案しましたが、被告側の反対でなかなか実現しませんでした」

 ――福島第一原発の事故以降、裁判所に変化はありますか。

 「全体に熱心になったな、という印象です。事故の直後は、緊迫感がありましたね。浜岡原発訴訟では本訴とは別に運転停止の仮処分申請もしていましたので、まず運転を止めてから裁判を続けるよう要望しました。5月2日の進行協議の日に、裁判所は中部電力にこの申し入れに関して次回期日の5月26日までに役員会を開き、回答するように指示しました」

 ――裁判所にしては異例の機敏な対応ですね。

 「当時の菅首相の要請で浜岡原発は14日に停止されましたが、裁判所として精いっぱいの対応でした」

 ――裁判所は、行政を厳しくチェックすることを避けてきたように見えます。「司法の独立」のために何が必要ですか。

 「裁判官の選ばれ方に問題がある。司法研修を終えてから裁判官の世界だけにいると、上司の意見や最高裁の動向に敏感になりがちで、行政に対して厳しい判断を下すことは難しくなります。米国やカナダで実施され、新たに韓国でも導入される法曹一元、つまり、司法修習を終えたら全員弁護士になり、10年ぐらい経験した中から評判のいい人を裁判官にする制度にすべきです」(聞き手・山口栄二、磯村健太郎)

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 1955年生まれ。81年弁護士登録。もんじゅ、浜岡原発など原子力関連の訴訟12件を担当。2010年から日弁連事務総長。近著に「原発訴訟」。
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