[CML 014223] 【YYNews】■1月22日(日)[日曜勉強会]テーマ『上田哲氏を今語る』のご案内です

山崎康彦 yampr7 at mx3.alpha-web.ne.jp
2012年 1月 11日 (水) 12:25:47 JST


 杉並の山崎です。

いつもお世話様です。

私は昨年12月17日に市民組織[草の実アカデミー]よりのご依頼で「ネット
メディアと民主主義 ]をテーマに2時間ほどお話をさせて頂きました。

【関連記事】12月17日「第34回草の実アカデミー」での講演会報告です!

 http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/16a8d100be2630dba40c12344677e60b

講演会当日の12月17日は偶然にも[草の実アカデミー]の提唱者で元日放労
(NHK労組)委員長、元社会党国会議員の上田哲氏の3回忌命日にあ たり、講演
の前に[草の実アカデミー]代表林啓明氏が上田哲史が大切にしていた2つの
キーワードを紹介されました。

第一のキーワードは[草の実アカデミー]の名称に使われている[草の実]です。
これは権力の側・権力機構にいない[ふつうの人々]を指します。

第二のキーワードは[直接民主主義]の推進です。

林啓明氏は、この二つのキーワードを現実世界で発展させるには[ネットメディ
ア]が必要不可欠だと話されました。

1月22日(日)の[日曜勉強会]では、上田哲史の娘さんで(社)マスコミ世
論研究所理事長の山口久美子氏と林啓明氏をお招きして、上田哲氏が目 指して
いた理念と実践活動を『上田哲氏を今語る』のテーマで語っていただこうと思っ
ております。

皆様のご参加をお願いいたします。

参加希望者は返信メールにて事務局山崎までお知らせ下さい。

*■1月22日(日)[日曜勉強会]テーマ『上田哲氏を今語る』のご案内です*

日時:2012年1月22日(日)午後2時−5時

会場:ルノアール新宿区役所横店2F3号室

   東京都新宿区歌舞伎町1-3-5相模ビル2階

   筺03-3209-6175

   http://www.ginza-renoir.co.jp/myspace/mys006.htm

テーマ:『上田哲氏を今語る』

ゲスト:山口久美子氏(社)マスコミ世論研究所理事長(上田哲氏長女)

    林啓明氏(草の実アカデミー代表)

主催:ネットメデイアと主権在民を考える会

Ust中継:チャンネル2 http://goo.gl/h7e62

参加費:会場費+飲み物でお一人約\1200
________________________________

*【参考資料】上田哲氏 (Wikipediaより転載)*

上田 哲(うえだ てつ、1928年(昭和3年)2月26日 - 2008年(平成20年)12月
17日)は、日本の政治家、ジャーナリスト、労働組合運動家。

衆議院議員(5期)、参議院議員(2期)を歴任した。

東京都文京区生まれ。旧制東京府立第五中学校(現東京都立小石川高等学校)、
旧制新潟高等学校、京都大学法学部卒業。京大卒業後、高等学校の非常 勤講師
(英語科)を経て、日本放送協会(NHK)に入局し、社会部に所属。

1961年、生ワクチンによるポリオ根絶をめざす「上田プラン」を提唱し、ポリオ
撲滅運動の原動力になる。その後日本放送労働組合中央執行委員 長、全日本マ
スコミ共闘会議の初代議長を務める。当時のニックネームは「NHKの闇将軍」
「上田天皇」。

1968年、NHKを退職し、第8回参議院議員通常選挙に参議院全国区から出馬し、高
い知名度を生かして石原慎太郎、青島幸男に次ぎ得票数3位で 当選を果たした。
1974年の第10回参議院議員通常選挙でも全国区で再選されたが、1979年に参議院
議員を辞職。第35回衆議院議員総選挙 に、同じく衆議院に鞍替えした石原慎太
郎、公明党の鈴切康雄、民社党の大内啓伍ら有力候補がひしめく旧東京都第2区
から日本社会党公認で出馬し た。

この初出馬時のみ、石原慎太郎を上回る得票数でトップ当選を果たしたが、以後
は石原の後塵を拝し、トップ当選の石原を上田、大内、新井将敬、日本 共産党
の岡崎万寿秀、公明党の遠藤乙彦らが追う構図が続いた。旧東京2区では5回連続
で当選したが、1993年の第39回衆議院議員総選挙で社会 党惨敗の煽りを受け、
落選。

社会党内では中間右派の火曜会に所属。1991年には社会党委員長選挙に立候補し
たが、田邊誠に敗れている。当初のスタンスは右派寄りであったた め党内最左
派の社会主義協会に敵対する立場であったが、護憲や小選挙区制反対による社会
党の主体性を重視する立場から、徐々に左派への傾斜が見ら れた。そのため、
落選した93年の総選挙では土井たか子や岩垂寿喜男同様、社会党公認ながら連合
からの推薦を得られなかった。

1994年、社会党が細川内閣の下で小選挙区比例代表並立制導入を柱にした選挙制
度改革に賛成したため、社会党を離党。護憲新党あかつきを結成 し、委員長に
就任する。

1995年東京都知事選挙に無所属で立候補したが、青島幸男、石原信雄、岩國哲
人、大前研一ら有力候補がひしめく中、得票数5位で落選した(当選 者は青島幸
男)。同年の第17回参議院議員通常選挙では、アントニオ猪木が率いるスポーツ
平和党に合流し、名簿2位で比例区から出馬したが落選 (なお、都知事選で落選
した大前研一も平成維新の会を率いて出馬したが落選)。以後、2000年に社会党
を結成し衆議院比例東京ブロックや参議院 東京都選挙区から出馬したが、国政
復帰は果たせなかった。

2003年には医師で作家のなだいなだが立ち上げたバーチャル政党・老人党に賛同
し、落語家で立川流家元の立川談志、探検家の西丸震哉と共に老人 党東京を結
成。またインターネットTV「世論力TV」の運営や、雑誌「月刊マスコミ市民」の
編集にも携わっていた。

2008年(平成20年)12月17日、肺炎のため東京都文京区の病院で死去。享年80。
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(終わり)

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