[CML 014219] Re: 追伸: <occupy>という言葉とその現象についての太田昌国氏の考察、そして私の若干のコメント

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2012年 1月 11日 (水) 10:16:40 JST


田島さん、ひとこと。

「ほおっておけば、その大勢の理念なき民衆は、沈静化と共に独裁の秩序の中にまた押し花のようにたたみこまれて
しまうでしょう。ですから、私はそうならないようにと、烏合の衆を元気づけるにはどうしたらよいかを、必死に考えよう
としています」という田島さんのご認識はまさにそのとおりだと思います。その認識は私の認識でもあります。

だから、私なりに「必死に考え」「努力」して問題提起したのが標題投稿なのです。

「<occupy>という言葉とその現象が、打ち上げ花火的な<祝祭>的なもので、あだ花に過ぎない」などと思っている
わけではありません。「本質的な欠陥は<理念がない>ことだ」と思っているわけでもありません。そうならないように、
という願いをこめた私の現状分析、その問題提起のつもりなのです。

なお、誤解されているようですが、<脱原発原理主義者>という言葉は田島さんに向けてのものではありません。「脱
原発」を言いながら原発推進政党の民主党(議員)を応援しようとしている「脱原発」主義者、震災被災地(原発被災地
ではありません)のがれき処理の問題は全国民(市民)的課題というべきなのに(すでに日本全土が少なくとも低レベル
の放射能汚染にさらされているという現状に照らして)どれだけの放射能レベルならば許容できるのか、あるいはでき
ないのか。そうした科学的検討の課題に真剣に向き合おうともしないままなにがなんでも「がれき受け入れ」反対、「除
染」反対などという一連の風潮、思潮、その主張の危うさを<脱原発原理主義>とでもいうべき風潮、思潮、主張とい
うべきではないか、と問題提起しているということなのです。「批判のための批判」ではありません。


東本高志@大分
higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/
-----Original Message----- 
From: T. kazu 
Sent: Tuesday, January 10, 2012 4:06 PM 
To: CML 
Subject: [CML 014197] Re: 追伸: <occupy>という言葉とその現象についての太田昌国氏の考察、そして私の若干のコメント 


i0615田島です
私はどうもこういった meta by metaが嫌いです。

<occupy>という言葉とその現象が、
打ち上げ花火的な<祝祭>的なもので、あだ花に過ぎない、
本質的な欠陥は<理念がない>ことだと仰るならば、
それはそうでしょう、

だったら、
運動に理念を付与すべく東本さんが努力すればいい、
としか申し上げようがありません。

もし仮に、東本さんが<理念ある運動>をになっていて、
<理念なきoccupy運動>を批判しているなら、
東本さんの文章も、文章の目的意図も感じられて、読みやすいのですが、
そうでもないらしい。

ということは、これ、
俗にいう<自家発電>なのでしょうか?
御自分が創作した<脱原発原理主義者>という<言葉>に批難を投げかけたことと
相通ずるような気がします。議論のための議論・・・

私(及び東本さん)のような旧世代の若いころに、
運動家の間には<大衆行動>言う言葉がありました。
その<大衆運動>は<前衛>に指導されなければ烏合の衆になってしまう、という派と、
そういう指導は、<スターリズム官僚主義>だ、という派が対立していました。

いま、ニューヨークの<occupy>運動と、わが日本での<脱原発>運動、
これって、40数年ぶりの街頭的<大衆運動>の再燃です。
しかしここには、指導部もなく理念もありません。
そうした特徴は、最初から分かっていました。
こういう自然発生的な運動に、
<理念>を注入して天下をとろうという政党も思想団体も、
日本やアメリカには存在しなくなってしまったのです。

とはいえ、単純で明快で、特筆すべき大きな事実は、
<理念ある指導者>や旧来の運動家、あるいは東本さんが行動を呼びかけても
決して集まらなくなってしまった大量の人々が、集まっていることです。
脱原発運動では、放射線計測器をもって空間線量を測りまわる、
ヤンママや若い母親たちも、そうです。

このこと抜きに、それらを批判することは、
<反動政治家>が葉巻をくゆらしながら、それを批判することと、
全く変わらないと思います。

ほおっておけば、その大勢の理念なき民衆は、
沈静化と共に独裁の秩序の中にまた
押し花のようにたたみこまれてしまうでしょう。
ですから、私はそうならないようにと、
烏合の衆を元気づけるにはどうしたらよいかを、
必死に考えようとしています。

すこしでも長く持続していくうちに、
烏合の衆が<新しい理念>生みだすかもしれませんし。
だれか女神かキューピットかが、
デモの隊列にすばらしい<理念>の花束を、投げ込むかもしれないではありませんか。

ni0615田島直樹拝
安禅不必須山水


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