[CML 014200] Re: 追伸: <occupy>という言葉

Maeda Akira maeda at zokei.ac.jp
2012年 1月 10日 (火) 17:19:19 JST


前田 朗です。

1月10日

田島さん

なるほど。いろんな読み方があるのですね。

私もコメントを。

第1に、ニューヨークにおける(主に)白人による「占 拠」に対して先住民族
の立場から疑問が提起されるのは当然です。「占拠(先占)」と先住民族の権利
については、以下参照。

http://maeda-akira.blogspot.com/2011/04/blog-post.html

http://maeda-akira.blogspot.com/2011/04/blog-post_14.html

http://maeda-akira.blogspot.com/2011/04/blog-post_2012.html

ただし、そのことと日本における占拠(例えば東電前、 九電前、経産省前)と
は別です。北海道ではありませんから。

第2に、経産省前の「占拠」について、昨日、雑誌『マスコミ市民』 2月号の
ための原稿「拡散する精神/萎縮する表現(11)占拠する市民、抗う志」を書
いたところです。年末の経産省前座り込みと、1月4日の餅つき大会に参加して
の感想です。その一部を 貼り付けます。田島さんの東本さんへの違和感と同様
の意見です。

 <一一年、オキュパイ運動は欧米 各地で取り組まれた。ニューヨークの
ウォール街で始まったオキュパイ運動は、貧困や非正規労働問題を訴えるもので
あった。「われわれは九 九%だ」というスローガンで、富を収奪する一%の特
権階級への批判が世界を駆け巡った。

  オキュパイ運動に対して、政治評論家たちは、運動の戦略がないとか、対案
となる具体的政策提言がないなどと非難の声をあげている。

  しかし、「占拠」は、金と権力を握る特権階級によって買収され形骸化した
「選挙」という誑かしに対する異議申し立てであるから、下手な対 案など無用
であり有害である。「具体的政策」などというものは、実は買収と裏工作と欺瞞
の民主主義の構築物にすぎない。同じ土俵に乗らな いという大衆の意志を占拠
という形で示すことに意味があるのだ。問われているのは個別の政策ではなく、
政治の正当性(正統性)である。>

こ の文章は次のものとセットです。私の文章は現場の思想です、と自己礼賛
(笑)。

http://maeda-akira.blogspot.com/2012/01/blog-post.html

http://maeda-akira.blogspot.com/2012/01/blog-post_08.html

http://maeda-akira.blogspot.com/2012/01/blog-post_09.html

第3に、経産省前テントについて言えば、これは、上関 原発に反対する若者た
ちの山口県庁前行動や、東京電力前でのハンガーストライキに鼓舞された、熟年
世代の行動です。テントを設置したのは 改憲阻止の会メンバーたちで、60年
安保闘争世代、平均年齢72歳、です。警視庁が手を出す暇を与えず、素早く設
置したアイデアと行動力 には頭が下がります。




> i0615田島です
> 私はどうもこういった meta by metaが嫌いです。
>  
> <occupy>という言葉とその現象が、
> 打ち上げ花火的な<祝祭>的なもので、あだ花に過ぎない、
> 本質的な欠陥は<理念がない>ことだと仰るならば、
> それはそうでしょう、
>  
> だったら、
> 運動に理念を付与すべく東本さんが努力すればいい、
> としか申し上げようがありません。
>  
> もし仮に、東本さんが<理念ある運動>をになっていて、
> <理念なきoccupy運動>を批判しているなら、
> 東本さんの文章も、文章の目的意図も感じられて、読みやすいのですが、
> そうでもないらしい。
>  
> ということは、これ、
> 俗にいう<自家発電>なのでしょうか?
> 御自分が創作した<脱原発原理主義者>という<言葉>に批難を投げかけたことと
> 相通ずるような気がします。議論のための議論・・・
>  
> 私(及び東本さん)のような旧世代の若いころに、
> 運動家の間には<大衆行動>言う言葉がありました。
> その<大衆運動>は<前衛>に指導されなければ烏合の衆になってしまう、という派と、
> そういう指導は、<スターリズム官僚主義>だ、という派が対立していました。
>  
> いま、ニューヨークの<occupy>運動と、わが日本での<脱原発>運動、
> これって、40数年ぶりの街頭的<大衆運動>の再燃です。
> しかしここには、指導部もなく理念もありません。
> そうした特徴は、最初から分かっていました。
> こういう自然発生的な運動に、
> <理念>を注入して天下をとろうという政党も思想団体も、
> 日本やアメリカには存在しなくなってしまったのです。
>  
> とはいえ、単純で明快で、特筆すべき大きな事実は、
> <理念ある指導者>や旧来の運動家、あるいは東本さんが行動を呼びかけても
> 決して集まらなくなってしまった大量の人々が、集まっていることです。
> 脱原発運動では、放射線計測器をもって空間線量を測りまわる、
> ヤンママや若い母親たちも、そうです。
>  
> このこと抜きに、それらを批判することは、
> <反動政治家>が葉巻をくゆらしながら、それを批判することと、
> 全く変わらないと思います。
>  
> ほおっておけば、その大勢の理念なき民衆は、
> 沈静化と共に独裁の秩序の中にまた
> 押し花のようにたたみこまれてしまうでしょう。
> ですから、私はそうならないようにと、
> 烏合の衆を元気づけるにはどうしたらよいかを、
> 必死に考えようとしています。
>  
> すこしでも長く持続していくうちに、
> 烏合の衆が<新しい理念>生みだすかもしれませんし。
> だれか女神かキューピットかが、
> デモの隊列にすばらしい<理念>の花束を、投げ込むかもしれないではありませんか。
>  
> ni0615田島直樹拝
> 安禅不必須山水
> http://ni0615.iza.ne.jp/blog/list/   
>
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