[CML 015352] 【YYNews】■1989年−1992年の[日米構造障壁イニシアティブ]で日本は[第二の敗戦]を喫した!

山崎康彦 yampr7 at mx3.alpha-web.ne.jp
2012年 2月 29日 (水) 23:16:57 JST


 杉並の山崎です

いつもお世話様です。

*■1989年−1992年の[日米構造障壁イニシアティブ]で
  日本は[第二の敗戦]を喫した!
*
昨夜(2月28日)[NPO法人ジャパン・イニシアチブ]が主催された講演会
『〜原発・放射能・TPP 〜今そこにある日本の危機を反TPP、反原発の元農林水
産副大臣が語る』(講師:民主党衆議院議員篠原孝氏)に参加してきました。

講師の篠原孝民主党議員は農水省出身の元官僚で農業問題の第一人者であり
[フッドマイレッジ]の概念を日本で初めて紹介し[地産地消]の造語を 作っ
た方です。

篠原議員は[反原発]と[TPP参加反対]の両方を言明している数少ない民主党
国会議員の一人で、今年1月までは民主党副幹事長をつとめておられました。

講演は[反原発]と[TPP参加反対]の立場から[原発]と[TPP参加]が抱える
問題点を鋭く指摘され大変興味深い内容でした。

特に興味深かったのは、篠原議員が1989年当時農水省の海外対策室の責任者
として、宇野首相と米国のパパブッシュ大統領の間で日米貿易不均衡の 是正を
目的として設置された[日米構造協議]に直接関わったお話でした。

1989年当時の篠原氏は実務者として日米間を慌ただしく往復して協議を重ね
ていましたが、結果的には[大店法廃止]を米国から要求され丸呑みし 各地で
シャッター通りが出現したように、日本は米国の攻勢に[完敗]したと述べてい
ました。

[日米構造協議]は表向きは日米両国の[構造的な障壁]を相互に取り除き自由
な貿易や投資を実現するための協議会でしたが、実際に討議されるのは 米国か
らの一方的な対日要求しかなく結局日本は米国の要求を丸呑みするしかなかった
のです。

*▲[日米構造協議]の本当の名称は「日米構造障壁イニシアティブ」!*

日米貿易不均衡の是正を目的として1989年−1992年に行われた[日米構
造協議]の英文は「JapanーUs Structural Impediments Initiative」です。本
来であれば「日米構造障壁イニシアティブ」と和訳すべきもので米国政府は[日
本の構造的な障壁を取り除くための協議会]と 位置づけたのです。しかし米国
の要求を丸呑みした日本政府は[売国奴]批判を避けるために、協議会の本来の
目的を隠して[構造障壁]を[構造協 議]とわざと誤訳して大手マスコミに
[大本営発表]させ広く流通させたのです。

篠原議員は米国側の強行な対日要求に対して日本側は何の抵抗も出来ず米国の要
求を丸呑した事実を[大店法]を例に取り話されました。「日米構造障 壁イニ
シアティブ]で米国が大型店の出店規制緩和を要求した結果2000年に[大店
法]そのものが廃止されたのです。その結果郊外に大型量販店が 次々にでき、
地方都市中心部の小売商店街が衰退して客足が途絶え各地でシャッター通りが登
場したのです。

*▲[日米構造障壁イニシアティブ]は米国の総力戦だった!
*
「日米構造障壁イニシアティブ]は下記の日程でわかりますように、短期間に凄
まじい頻度で会合を重ね丸3年で結論を出しています。

1989年7月の[非公式協議]からほぼ毎月開かれ、一年後の1990年6月
には[最終報告書]が発表されています。その後も決定された[日本の 構造障
壁]が撤廃されたか否かをを検証する[フォローアップ会合]が4回開催され、
199年と1992年には[フォローアップ年次報告書]が出て います。

米国が短期決戦で大攻勢をかけてきたのかがよくわかります。

*【日程】*

1989年(宇野宗佑首相、海部俊樹首相)
7月2日:非公式協議(ニューヨーク連銀)
7月14日:日米首脳会談(パリ)で日米構造協議開催を発表
9月4日:第1回日米構造協議(東京、~ 5日)
11月6日:第2回日米構造協議(ワシントン、~ 7日)

1990年(海部俊樹首相)
1月31日:日米構造協議非公式会議(ベルン)
2月22日:第3回日米構造協議(東京、~ 23日)
3月20日:日米構造協議非公式会議(ワシントン)
4月2日:第4回日米構造協議(ワシントン、~ 5日)
4月5日:「日米構造協議中間報告」発表
5月23日:日米構造協議非公式会議(ハワイ、~ 24日)
6月25日:第5回日米構造協議(~ 28日)
6月28日:「日本構造協議最終報告」発表
10月15日:日米構造協議フォローアップ会合(ボストン、~ 16日)

1991年(海部俊樹首相)
5月20日:日米構造協議フォローアップ会合
5月21日:「フォローアップ第1回年次報告書」発表)

1992年(宮澤喜一首相)
2月26日:日米構造協議フォローアップ会合(ワシントン)
7月28日:日米構造協議フォローアップ会合(東京、~ 29日)
7月30日:「フォローアップ第2回年次報告」発表

この米国の総攻撃に対して、当時の自民党政権は宇野宗佑氏、海部俊樹氏、宮澤
喜一氏と3人も首相が替り、あたかも総司令官不在で敵の大攻撃を受け た国の
ように、何ら戦略的な反撃ができないまま米国の要求を丸呑みしてして[敗戦]
したのです。

[日米構造障壁イニシアティブ]は[ソ連崩壊後の米国の国益を害する最大の
敵は日本の経済力]とみなした米国が、国防総省内に国防総省、国務省、財務
省、CIA、大手金融機関、大手マスコミ、シンクタンクなどの日本専門家を集
めて対日作戦チームを設置し[日本経済破壊作戦]を敢行した[ソフト戦争]
だったのです。

*▲ 日本政府が丸呑みした驚愕の対日要求!*

[日米構造障壁イニシアティブ]で米国が要求し日本政府が丸呑みした驚愕の対日
要求は[10年間で630兆円の公共事業投資]というものあったが、その後の日本
の経済と社会に破壊的な結果をもたらしました。

米国は「日本の対米輸出が急増するのは内需が弱いからであり、日本政府は生産性
を高める産業分野への投資ではなく公共分野に投資すべき」と日本に対してGNPの
10%を公共事業に配分することを要求したのです。海部内閣はこれに応えて10年間
で総額430兆円という「公共投資基本計画」を策定したが、米国はそれでも満足せず
「日本の対外黒字の増加を考えれば公共投資の上積みが必要」と再度要求し、1994年
には村山内閣で計画が見直され 社会資本整備費としてさらに200兆円を積み増し総投
630兆円を計上したのです。

この公共事業への巨額財政出動が現在の財政破綻を引き起こす原因となったのです。
そして日本全国に無駄な大型施設を乱立させて北海道夕張市のように地方自治体を
財政破綻させたのです。米国の要請の背後に は世界に流出する多額のジャパン・マネー
がドルの影響力を希薄化させていることを懸念しジャパン・マネーを日本国内に閉じ込める
狙いがあった、と 言われています。

【*関連記事】日本の国家債務950兆円は米国が仕掛けた「日本経済破壊作戦」
      に闘わずして敗北したことが原因!
*
      http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/26428574e46d926d8824cc7fabe25f07

(終わり)




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