[CML 015351] Re: 言葉をつぶす人、言葉をつくる人(1)

hagitani ryo liangroo at yahoo.co.jp
2012年 2月 29日 (水) 22:41:43 JST


 萩谷です。
 さすがに、池田さんの述べられる意見には、つい説得力を感じてしまうのです
が、失礼ながら、錯覚があるようです。

 平安時代から今まで日本語がダイレクトにストレートに発展してきたとは思え
ません。
 平安朝の貴族の文化がそのまま受け継がれるほど、日本は、いい国ではありま
せん。
 その後に武士の時代があり、女性は荘園主の地位を失い、江戸幕府と明治政府
による封建的な時代がありました。
 日本語の文法的変遷も、けっしてストレートではありませんでした(今はくだ
くだのべませんが、平安時代の日本語のほうが、近世以降の日本語より 英語や
フランス語に似てるくらいです)

 日本語では、ジェンダーの差の表現が、終助詞(ね、よなど)の文法形式とし
て存在してきました。なるほど、名詞や形容詞に男性形女性形などとい う性の
差はありませんが、女性の表現は多くの場合、女性側が目下として物 を言う形
です。丁寧に言うのが女らしい、などというだけでなく、です。

 戦後は、私たちがこのジェンダーの垣根を 低くする歴史でした。そして、父
兄どころか「不敬罪」を「これだけはなんとか残してくれ」と、新憲法制定前
夜、GHQに泣きついた吉 田茂などがよってたかって歪めた新憲法のもとで、
私たちの営為は今日にみる実りを結んだのです。

 障害者をさす呼称は、どんなに言い回しを変えても、障害者をさす以上、障害
者の生きにくさをなんらかの形で反映したものになります。言葉じたい が何か
を持っているわけではないからです。
 でも、そんな無益なような言葉いじりでも、問題の所在を明らかにする役割は
になっていますし、気分が変わっていいかもしれませ ん。


(12/02/29 10:57), 池田 香代子 wrote:
> 池田です。
>
> 言葉は一義的には社会生活の道具である以上、時代とともに生まれたり廃れたりしてきました。
> 死語となる条件は2つ。
> 社会の実情を反映しない言葉や、その時代の人びとの心情にそぐわない言葉が、いつのまにか死語となります。
> たとえば「父兄」は2条件を満たしている、つまりとっくに実体を失っている上に人間の半分にとって不快となりうるので、もういいかげん廃れてほしい言葉です。
> いっぽう、ある言葉が、実体は失っていなくてもそれを不快に思う人びとの気持ちがある程度広く共有されれば、その言葉を意識的に排除する、ということも起こってきました。
> たとえばわたし個人は、「めくら」は薄暗いのから真っ暗までを表現する豊かな言葉だと思うのですが、その過去の使われ方から「めくらと言われたくない」という当事者がおられ、その心情が共感を得ており、わたしもそれはもっともだと考えるので、使いません。
>
> 性差別については、漢字を問題にしてもしかたありません。
> 文字に限らず、そもそも言語は根っこから性差別的だと自覚していればいいと思います。
> (日本語は、歌詠みに両性が参加した上、源氏と枕草子という早い時期の女性による言語イノベーションがあったので、世界的に例外なほどましだと思います)
> 英語も同じ傾向ですが、「一般に人は」という意味のドイツ語は「man」で大文字書きすれば「男」です。
> かつてドイツのある女性作家がそれに気づき、書けなくなりました。
> いまは「一般に人は」という意味で、女性を表す「Frau」を小文字書きにして「frau」とする表記を採用する女性もいて、ドイツ語の女性表現者はたいへんだ、と同情します。
> (わたしは「man」と書きます)




CML メーリングリストの案内