[CML 015332] Re: 言葉をつぶす人、言葉をつくる人(1)

池田 香代子 0146945001 at jcom.home.ne.jp
2012年 2月 29日 (水) 10:57:01 JST


池田です。

言葉は一義的には社会生活の道具である以上、時代とともに生まれたり廃れたりしてきました。
死語となる条件は2つ。
社会の実情を反映しない言葉や、その時代の人びとの心情にそぐわない言葉が、いつのまにか死語となります。
たとえば「父兄」は2条件を満たしている、つまりとっくに実体を失っている上に人間の半分にとって不快となりうるので、もういいかげん廃れてほしい言葉です。
いっぽう、ある言葉が、実体は失っていなくてもそれを不快に思う人びとの気持ちがある程度広く共有されれば、その言葉を意識的に排除する、ということも起こってきました。
たとえばわたし個人は、「めくら」は薄暗いのから真っ暗までを表現する豊かな言葉だと思うのですが、その過去の使われ方から「めくらと言われたくない」という当事者がおられ、その心情が共感を得ており、わたしもそれはもっともだと考えるので、使いません。

性差別については、漢字を問題にしてもしかたありません。
文字に限らず、そもそも言語は根っこから性差別的だと自覚していればいいと思います。
(日本語は、歌詠みに両性が参加した上、源氏と枕草子という早い時期の女性による言語イノベーションがあったので、世界的に例外なほどましだと思います)
英語も同じ傾向ですが、「一般に人は」という意味のドイツ語は「man」で大文字書きすれば「男」です。
かつてドイツのある女性作家がそれに気づき、書けなくなりました。
いまは「一般に人は」という意味で、女性を表す「Frau」を小文字書きにして「frau」とする表記を採用する女性もいて、ドイツ語の女性表現者はたいへんだ、と同情します。
(わたしは「man」と書きます)


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