[CML 015321] Re: 特定のある人を特別視する、あるいはスター視する「思想」には賛成できません。というよりも危険です〜Re: 水俣と福島に共通する10の手口

shigemitsu hisamatsu sufihisam596 at gmail.com
2012年 2月 29日 (水) 00:49:56 JST


東本さん

初めて投稿します。久松と申します。東本さんとは、いつか別のMLで、天木さんの評価をめぐって、ちょっと議論したことが、あるのを記憶しています。ところで、僕は、松元さんが、発信されるメールを僕たちのローカルなMLに転送させてもらっています。いつもありがとうございます。

松元さんが「さすが」という言葉を使って、ある人物をスター視しているとして、そこから東本さんは、そこからポピュリズムを導き、さらにはファシズムに転化しやすいなどと、自らの論を広げていますが、僕は、その論述の仕方が、全然、気に入りませんでした。

僕は、「さすが」という言葉、全然気になりませんでした。そして紹介された記事を読んで、市民測定所関係でもよく耳にするアイリーンさんの名前ですが、アイリーンさんて、こんな生い立ちで、こんな風な感じ方をする人だったのかと思い、興味深く読みました。

フクシマの事故以来、ミナマタのときの政府の対応も似ていたなと思っていましたので、アイリーンさんが、フクシマとミナマタを比較した類似点にも、発言されている内容にも、ただただ率直に同感して読んでいました。箇条書きにされていたことも、特にアイリーンさんが、僕の気づかなかったことを、指摘してくれたとは思いませんでしたが、そうだよな、そんなところミナマタのときの政府やシステムの側の対応とそっくりだよな、と思い、別にノウハウ本と比べて見ようとも思いませんでした。そこに東本さんの、いつもの口うるさいコメントです。

それですこし僕も発言したくなりました。

またアイリーンさんの幼いときの日本での体験を述懐した箇所も、東本さんのように「原体験と罪悪感をまるで貴種流離譚伝説かなにかでもあるかのように称揚するのもセンチメンタルな礼賛以上のものではありません。」なんて思いませんでした。東本さんは、彼女の述懐部分を「貴種流離譚」という大袈裟な言葉に置き換え、センチメンタルな礼賛以上ではないなどと言われます。日米のハーフであったアイリーンさんは、日本とアメリカの間で、複雑なコンプレックスのもとに、成長したんだな、とただ彼女の気持ちに即して読んでいました。貴種流離譚なんて言葉は、思い浮かばなかったし、彼女自身、自分が貴種でこの地上に流離してきたんだという思いで、あの幼いときのメンタル・スケッチを語ったわけでもないのに、大袈裟な言い方をしてセンチメンタルと切捨てます。

そして作家の埴谷雄高のエッセーを持ち出します。僕もこのエッセー埴谷らしいな、と感じて、埴谷さんの人となりを知る手がかりになりました。それなら、アイリーンさんの述懐も、埴谷さんのエッセー同様、そのまま受け取ればいいではないですか。ちっともアイリーンさんを等身大で、感じていないように思います。

僕が気にいらないのは、「こうした在外邦人の経験を持つ日本人は決して少なくありません。」という言葉です。
そこでその人の気持ちに寄り添うのではなく、こう感じる人は、少なくないと、量的な判断を下していることです。
少なくないから、何なんですか。それとも東本さんは、埴谷さんの言うことは認めるが、アイリーンさんの述懐は、センチメンタル以上のものではない、と価値判断をくだすんですか?無意識に東本さんは、アイリーンさんのこと、あんなもの、俺のがずっと分っていると思っているのじゃないか。埴谷さんだったら、決してそんなこと言わないでしょう。

ぼくには、無名なものという目に見えない第三項を持ち出してきてその人の言っていることを、聞こうとしないことは、観念性の強い男の悪い習性だと思っています。僕も男ですから、どうにか直したいと思っています。

総じて東本さんが説教するような理想社会を作ったら、ものすごく息苦しい社会になってしまうと思います。

僕も、緒方正人さんや石牟礼道子さんの本を読んでいます。それに佐野住職と緒方さんの
「ミナマタからフクシマへ、いまいのちを問う」というビデオも見せていただきました。そして緒方さんの「私は、チッソだった」と言う本も、感心しながら読みました。

そして、石牟礼さんは、僕にとって、その魂の深さにおいて及びがたいアイドル的存在です。その意味では、石牟礼さんが、言うことを特別視しています。特定の人を特別視したからと言って、ポピュリズムさらにはファシズムにいたるなんて、東本さんの、妄想です。

「どのような人であれ等身大で見る(評価するのであればほかの人と同じように 評価する)、というのは「平等」や「人権」を論
じる者の視点の基本というべきものだろうと私は思います。特定のある人を特 別視したりあるいはスター視したりする背景
には、おそらく自身としては無自覚的なポピュリズムに瀰漫され、かつそのこ とに気づかない「思想」の劣化があるのではな
いか。ポピュリズムがファシズムに転化しやすい弊を持っていることは私はし ばしば論じています。あえて問題視しておきた
いと思います。」

この結語の説教なんて、全然いただけません。だって東本さん自身、アイリーンさんの述懐を等身大に見ようとしていないのですもの。人の体験は、みな独特です。人それぞれを特別視することは、「平等」「人権」と離反することではない、と僕は思っています。東本さんの結語は、僕には、詭弁に写ります。もうこの位で止めます。ご返事くれなくて、結構です。論争するつもりは、ありませんから。ただ「さすが」という一言から、ファシズムまでもってゆく論法が、気に食わなかったので、どうしても書きたくなりました。
                                             久松拝


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