[CML 015306] ゆりひななさんの「橋下さんは、ほんまに『独裁者』なんかな~?」という問題提起を読む(続) ――橋下&大阪・維新の会的なものを打破するために(その3)

hagitani ryo liangroo at yahoo.co.jp
2012年 2月 28日 (火) 20:02:14 JST


 東本さんのおっしゃることに大いに腑に落ちます。
 ひとつだけ、読んでいて、日本語話者のひとりとして感じた、ほんとにささや 
かな感想。

 民営化という。
 民という文字がある。
 この文字が人を騙している、というのは、針小棒大でしょうか?

 民と言ったら、何を思い浮かべますか。
 少数の人間が集まる光景でしょうか?
 いえいえ、大勢の人たちをイメージさせるのが、この文字ではないですか。

 しかるに、民営化と言われるものは、少数の資本をもった集団による、おおぜ 
いの人々に対する支配ではないですか。支配されるほうこそ、民なので す。
 ポピュリズムというのも、populus(民)を僭称するものの謂いでしょう。た 
んなる民衆のひとりがポピュリストということはありえないの で。

 私営化であり、私することであるのに、それが民営化と呼ばれることに、私は 
どうしても抵抗があります。

 大企業の経営者が民の名を騙るとは不届き至極な詐欺です。
 日本のオトコ主義者、ファロクラット(朕主主義と訳しておく)どもは、江戸 
時代や幕末から明治の時代を好みます。
 そういう連中の脳裏には、江戸時代の士農工商のイメージがあって、どんなに 
豪商であっても身分は最下等のような錯覚があるのかも知れません。だ から、 
彼らにとっては民営化という言葉は心地よいのです。SM遊戯で若い女に鞭で叩 
かせてるスケベおやじみたいなもんではないでしょうか。

 ここには、世の中には民と官しかなくて、官が上で、これにみんなが支配され 
てるんだ、と言いたげな、つまりきわめて欺瞞的な方向付けがありま す。

 英語ではprivatizationといい、private(私的なもの)にするということで、 
popularizationなどとは言いませ ん。と、ここでも、私は日本語に憎しみを覚 
えます。
 日本人が悪いのだ、日本語の罪ではない、というのはわかりますが、すでに汚 
れたこの言語に決して心を許さないことが必要でしょう。私は日本語に 対して 
ハリネズミのようでいようと思っています。

 (べつに、以後、東本さんには「私営化」と書いてほしいなどと注文する気も 
ありません。そうしてくれるのは嬉しいですが、場合によってはめんど くさい 
ことだってあるでしょうから。また前田さんに、コンマ以下のことにこだわると 
言われるのは承知してますが、言葉の欺瞞が蔓延しているのは、 どうしても好 
きくないので・・・)
                               お粗末。 萩谷

(12/02/28 18:53), higashimoto takashi wrote:
> さて、ゆりひななさんの「橋下さんは、ほんまに『独裁者』なんかな~?」と 
> いう論は、橋下市長がその成立を強行しよ う
> としている「教育基本条例」と「職員基本条例」の背骨にある思想は「新自由 
> 主義」の思想であって、その橋下的な「新
> 自由主義」の「本丸」がめざしているものは「『独裁』ではなく、むしろ、全 
> く逆の『(公共サービスの)完全自己責任化』で
> あり、『公』(自治体)の『責任放棄』」というべきである。それを「政治を 
> 教育に持ち込む独裁条例反対」、「公務員の『思
> 想信条』をしばる独裁条例反対」などといたずらに叫号罵倒するだけではまん 
> まと敵の撒いた「エサ」の罠に陥ることに
> しかならない、というものです。それでは大阪市民は逆に「独裁? はぁ~? 
> 何言うてんの」「国旗国歌をないがしろに
> する先生なんかいらんがな」「仕事せーへんくせに、おいしい給料もらってる 
> 公務員もいらんがな」「何でもえーから、筋
> の通った『公共サービス』してよ」などとかえって反感を募らせるだけだろ 
> う、と。
>
> たしかに一理あるご意見ではあります。が、ゆりひななさんの論には「新自由 
> 主義」的な価値観と「独裁」という政治形
> 態を対立概念としてとらえているという難点があるように思います。「新自由 
> 主義」的な価値観と「独裁」という政治形
> 態、さらにはポピュリズムという政治形態は案外に相性がよいのです。「名前 
> を口にするのもおぞましいけれど、コイズ
> ミという一人の凡庸な男」(辺見庸『いまここに在ることの恥』)がこの国の 
> 首相だった5年間の時期のことを振り返れば、
> 自ずからそのことは明らかになるでしょう。
>
> コイズミはいうまでもなく「小さな政府」論や「構造改革」論を唱える新自由 
> 主義論者の雄としていわゆる小泉旋風を巻
> き起こし、自民党総裁選に勝利し、賑々しく新首相に就任しました。2001 
> 年4月のことです。その当時、コイズミが盛
> んに口にしていたのは「自己責任」と「民の導入」という例の新自由主義の流 
> 行の言葉でした。そして、コイズミは年来
> の自らの持論である郵政民営化改革を断行しようとしました。しかし、彼の提 
> 出した郵政民営化関連法案は身内の反
> 乱を受けて衆議院本会議においては5票差でかろうじて可決されたものの、参 
> 議院本会議では最終的に否決されてし
> まいます。そこでコイズミは民営化の賛否を国民に問うとして衆議院を解散 
> し、郵政民営化に反対した国会議員の選
> 挙区すべてにいわゆる「刺客候補」を送り込みます。この選挙ではときの小泉 
> 旋風の強い追い風もあってコイズミは勝
> 利したわけですが、このときのコイズミの政治手法は身内の議員からでさえ 
> 「独裁」と非難される体のものでした。左記
> は独裁と新自由主義とポピュリズムの親和性を示す一例になりえるでしょう。
>
> また、ヒトラーの経済政策は極端なポピュリズム政策でしたが、ケインズ主義 
> を取り入れたものとして経済学史的には
> 新自由主義の対極に位置づけられるのがふつうですが、「公共事業で失業問題 
> を解消」「労働者減税」「老人福祉の
> 大幅な強化」「高等教育の無償化」などなどの福祉政策、ワイマール共和国憲 
> 法によって成立した基本的人権や労働
> 者の権利のほとんどはヒトラーが布告させた緊急大統領令によって停止され、 
> 戦後はヒトラー政権の発行したライヒス
> マルクも紙切れ同然になり、ドイツ国民を貧窮のどん底に陥れました。すなわ 
> ち国民の経済的貧窮は「自己責任」の問
> 題として処理されてしまったのです。これは見かけ上はケインズ政策であって 
> も実態は新自由主義の「自己責任」政策
> そのものだったといってよいでしょう。ここでも独裁と新自由主義とポピュリ 
> ズムの親和性は如実に示されています。
>
> 以上は、ゆりひななさんのおっしゃる「(公共サービスの)完全自己責任化」 
> と「『公』(自治体)の責任放棄」という新自由
> 主義の政策を実現させるためには「独裁」という強権が必要だった、という話 
> です。「新自由主義」的な価値観と「独裁」
> という政治形態は必ずしも対立的な概念ではないのです。
>
> 私たちはこのことこそを市民に強くアピールしていく必要がある、といえるの 
> でないでしょうか? そのことに成功すれば、
> すくなくとも「独裁? はぁ~? 何言うてんの」などという市民の反感の声は 
> 大多数の市民にとってはドブ川のせせらぎ
> のようなものにしか聞こえなくなってしまうのではないでしょうか?
>
>
>
> 東本高志@大分
> higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
> http://mizukith.blog91.fc2.com/
>
>



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