[CML 015225] Re: さようならマドモアゼルに達したか フランスにても平等なるぞ

hagitani ryo liangroo at yahoo.co.jp
2012年 2月 25日 (土) 20:25:20 JST


萩谷です。
マドモワゼル廃止、いいじゃないですか。
なかなかカワユイ語感のある言葉でしたけど、なくても誰も困りません。
この言葉がカワユイのは、若い女性を連想するから、にすぎません。
カワユイのは言葉ではなくて、女性のほうです。
これからは、マダムにカワユイ気持を覚えることになる、それだけです。

年齢差別をわざわざする必要もないと思います。
前田さんって、案外アタマが古いのね(^^)。

ことばがいろいろあることが豊かさだとは思いません。
余計なことばは消えたほうがいいかもしれませんよ。
以前そんなことを言ったら、ある人に誤解されて「同義語をなくしてはいけな
い」なんて言われましたけど、同義語一般を全部なくすことなんか物理的 に不
可能なんで,私もそんなバンダリズムに与する気はないのです。
しかし、余計な言葉をなくして、もっと簡単なことばに置き換えるのは、とても
いいことなのです。それがなかったらいつまでも哲学なんてできないで しょう
ね。どっかの借り物が哲学だと思い込んで喜ぶひとをべつにすればね。日本人に
とって哲学書が読みにくいのは、原著者の思想が難解なせいばか りではないと
思います。
プラトンの対話は、日常習慣的に使ってきた言葉の検討から始まるのが多いでは
ありませんか。ああいうことを日本語でもやらなきゃだめです。言わせ てもら
えば、哲学の翻訳をする人たちは日本語文法音痴ですから(これはいわゆる国語
学者の責任が重大です)。

フランス語は抽象的な言葉で、余計なニュアンスなどないです。ニュアンスとい
うフランス語はありますが、だからといって、ニュアンスがあるとは限 りません。
深いということばはあっても、浅いという言葉がなくて、深さが少ないという表
現をしていたりします。
男の子をムッシューとは言いませんね。まあ、女の子の呼び方もこれからは帽子
を被らなくなるんですね。
男の子をムッシューと呼べなくても不都合はないのですから、女の子を同様に
扱っても困ることはないでしょう。

私は日本語のニュアンスと称するものに、疑いをもっているので、つねづね使い
慣れているテニオハのからくりを、じっくりと観察したものを書いてき まし
た。近いうちに個人ブログ にアップするつもりです。
いつも当たり前だと思ってる言葉なんて、大した根拠はないものだという感覚は
ショックですが、楽しみもあります。
習慣にすぎないことばにねちねちとしがみつくのをよせば、少し世界は新しく見
えるでしょう。
こう言っては一部の人に失礼なのですが、私が過剰なボキャブラリーをひけらか
すような文章を好まないのも、そういう私の根本的な立場から来ていま す。そ
れは閉鎖性につながるからです。当たり前のことばの使い方に習熟することのほ
うが、大事だと思います。

前田さん、どっちでもいいことなんか、書かなきゃいいでしょ。私は日本語話者
として、日本語の批判的捉え直しが大事だと思って生きてますから、こ ういう
ことを、どっちでもいいなんて、言いませんよ。

(12/02/25 9:26), maeda at zokei.ac.jp wrote:
> 前田 朗です。
> 2月25日
>
> マダム大山
>
> アメリカ人もフランス人も発想が貧困ですよね。
>
> 男も成年と未成年を分けて呼べばよかったのです。成年と未成年の区別を、年齢
> 差別だと称して、やめるのでない限り。
>
> マダムとマドモアゼル
> ムッシューと***
>
> マドモアゼルという言葉を失うことは、言葉の豊かさを失うことに気づいていな
> い。
>
> 私はどっちでもいいけど(笑)。
>
>
>
> ----- Original Message -----
>> やっと、ということなのかしらん。
>> http://blog.goo.ne.jp/chieko_oyama/e/e8d21ff04c06ec6a33ae273bef4db3b0
>>
>> -- 
>> 大山千恵子
>> ブログ「千恵子@詠む...」毎日更新http://blog.goo.ne.jp/chieko_oyama
>>
>




CML メーリングリストの案内