[CML 015074] 「小さなアイヒマンにならないために」 Re: 市民的不服従をどこまで実践できるか  

maeda at zokei.ac.jp maeda at zokei.ac.jp
2012年 2月 18日 (土) 18:13:52 JST


前田 朗です。
2月18日


市民的不服従についてもう少し。

何度も繰り返しますが、私は映画について論評していません。映画が何をどう描
いているかに関心のある方はその議論をされれば結構ですが、私は映画を見てい
ませんし、映画について語るつもりはありません。ここでの私の議論にとって、
映画の中身はどうでもいいことです。

<私が論評しているのは、現場の闘いのことです。現に知っている人たちのこと
です。>

「非国民がやってきた!」において、アイヒマンをとりあげました。ユダヤ人強
制移送の担当者として、移送が正確に行われるように努力したアイヒマン。自分
の職務に忠実で、それが何をもたらすかについては判断しないようにしたアイヒ
マン。ある意味で優秀な官僚のアイヒマン。つまり、目の前の職務、与えられた
職務を迅速的確にこなすことが第一の美学であり、その結果、どこかで人が死の
うが苦しもうが、自分には関係ない、余計ないことは考えなければよい。

私たちが「小さなアイヒマンにならないために」市民的不服従の思想を身につけ
ること、それが私が書き続けたことです。

しかし、それでもなお「不安」が残るという話をここで続けています。「不安」
の正体をまだ突き止めていません。「他人のために闘える保障がない」というの
は、さしあたり一つの答えです。

部下に職務命令を出して、従わなければ、上に報告して、その部下は処分される
かもしれない。部下の人生が壊れるかもしれない。でも、自分を守るためには仕
方ない。他人のために闘うなんて馬鹿らしい。悪法も法なり、職務は職務だ、仕
事をこなそう、部下がどうなるかなど考えていられない。自分を守ることで精い
っぱい。職務命令を出して、報告して、結果として部下が処分されたら、万が一
必要ならいつかどこかで支援してあげるかもしれない。――小さなアイヒマンはこ
う考えます。命令だから報告する。命令だから殺す。命令だから戦争に行く。

思想・倫理分野でもいろんな議論がありえますが、法律の世界では、答えは明確
に出ています。ナチスの戦争犯罪人を裁いたニュルンベルク裁判や、ドイツにお
ける継続裁判で言われたのは、「違法な上官の命令に従ってはいけない。違法な
命令と知りつつそれに従えば、犯罪であって、抗弁事由にはならない」と。国際
刑事裁判所規程でも、「違法な上官の命令に従ったことは抗弁事理由にはならな
い。責任の軽減がありうるだけ」とされています。現代法思想は「悪法も法なり」
を明確に否定しています。市民的不服従の隣には抵抗権が並んでいるのです。ソ
ローもキングもガンディーも、マンデラも、思想家ロールズも、根津公子さんや
増田都子さんも、市民的不服従と抵抗権の世界の住人です。当初はイラク戦争に
賛成していたが、実態を知るや「不正義の戦争」だと言って、上官の命令に抵抗
したエーレン・ワタダ中尉も。

ところが、日本では一般にこの議論が詰められていないし、社会的に根付いてい
ません。上から命令されたから仕方がない、と平気で言うのです。実際には、主
体的自律的判断を放棄して、その時の雰囲気に流されていくのです。

増田都子さんが問い続けているのもこのことでしょう。判断停止がもたらす悲劇
を知りながら、それでも自分可愛さに判断停止しておきながら、後になって言い
訳をする精神の頽廃。言い訳にとどまらず、あたかも自分は闘ったのだといわん
ばかりに登場する仕草の卑劣さ。その卑劣さをあいまいにして、持ち上げようと
する人々の凡庸かつ陳腐で低劣な思想。「あなた」を切り捨て、「彼ら」を踏み
にじりながら、「私」をいとおしむ精神。

他方、岡林さんは、自分のことが大事、他人はやはり二の次だ、という考え方を
示しているもののようです。小さなアイヒマンにはなりたくない。でも、ならな
いと言い切る自信はないし、いざとなれば小さなアイヒマンになってでも自分を
「守る」かもしれない。「守る」の裏側には「自分を殺す」も張り付いているこ
とも承知の上で、それでもそういう場合がありうるという断念かもしれません。
言い換えると、岡林さんの議論では、「それで責任を問われたら仕方ない」とい
う判断が先取りされているのでしょう。さらに言い換えれば、「わたしの中のア
イヒマン、それは避けられるのか」という問いなのかもしれません。(あるいは、
日本的に「貝になりたい」と叫んでごまかすのかもしれませんが。)

1999年以来、日の君110番などの運動にかかわってきました。予防訴訟の
支援は直接にはできませんでしたが、いつも気にかけてきました。弁護団の沢藤
さんや文也さんとは長い付き合いですし。ただ、私が「不安」を抱えているのは、
実際にそういう立場になったことがない幸運のためでもあるのだろうと思います。
喜んでいいのやら。

「小さなアイヒマンにならないために」と問い続けてきましたが、「すべての人
の中に予めアイヒマンがいるとしたら」となると、もう少し考え続ける必要があ
ります。


----- Original Message -----
> 
> 前田先生
> こんにちは。増田です。
> 
>  
> 
> >今回、映画にご意見を提示している増田都子さんも、私が主催した『非国民
入門セミナー』にお招きしてお話を伺っています。
>>  その節は、私を「非国民」のお仲間に入れていただき、たいへん、ありがと
うございました(笑)。
> 
>  
> 
> >自分自身が「服従した人間」であるばかりではなく、同時に「他人を服従さ
せた人間」、他人の思想良心の自由に手をかけ、処分させた人間の「私」とは何
か、それが問題です。
>>  そうです。それこそが問題です。その人間を、「『教育の統制』の巨大な流
れに独り毅然と抗い、“教育現場での自由と民主主義”を守るため、弾圧と闘いな
がら、“私”を貫く教師たち」『日本社会の“右傾化”“戦前への回帰”に抵抗し、“
自分が自分であり続ける”ために、凛として闘う、3人の教師たち』」の一人とし
て描きだす映画を、「ドキュメンタリー」映画と称していいのか? という問題
です。
> 
>  
> 
>  事実に反する虚像の「素晴らしい元校長像」を作りあげ、「ドキュメンタリ
ー」として上映を行うのは観客に対する背信行為ではありませんか? この映画
の描く土肥元校長像に素直に感動する人たちには・・・感動するように「作って」
あるので当然ですけど・・・素直に土肥校長を信じて、彼を「教育委員会の弾圧
にも負けず」と讃える「卒業証書」を書いて渡した彼の教え子たちに感じるのと
同じ気の毒さを感じます。
> 
>  
> 
>  通常は「それは不正だから、自分は反対だ」と声高に語る人物が、「それは
不正だから、自分は反対だ」ということを、堂々と「法令遵守」の名の下に実行・
実践しているとは、考えられませんからね・・・通常は、「それは不正だから、
自分は反対だ」と声高に語る人物は、「それは不正だから、自分は反対だ」とい
う行為を実行・実践はできないものですから・・・
> 
>  
> 
>  ですから、普通のヒトなら、土肥元校長は「それは不正だから、自分は反対
だ」という都教委の指示命令には服従せず、都教委に抗って、都立三鷹高校にお
いては職員会議の挙手採決を行い、教職員に言論の自由、思想・信条の自由を保
障したがために都教委に弾圧され、再雇用を拒否されたのだろうと、錯覚してし
まうのは当然なのです。
> 
>  
> 
>  こういう、よくありがちな、人々の錯覚に漬け込む「ドキュメンタリー」映
画は犯罪的ではないでしょうか? 私は、監督の土井敏那さんには、土肥元校長
についての重大な真実=都教委の指示命令に服従し、他者にも服従を強制し、服
従しなかった教員を処分・弾圧した事実を隠ぺいして「『都教委に抗った唯一人
の勇気ある校長』として描くのは間違っているから、根津さん、佐藤さんだけに
限定した映画にすべきだ」と忠告しました。
> 
>  
> 
>  そして、このMLに投稿する「土肥元校長&土井敏那監督批判」メールは全て、
彼のメル・アドにも送信しています。しかし、彼は全く聞く耳を持たず、現在、
大々的に土肥校長も「『教育の統制』の巨大な流れに独り毅然と抗い、“教育現
場での自由と民主主義”を守るため、弾圧と闘いながら、“私”を貫く教師たち」
『日本社会の“右傾化”“戦前への回帰”に抵抗し、“自分が自分であり続ける”ため
に、凛として闘う、3人の教師たち』」の一人として描きだす『私を生きる』を
宣伝してらっしゃるわけです。
> 
>  
> 
> 『営業利益』は、真実より優先するのでしょうね?
> 
>  
> 
> >土肥さんは、自分のためにも、他人のためにも闘わなかったことを恥じて、
今頑張っているのでしょうか。
>>  土肥さんが、自分の都教委への服従を「恥じ」、他人にも服従を強制したこ
とを「恥じ」る、ということは、私は絶対に有り得ないと思います。それは彼に
とってはアイデンティティーの否定となり、自殺行為でしょう・・・彼は、三鷹
高校卒業式の時に「個別職務命令は出さなかったが、それは、全員が起立できる
状況」について「一人一人確認した」「一人一人みんなを信頼していいねという
ことを確認した」という「実質的に個別職務命令」を出しました。
> 
>  
> 
>  彼は、「包括的職務命令で十分だから」と、都教委の「個別職務命令を出せ」
という指示命令に口先で反対しましたが、行為(行動・実践)としては都教委に
抗った事実はなく都教委の指示命令に従って、都立三鷹高校の教職員一人一人に
「市民的不服従をするな」と強制し、不起立という「市民的不服従」をした教員
について都教委に「厳正なる処分」を求める事故報告書を書き、都教委に処分さ
せました。そして、「都教委の指示命令は法令と同じであり、『法令遵守を信条
としている』(土肥さんの訴状)から、服従して当然である」と誇っており、そ
れが、彼の「都教委による再雇用拒否、不当」裁判の大きな根拠なのですから・・
・
> 
>  
> 
>  2004年の卒業式(つまり、03年「日の君」強制10・23通達後初の卒業式)で、
『日の丸・君が代』強制への不起立=「市民的不服従」を行い、都教委により、
嘱託継続拒否をされ、第一次「日の君、解雇」裁判闘争を闘われた元都高教の教
員の方から、いただいたメールには次のようにありました。
> 
>  
> 
> 「土肥氏は自分の立場は『日の君の被処分者』とは違うことを強調し、彼の集
会等では、『日の君』関係のビラなどは配布しないよう、強く求めました。それ
なのに、どうして、『日の君』の被処分者の根津さんや佐藤さんと一緒に映画の
『主人公』になることを承諾するのか、不可解です。勿論、理屈は後付けで、目
立ちたい、立派な人間だと宣伝してもらいたい、それが全ての動機だとしたら、
素直に理解することができます。勿論、侮蔑の意をこめて。」
> 
>  
> 
>   確かに都教委による「職員会議の挙手採決、禁止」に声高に反対を唱え、
「公開討論」を申し込んだ都立高校校長は、二百数十人いる校長のうち、土肥信
雄・三鷹高校校長、唯一人でした。そして、都教委による「職員会議の挙手採決
禁止」に反対し、自分が校長として「校務をつかさどり、所属職員を監督する」
(これは改悪教基法の下の改悪学校教育法でも、旧教基法と変わっていません)
高校において、「職員会議の挙手、採決」を実行した都立高校校長は、二百数十
人いる校長のうち、唯一人いませんでした。
> 
>  
> 
>  「都教委による『日の君』強制、10・23通達」に声高に反対を唱え、「公開
討論」を申し込んだ都立高校校長は、二百数十人いる校長のうち、土肥信雄・三
鷹高校校長を含め唯一人もいませんでした。そして、「都教委による『日の君』
強制、10・23通達」に反対し、自分が校長として「校務をつかさどり、所属職員
を監督する」高校において、「『日の君』強制職務命令は出さない」ということ
を実行した都立高校校長は、二百数十人いる校長のうち、唯一人いませんでした。
せめても、不起立教員処分を求める「事故報告書は出さない」ということですら、
実行できた都立高校校長は、二百数十人いる校長のうち、土肥信雄・三鷹高校校
長を含め、唯一人もいませんでした。
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