[CML 015067] <テント日誌 2/17(金)>

Kimura-m kimura-m at ba2.so-net.ne.jp
2012年 2月 18日 (土) 13:00:26 JST


<テント日誌 2/17(金)>
     テントの中は反原発の論陣で花盛り
  ―― 経産省前テントひろば 160日目 ――

 早朝、Tさんと公園への「散歩」。「宴のあと」よりは、「前夜型」のタイプだと思っている。
自分の性癖の反対が仕事感覚だから、「朝の散歩」が向いている。だんだん、「宴」は日常化し、ごみも多様化し、増えてくる。「トイレ無きマンション」としての原発批判をトイレなきテントから鋭くしよう。
 しかし、まだ原発もごみも自動的に雲散霧消する時代ではない。自分がつかったものの存在過程の生と死について考えながら、ものとお付き合いできたら。・・・使ったのに御礼の気持ちも無い、これを文化なき文化ーーthrow away (使い捨て)文化という。この文化は、「誘惑されて捨てられる」人間を多産した。そして、核燃料廃棄物は劣化ウラン弾まできた。武器社会は、劣化ウラン弾の販売拡張を恥じない。兵隊はそのように使われて消えてゆく。
 
 一方、水俣病の原因会社、日本窒素の子会社、旭化成は富士をふりさけあおぎみる川の海辺にある。この県に、浜岡原発。これは中部電力のもの。浜岡原発が公共の福利に反しているという訴訟が、ながらく停止していたのを、3・11以後、再稼動阻止を確証させるため、白鳥さんが緊急動議のように、本訴を仮処分を緊急にするよう高裁に申請。高裁はその準備会を原告の白鳥さんたちと被告中部電力と開いた。この日、その集会の帰り、単身、テントへ。
 今年、80才になられる白鳥さんに、日比谷図書館で仕込んだばかりの、富士山大爆発の特集コラムをお見せする。「東京は浜岡原発から、180キロしか離れていないんです。20年は民主主義実現の活動を、あと20年は反原発・浜岡廃炉のためでした。なにもできていなくて・・・」ほんとうに、能の翁のような温顔で、静かに語られる白鳥さん。浜岡1.2号機を廃炉にしたのは、日本の歴史のうえで、この方達が初めての民衆活動家ともいえる。
 
「責任のもてないものを振り回すのは、やめてください!」という訴えは、白鳥さんに教えられ、柳田さんに誘惑されて、昨年一月、経済産業省別館前定例抗議集会でさせてもらった。このお二人が、私をテントに連れてきたのだった。
 
 また、この日、反原発派の妥協なき知識人、槌田 敦さんがふらりと予告無くいらした。
「福島原発多重人災 東電の責任を問うーー被害者救済は汚染者負担の原則で」 槌田敦・山崎久隆・原田裕史 共著 日本評論社 の注文票を自ら携えていらしたので、小生がテントにお預かりすることにした。
 雨が霙になった寒い日、偶然、取材に来ていた、3人のフランス人ジャーナリストに、一心に、原発と核開発の危険を舌鋒鋭く訴えておられた。お坊さんの石橋さんとテントで温まっていただいたが、テント内のみなさんからの質問に、一刀両断にお答えになる。その一種のかしゃくの無さに、いつもながら、圧倒された。
 さらに、フランス人ジャーナリストに、Kさんが、賠償問題審議会の報告書を紹介し、
一年たとうというのにたった一割の賠償問題しか手をつけようとしない、東電と政府の「棄民政策」を人権の国、フランスに訴えて、国際世論を喚起しようと、霙の中、奮闘されていた。また、Qは、フランス国営テレヴィの取材につかまってしまった。このかたがたは、いったん、立ち去ったが、ほかの仏人ジャーナリストのために、福田さんは、「ふるさと」の合唱を聞かせていた。「ふるさと」は、福島におき替えられ、被爆・被曝の人類史上の原郷となった日本・東京から、フランスへ世界へと伝えられるだろう。この合唱に、フランス取材陣の日本人通訳も加わった。  
                                ( Q記 ) 



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