[CML 015065] 『新しい道徳』痛快な携帯メール依存症批判

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2012年 2月 18日 (土) 12:06:26 JST


藤原和博『新しい道徳』(ちくまプリマー新書)は民間人初の公立中学校長として話題を集めた人物が現代社会に即した道徳を提言する書籍である。私は道徳の書籍というものに必ずしも好印象を抱いていない。唯一絶対と信奉する価値観を一方的に押し付ける印象が強いためである。 

愛国心教育が典型であるが、愛国心の押しつけを批判する側にも似たような傾向がある。教育現場を覆う管理主義は深刻な問題である。しかし、それを批判する教師側にも自己の考えのみを絶対視し、自己と他者を線引きする偏狭さが見受けられる。同じような管理主義の犠牲者の教師に対しても考えの相違する人々に対しては連帯ではなく、反動的な知事や教育委員会に対して同じように執拗に攻撃する。 

私は政策作りの市民運動に参加したことがある。そこで管理主義批判の立場から「教育の自由」という提言がなされたが、これに対して「教師に好き勝手させるような印象を与える」との反対意見が出され、「教育の自主性」に変更されたことがある。一部の人々の独善は進歩的な市民でさえも辟易させてしまう。 

進歩派さえ辟易する状況である。故に「腐った公務員を何とかしてほしい」と考える多数の市民が「荒療治が必要」「病根を断つために極端な手段も正当化される」と管理教育を推進する首長を支持してしまうことも説明がつく。強権的な首長を手法に問題があっても、むしろ問題があるからこそ支持してしまうという心理である(林田力「都知事選出馬の渡辺美樹・ワタミ会長の経営の評価」)。 

http://www.hayariki.net/poli/tokyo.html 

これに対して『新しい道徳』は価値観の多様性を前提とする。唯一絶対の正解の押しつけを否定することから出発する。それ故に著者の結論に納得する人だけでなく、著者の結論を支持しない人も一つの考え方として読む価値がある。 

興味深い内容は携帯メール依存症批判である。携帯メール依存症の問題は既に様々なところで指摘されている。本書では携帯メール依存を世代間ギャップと捉えるきらいがあるが、若年層の間でも携帯メール依存症は恥ずかしく、迷惑な存在である。若年層に人気の漫画の中でも携帯メール依存症は風刺されている(林田力「空知英秋『銀魂』に見るゼロゼロ物件業者への対抗価値」PJニュース2011年11月4日)。 

http://www.pjnews.net/news/794/20111103_2 

この点で著者の若者観にはステレオタイプな傾向があるものの、携帯メール依存の弊害の指摘は重たい。携帯メール依存症患者は携帯メールによってつながっているという安心感が生まれる。これは幻想的なものであるが、本人にとって心理的な安心感が得られる。 

これが相手の都合を無視してメールを送りつけながら、返事がないとキレるという身勝手な理由である。メールは電話と異なり、非同期性が最大の特徴であるが、同期的な使用法しかしないならば愚かである(林田力「電子メールの同期性と非同期性(上)」PJニュース2010年12月16日)。 

このように携帯メール依存症は携帯メールのコミュニケーションの世界でも迷惑な存在である。しかし、携帯メール依存症の弊害は携帯メールの世界にとどまらない。つながっているという幻想的な安心感によって感覚が麻痺し、いつでも質問すれば誰かが反応してくれると考えてしまう。その結果、自立心や異なる価値観に立脚する他者の話を聞く能力が失われると指摘する。 

この指摘は説得的である。たとえばパソコンのメールを携帯メールの感覚で雑な文章で書いて読み手の反感を買うケースは現実にある。まさに道徳(モラル)の問題として取り上げる価値のある話である。携帯メール依存が人間を壊すことが理解できる内容であった。
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林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』
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