[CML 015055] グランサコネ通信―120217

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2012年 2月 18日 (土) 02:00:39 JST


前田 朗です。
2月17日

グランサコネ通信―120217

1)残雪のジュネーヴ

2月16日、フランクフルト経由でジュネーヴへ。フランクフルト空港管制官の
ストライキのため、成田空港での搭乗手続きが混乱し遅れ、フランクフルトでも
やや苦労。ジュネーヴ行きの便が半分キャンセルで間引き状態のため混雑してい
ましたが、無事にジュネーヴへ。あちこちに雪が残っています。欧州も今年は寒
いようです。

2)CERDクウェート報告書

17日朝、国連欧州本部に入講証の手続きに。しかし、NGOの登録手続きがす
んでいなくて、かなり待たされました。いつものことですが、NGO側は1か月
前にきちんと手続きをしているのに、受け取った国連NGO担当事務局がさぼっ
ているために、登録できていませんでした。何分待たされるかわからないまま待
たされるのは疲れます。

ようやく手続きを終えて、パレ・ウィルソンへ移動し、人種差別撤廃委員会(C
ERD)80会期の傍聴。クウェート報告書の審査の終わりの部分。イラン、パ
キスタン、フィリピン、アルメニアなどからの移住労働者の教育や、ベルベルや
ベドウィンのような人はいないかとの質問などがなされていました。クウェート
は女性の政治進出が異様に低いのでこの点も話題になっていました。クウェート
代表団は12名で、うち女性は1名でイマーヌ・アルナセル「不法居住者中央局
事務局長」。「不法居住者」です。日本政府は「不法就労」なんて言葉を使って
ますが。

クウェート政府報告書は30ページで、あまり中身がありません。日本より少し
まし、といった程度。日本政府報告書は80ページあっても、半分以上はどうで
もいい、ひたすら水増しでページ数だけ増やしているのですから。

さて、クウェート政府報告書ですが、私の関心はどの政府についても2条と4条
です。本当は7条に関心があり、いつか7条関連を全部まとめたいと思っている
のですが、当面は4条に集中。

クウェートは、条約2条について、憲法の平等規定、女性の地位委員会、子ども
と家族委員会、人権委員会、ゲスト労働者シェルター、人権高等委員会について
記載しています。人権委員会は内務省の、人権高等委員会は司法省の内部委員会
にすぎず、独立人権機関ではありません。2条についてみるべき内容はありませ
ん。

クウェートは、条約4条について、一般論しか述べていません。憲法29条は
「すべての人民は、人間の尊厳において、および法の前の公的権利と義務におい
て平等であり、人種、出身、言語または宗教に関して差別されない」としていま
す。1979年の行政機関法25条について追加修正案が国家に提出されていま
す。公務員が、性別、出身、言語または宗教に基づいて市民を差別することを禁
止するものです。公務員採用における差別の禁止が中心で刑罰もついています。
国会に提出され検討中。

つまり、クウェートには、おそらく総合的な人種差別禁止法も、ヘイト・クライ
ム法もないと思われます。その点は日本と同じ。

CERD委員は一部変わっています。ジャニュアリ・バルディル(南アフリカ)、
カルロス・ヴァスケス(アメリカ)。ジャニュアリ・バルディルさんは女性で、
委員会は18ひと中3人と、一人増えました。クリックリさん(アイルランド)、
ダーさん(ブルキナファソ)。

CERD80会期は、2月13日から始まっています。メキシコ、イスラエル、
クウェートと審査が続いています。イスラエル審査は15〜16日でした。もう
少し早く来れば傍聴できたのですが。イスラエルに対しては、委員会から、事前
に質問が出されていました。たとえば、条約をイスラエルの全領域に適用する可
能性について(適用せよ)。基本法に平等規定と人種差別禁止規定を入れる計画
について(入れよ)。その他多数の質問。

3)辺見庸『瓦礫の中から言葉を――わたしの<死者>へ』(NHK出版新書、2
012年)

11年4月24日にNHKで放送された発言をもとに書き下ろした文章です。東
日本大震災の被災地・石巻出身の著者の言葉をつかみ出す格闘が覗えます。

「故郷が海に呑まれる最初の映像に、わたしはしたたかにうちのめされました。
それは、外界が壊されただけでなく、わたしの「内部」というか「奥」がごっそ
り深く抉られるという、生まれてはじめての感覚でした。叫びたくても声を発す
ることができません。ただ喉の奥で低く唸りつづけるしかありませんでした。」

内面の決壊ののちに「だれも言葉を持っていないこと」を著者は徹底的に問い詰
めます。メディアに登場するのは紋切り型の言葉ばかり。そして日本がんばれ、
復興、ぽぽぽぽぽ〜ん、日本人は素晴らしいといったたぐいのふやけた言葉ばか
り。現実を全身で受け止め、現実に肉薄しようとする気概のある言葉はどこにあ
るのか。もちろん原発事故と原爆被爆についても著者の個的な思索を展開してい
ます。

「わたしたち」ではなく、あくまでも「わたし」の思索です。石巻出身で、日本
人で、ジャーナリストであり文学者・詩人でもある単独者の具体的な経験に根差
した思索が、いかにして普遍性を持ちうるのかを、ひたすら模索しているといえ
るでしょう。「人類滅亡後の眺め」を、SFでもなく、単に悲観的な物語でもな
く、現実とつなげて問うことは、東日本大震災と福島原発事故ののちの私たちに
とって、なるほど「具体的」にさえ思えます。「私の無責任」と「人間存在の無
責任」を対比する著者は、石原吉郎と宮沢賢治に寄り添うことで、次の手掛かり
を探ろうとします。ここは理解に苦しむところですが。





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