[CML 015036] 脱原発主義者を自称する人たちのハシモト的なもの、みんなの党的なものへの傾斜について(2)

higashimoto takashi higashimoto.takashi at khaki.plala.or.jp
2012年 2月 16日 (木) 17:20:25 JST


いまや橋下氏のポピュリズム政策は、大阪市職員への思想チェック、業務命令としての組合破壊「アンケート」という憲法
違反、地公法・労組法違反も甚だしい法を恐れぬ究極のポピュリズム政策にまで突き進んでいることは大阪市民だけで
なく、広く衆人の知るところです。私はかつて竹原阿久根前市長と橋下大阪府知事(当時)の似非「革命」家、ポピュリスト
としての著しい類似性を指摘したことがありますが(弊ブログ 2009年6月1日(2010年3月29日)付)、竹原前市長は「自
治労は阿久根から出て行ってもらう」と宣言し、事実、阿久根市職員労働組合に対して市庁舎内の組合事務所の明け渡
しまで求めましたが、結局、裁判にも負け、選挙にも負けました。いま橋下氏はその竹原氏と同じ末路を歩もうとしている
かのようです。ポピュリズムの行き着くところというべきでしょうか。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-233.html

参考:
おまけとしてこの橋下氏のおのれの敵対者(それも主観的な)への人格攻撃と悪罵だけを取り柄とするおよそポピュリス
トに典型的といってよい人を貶める作法にのみ長けた語り口もご紹介しておきたいと思います。この1月15日に放送さ
れたテレビ朝日系列の「報道ステーションSUNDAY」における橋下氏と山口二郎氏(北大教授)の討論番組での語り口。
その彼の他者に対する人格攻撃と悪罵の連発のおぞましさの性質についてはぽぽんぷぐにゃんラジオのキャスター氏
が実に正鵠を射た小気味よい批判をしています。「朝生(1/27)」を視聴しての飯田氏の橋下観といかに雲泥の差がある
ことか(嘆息)。一見(聴)の価値があると思います。ぜひご視聴ください。

■橋下市長VS山口二郎教授について。(ぽぽんぷぐにゃんラジオ 2012年1月16日)
http://www.youtube.com/watch?v=SXC1PafLI18

飯田氏はそうした橋下氏のポピュリズム政治に「問題意識とアプローチが飯田も全く同じで共感」というエールを送って
いるのです。その飯田氏の根底的な誤りを指摘することはたやすいことですが、なにゆえに飯田氏はそうした橋下ポピ
ュリズムにいとも簡単に、そしていとも熱烈に共感を示しえるのか。それがここでの問題です。
(以上、(1)の終わりの部分のリピートと補足。以下が(2)ということになります) 


この点を考える上においてブログ「きまぐれな日々」を主宰する古寺多見さんの考察が参考になります。古寺多見さん
は彼のもうひとつのブログ「kojitakenの日記」の2012年2月2日付け記事において「世に倦む日日」ブログの管理人氏の
「飯田哲也の橋下徹礼讃は凄まじいな。『問題意識とアプローチが飯田も全く同じで共感』なのだそうだ。こういう人間
の『脱原発』は信用できないな。ま、いずれ、橋下徹も渡辺喜美も、再稼働と原発推進へ舵を切るのは確実だが」とい
う飯田氏批判をとりあげて半分同感の意を示しながらも次のように『世に倦む日日』管理人氏の考察の甘さを指摘して
います。

「この『世に倦む日日』の管理人氏の見通しは甘いと思う。「『脱原発』は左派のもの」という根拠のない思い込みがある。
考えてみればすぐにわかることだが、国策で推進しなければ何の経済的メリットもない原発から脱却しようという考え方
は、新自由主義と非常に相性が良い。だから、自民党内の新自由主義派である河野太郎や、元経産官僚で「みんなの
党」やほかならぬ橋下徹のブレーンである古賀茂明は強力な「脱原発」論者だ。そして、飯田哲也は以前から河野太郎
や古賀茂明と懇意である。私は、橋下徹は本気で「脱原発」をやると思う。なぜなら、現在の日本において、「脱原発」ほ
ど国民に熱烈に支持される政策はないからだ。」(注)
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20120202/1328114203

脱原発と新自由主義思想との親和性。ここに飯田氏に象徴される一部の新自由主義的な発想を持つ(昨今の「みんな
の党」ブームを見るとこうした発想を持つ人々がいわゆる革新・リベラルを自称する市民の中にもいかに多いかがわか
ります)脱原発主義者がハシモト的なもの、みんなの党的なものに傾斜していくことのひとつの解が隠されているように
思います。

注:しかし、「『世に倦む日日』の管理人氏の見通しは甘い」という古寺多見さんの見通しも私は甘いと思っています。橋
下氏は知事時代につくる会の歴史教科書を大阪府の全公立校で採択させようと再三試みていますが、その「つくる会」
系2社の公民教科書の記述は「原発推進」で突出しています。このことは橋下氏は「脱原発」よりもつくる会の歴史教科
書の採択の方に重きを置いているということを示しています。「世に倦む日日」ブログの管理人氏の「こういう人間の『脱
原発』は信用できないな。ま、いずれ、橋下徹も渡辺喜美も、再稼働と原発推進へ舵を切るのは確実だが」という観測
は必ずしも邪推とばかりはいえないことを示しているように思います。

しかし、これまでいわゆる革新・リベラル的なものの見方を培ってきたことを自負し、そのことにひそかな矜持を持つ市
民は決して少なくありません。そうした中で、革新・リベラルを自称する市民がなぜかくもやすやすと新自由主義的なも
のの見方、ものの考え方の罠にはまってしまうのか?

その罠は、たとえばみんなの党の打ち出すマニフェスト・政策の可塑性にあるのではないか、というのが金光翔さん
(批評家)の見方です。金光翔さんはこの点について次のように言います。

「『みんなの党』のマニフェストの特徴は、新自由主義というよりも、むしろその可塑性である。すなわち、『新自由主義』
的に読めるのは勿論のこと、『脱・格差社会』的にも読めるのである。例えば、労働問題で掲げられている施策は、今
の格差社会論の政策的な落としどころと思われるものから、そう外れていない。安全保障に関しても、小国主義的な護
憲派からすればもちろん『右』であるが、憲法問題に一切触れていない点に象徴されるように、『リベラル』とでも『保守』
とでも言えるようなものになっている。」そして、「もう一つの特徴は、『政治家や官僚の利権』、『特定の業界や労働組
合』の『既得権益』の徹底した排除を強調する姿勢である。」

このみんなの党のマニフェスト・政策の可塑性と「既得権益」の徹底した排除という「構造改革」の姿勢が、「自民党や民
主党が構造改革路線を一時的に後退させていることに不満を持っている層に支持され」る理由であり、いわゆる革新・
リベラルといわれる層からも支持されようとしている理由である、と金光翔さんは見ているようです。
http://watashinim.exblog.jp/10519631/

上記の指摘以上にここでの金光翔さんの重要な指摘は、みんなの党の結党宣言に掲げられた「脱官僚」「地域主権」
「生活重視」というスローガンと、かつての日本新党が立党宣言に掲げた「脱官僚」「地方分権の確立」「生活者主義」と
いうスローガンがまるで「そのまんま」、酷似しているという指摘です。

日本新党は上記の立党宣言のスローガンを掲げて既成政党への有権者の不満を吸収する格好の政治的受け皿の役
割を果たし、結党から2か月後の1992年7月の参議院選挙で4議席、その1年後の1993年7月の衆議院選挙では
35議席を獲得し、当時の政界再編のキャスティング・ボートを握り、実際に同年8月には長期自民党政権からその政
権の座を奪い非自民・非共産の細川連立政権を誕生させました。かつて日本新党が果たしたその役割をいま、みんな
の党が担おうとしている。それが金光翔さんの見方といってよいでしょう。

しかし、その有権者の不満の政治的受け皿として政権まで奪取した日本新党が実際に戦後政治の転換の場面で果た
した役割とはなんだったか。細川政権が遺したほとんど唯一の政治的実績は大政党に有利で、小政党に不利な「小選
挙区制」という悪名高い政治「改革」でした。ここで導入された小選挙区制が後々まで民主政治実現の足かせとなって
いることは誰もが知るところです。2大政党制という政治の場面には保守だけがあって、まるで革新など存在しないか
のヌエのようなぬるま湯的風潮、すなわち一億総懺悔ならぬ一億総保守ともいうべき欺瞞に満ちた風潮が明らかに腐
臭を放ち出したのもこの頃からのことです。もちろん、この風潮はメディアも含めてのことです。いや、この風潮を率先
してつくり出したメディアの責任は大きいのです。こうして日本は一億総保守化の道を歩きはじめました。誰にも批判さ
れず、もちろんメディアからも批判されず、批判する者はアホかとでもいう風潮の中で・・・

辺見庸のいう現代の深刻な目に見えないファシズム化はこうして進行しはじめたのです。その日本新党は細川護熙の
国民福祉税構想の頓挫以降急速に求心力を失っていきました。こうして非自民・非共産の細川連立政権は1年に満た
ない短命政権で終わりました。小選挙区制という戦後政治の選挙制度上の最大の汚点を置き土産として。

その日本新党とみんなの党は単に立党宣言と結党宣言のスローガンが同じというだけでなく、政界再編、大連立という
構想においても同じことをしようとしています。さらに金光翔さんは日本新党とみんなの党の政界再編、大連立構想が
似ているということだけでなく、新党たちあがれ日本の代表の平沼赳夫氏の保守連立構想とも相似形だと指摘していま
す。

「面白いのは、『みんなの党』結党宣言にあった『触媒』という言葉、上記の平沼の引用文にもあった『坂本龍馬』の比喩
が、ここにも表れていることだ。この三者は役割を同じくしている。日本新党が、小沢一郎による『政権交代』劇の最大
の協力者であったように、『みんなの党』も、より大きな再編劇で、同じ役割を果たすだろう。」(同上)

金光翔さんは、みんなの党の政治戦略は、「みんなの党の党勢拡大→第三極の形成→大連立」というシナリオの達成に
ある、と見ているわけです。

脱原発主義者を自称する人たちのハシモト的なもの、みんなの党的なものへの傾斜はどこに行くか? 結局、保守政党
同士の大連立というみんなの党の保守連携戦略の思惑を見逃し、結果として民主党政権前までの長きにわたった自民
党政治的なもの、保守政治的なものの復活に手を貸すことにしかなりえないだろう、というのが私の結論です。原発推進
政治は主に自民党的な保守政治によって構築されてきました。その保守政治的なものの復活に手を貸すことにしかなり
えないハシモト的なもの、みんなの党的なものへの脱原発主義者の傾斜は、自らの主張の生命とする脱原発の理念すら
裏切るということにしかなりえないだろう、と私は思います。私がはじめに脱原発の理念と言ったのは、そういう単純な道
理の問題を言っているのです。


東本高志@大分
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